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朝日新聞が紹介した素人歌人 [雑感]

昨日(令和4年5月1日)の朝日新聞「天声人語」は、ひとりの素人歌人に関わる記事であり、つぎのように書き出されている。
                                                                                                                                            
<核兵器持つ大国も0.1ミクロンの敵にあたふたしおり>。広島県三原市の僧侶、岡田独甫さんの短歌には、コロナ禍を詠んでもひょうひょうとした味わいがあった。おととし76歳で亡くなり、きょうが三回忌である。本紙歌壇に掲載された最初の歌は、<ばあさんが孫にと作るとうきびを猪めらが夜に来て喰らう>。55歳の夏だった。時事問題を詠んでも独特のユーモアが漂う。<スケールはゴーンに比して微々たれど我が心にも強欲存す>。
                                                   
上記の文章に続いて、岡田さんの詠歌が紹介されている。<呆けたる爺が葬儀後僧われに「儲けたのう」と声を掛けくる><檀徒よりしばしば魚を貰うためホームセンターで「ウロコ取り」買う><今宵また風呂から上がり酒を飲み身に宿るガンともどもに酔う><葬式のお布施の包みが空っぽで待ってほしいと紙片がありぬ>
                                                   
岡田さんの遺族が天声人語子に語ったという、「文学青年でもなく、短歌の結社に属したこともない。我流でしたが、紙面に載ると上機嫌でした」と。
                                                    
                                                   
天声人語は次の文章で終わっている。
                                                   
短歌の講演依頼は「素人ですから」と固辞。師を持たず、弟子もとらず、生涯に一冊の歌集も残さなかった。書架に並ぶ短歌の本が入門書ばかりであることに驚く。線が引かれ、ページは折られ、読み込んだ跡が濃い。・・・・・・・・瀬戸内海の春のように穏やかな独甫和尚の歌にどれほど励まされたことか。二十余年の投稿に感謝したい。
                                                   
少年時代から歌を詠んでいた私の父も、岡田氏同様に素人歌人で、歌集を出したこともなかった。遺されたのは手書きの歌集であり、16歳から38歳までに詠まれた歌が記載されている。昨年の8月以来、私は本ブログに「父の歌集」なるカテゴリーを設け、父の歌や手記を紹介しているのだが、明日がその最終回になる。その直前に、歌に関わるこのような記事を投稿することになった。


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