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石川啄木の歌を読んだ頃 [雑感]

「日本は世界で最も詩人が多い国?(2022.11.16)」の中で、「80代の半ばで歌を読み始めた私だが、歌についての知識といえば、中学と高校時代の国語の授業で学んだことだけである」と書いた。それは事実ですが、小学校6年生から中学校1年生の間のどこかで、石川啄木の歌集「一握の砂」を読んだことがあります。
                                                   
子供を学習塾に通わせるより読書の楽しみを教える方がよさそうだ(2015.9.24)」に書いたように、小学校4年生の秋に肝炎を患った私は、父に勧められるまま「現代日本文学全集第三十三篇 少年文学集」なる書物を読みました。それが契機になって、私は本を読むようになり、父が所有していた「現代日本文学全集」に納められていた作品の幾つかを読んだのですが、その中に、石川啄木の「一握の砂」がありました。今でも記憶に残っているのは、「たわむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」と「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる」です。その他にもたくさん読んだはずですが、断片的にしか思い出せません。
                                                   
短歌に興味がなかった12歳当時の私が、どんな経緯で「一握の砂」を読んだのか、いまでは全く記憶にありません。たまたま手にした書物を開いたら、極端に文字の少ないページが眼に入り、興味を惹かれて読んだのでしょうか。そうだとしても、飽きっぽいうえに怠惰な性格の私が、多くの歌に眼を通したことに、不思議な感があります。そうとは意識しないまま、短歌の魅力に惹かれていたのかもしれない。とはいえ、自分で歌を詠んでみたいとは思わず、80代になってようやく詠み始めることになりました。若い頃から歌に親しんでいたなら、父との貴重な時間を共有できたはず。もったいないことをした、という気持ちを強く覚えます。父は16歳の頃から歌を詠み、手書きの歌集を遺していたのだから。


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