敗戦後の中国で行われた軍隊内の餅つき [雑感]
若い頃から歌を詠んでいた私の父には、手書きでまとめた歌集があります。本ブログの「父の歌集」カテゴリーにて、16歳で詠まれた歌から順を追って掲載してきましたが、最近は出征先の中国で詠まれた歌を紹介しています。
その歌集には歌だけでなく、日記のような文章が記されています。父が復員できたのは、敗戦後も10ヶ月が経ってからですが、その間の食料事情を伺わせる記述があり、蛇や蛙を食う兵士がいたとあります。その一方で、昭和21年の正月用に餅つきをしたことが記されています。敗戦後の4ヶ月が経った中国の収容所での、武装解除された軍人たちによる餅つきです。
ふるさとにいかなる年か迎ふらむ子等しのびつつ餅つく我は
この歌の前書きは、「十二月末正月の用意に餅をつきて(食料事情急迫せる祖国の状況を聞きゐたれば)」となっております。終戦後の日本は食料難に苦しんだのですが、復員を待っていた父たちに、その様子が伝わっていたことになります。
敗戦前には次のような歌が詠まれています。
支那街の夕を行けば大餅のにほひしきりに空腹にしむ
敗戦後にはさらに食料が不足していたと思われますから、餅をついたにしても、餅の量はごくわづかだったことでしょう。そうであろうと、太平洋の島や東南アジアで苦しんだ兵士と比べたならば、父ははるかに幸運だったことになります。(「戦地での体験を語った物理学の先生(2020.9.16)」参照)
2022-02-09 23:24
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