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教師が聖職者と呼ばれた時代 [教育]

教師だった私の父は、近所の人から声をかけられるときに「・・・センセ」と呼ばれていた。「・・・さん」と呼ばれるようになったのは、戦後もかなり経った頃からではなかったろうか。
                                                                                                                                                
私が戦前の教育を受けたのは国民学校2年生の夏までであり、それ以降は大学に至るまで戦後の教育を受けた。ほとんどの教育を戦後になって受けたわけだが、教師に対して尊敬の念を抱きつづけた。父だけでなく親類縁者にも多くの教師がいたのだが、教師に敬意を抱いたのはそのせいではなく、戦前の価値観が影響したように思われる。
                                                   
教師の役割が教科を教えるだけに留まらず、生徒の人格形成に寄与し、生き方を教える役割をも期待されていることから、戦前には教師を聖職者とする見方もあったらしい。教師の役割は昔と変わらないはずだが、最近の学校では先生を馬鹿にする生徒がいるようである。セクハラを責められる教師がいる世の中だから、教師の自覚も戦前とは変わっているのかもしれないのだが、子供たちの教師に対する向き合い方には、教師に対する父兄の態度が影響しているのであろう。モンスターペアレントが問題になる時代だが、私の少年時代には考えられなかったことである。
                                                   
日本人の公徳心が高い例として、町中のゴミが少ないことや、順番待ちの列が乱れないことなどがあげられている。町中に多くのゴミがちらばっているような国から来た人であっても、日本では安易にゴミを捨てないだろうし、列に並べばそれを乱すようなこともないと思われる。人の価値観や行動は、社会環境によって影響されるわけだが、教師に向けられる眼も、昔とはずいぶん変わっているようである。教師が聖職者と呼ばれることに違和感がない社会が、子供たちのために望ましく、社会にとっても好ましいと思うのだが。


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