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靖国神社の英霊たちは何を望むのか [戦争犠牲者追悼施設]

 特攻隊員を主人公とする小説「造花の香り」(アマゾンの電子書籍であるキンドル本として公開中。本ブログの左サイドバーにて概要を紹介)は、主人公である良太の元婚約者が、良太の親友と一緒に靖国神社を訪ねるところから始まる。彼らが靖国神社を訪れるのは、祭神の良太に会うためというより、良太の願望を実現したいがためである。
 主人公が特攻隊員となって出撃する物語ということもあり、「造花の香り」には靖国神社に関わる記述が幾度も現れるのだが、あとがきでは靖国神社に触れていない。というわけで、靖国神社についての見解をここに記すことにした。
 「靖国で会おう」を合い言葉に死んでいった身内を想い、靖国神社に格別な感情を抱くひとがいる一方で、その存在を否定するひとも少なくはない。国民に戦争を受け入れさせ、戦死をも許容させるうえで、靖国神社が大きな役割を果たしたからである。
 国民と他国の人々を痛苦の極みに置き、悲嘆の底につき落としたあの戦争は、当時の為政者たちによる、究極の過ちとも言える政策によってもたらされた。自存自衛のための戦争として、あの戦争を正当化する声もあるようだが、内外に極限の痛苦と悲劇をもたらす戦争を、そして、日本を破滅のふちに追い込んだあの戦争を、いかなる言葉をもってしても擁護することはできない。にもかかわらず、靖国神社はあの戦争を正当化しているかに見える。あの戦争を不当なものとしたなら、戦争に駆り出して、苦悶のうちに死なせたひとに対して申し開きできない、というのであろうか。戦争の正当化をもって戦死を美化したならば、戦死者の霊を愚弄することになるはず。戦没者の御霊に対して過去の過ちを深く謝罪すること、それこそが正しいあり方ではないのか。
 戦死した身内の者に想いを致し、靖国神社を心の拠り所としているひとはともかく、身内に戦死者がいないにも拘わらず、靖国神社を尊崇しているひとたちは、いかなる心情を抱いているのだろうか。戦没者に対する畏敬と哀悼の念?それとも・・・・・・・?
 日本を戦争のできる国(一部の政治家が口にする普通の国?)にすべく意図する者にとっては、英霊を祀る神社は貴重な存在であろう。そう思えば、靖国神社に参拝した政治家の、「国に命を捧げた英霊に尊崇の念を表し、その霊を慰める」なる言葉が、どうしても気になってくる。英霊と呼ばれている御霊たちは、政治家たちのその言葉を聞いて、もしかすると不安を覚えているのではないか。憎んでも憎みきれない戦争により、いつかまた、新たな「英霊」が祀られることになりはしないだろうか、と。
このように書いた私だが、靖国神社を否定するつもりはまったくない。靖国神社を尊崇する遺族と、戦争を呪いつつ犠牲になりながらも、英霊として祀られることに救いを求めていた御霊があるからである。とはいえ、英霊と称されている御霊たちには、無限に拡がる霊界で、自由に楽しく暮らしてもらいたい。狭い神社の中に鎮座しているよりも、その方がはるかに好ましく、御霊たちも望むところだろう。霊魂の実在を知っている私にすれば、そのように願わずにはいられない。
特攻隊員を主人公とする小説「造花の香り」(アマゾンの電子書籍であるキンドル本として公開中。本ブログの左側サイドバーに概要を表示)の中に、次のような文章がある。鹿屋の出撃基地で待機中の良太が、親友に遺すノートに記した言葉である。

「造花の香り 第六章」より引用
 …………今日は一緒に出撃する仲間たちと散歩にでかけ、辺りの景色を眺めながら雑談のひとときを過ごした。
 …………靖国神社を話題にしたとき、出撃に際して交わされる「靖国で会おう」という言葉は、気持を通い合わせるうえでの合言葉の如きものだと仲間が言った。軍とは関わりのない忠之にも理解できると思う。俺の隊にはキリスト教徒がいるのだが、その仲間ですら言うのだ。自分は靖国神社に祀られるつもりは全くないが、出撃に際しては靖国で会おうという言葉を口にするかも知れない。かく言う俺自身の気持を言えば、その言葉を残して出撃することになろうと、神社に留まるつもりは少しもない。神社の中に閉じこもっているより、俺の家族とお前や千鶴の気持にいつでも応えられるよう、宇宙の中で自由に羽ばたいていたいと思う。俺自身は靖国神社を必要としないが、家族にとっては靖国神社が俺の墓標の如き存在になるだろう。俺が英霊として崇敬されていることを確認できる場所にもなるだろう。それは俺の場合に限らないわけだが、キリスト教徒の場合にはどうであろうか。殉国の至情に燃えているその仲間のことを思えば、国に命を捧げた者のための象徴的な墓標は、靖国神社のほかにも必要ではないかと思う。日本人が過去を振り返り、未来を考えるためにも、空襲の犠牲者などをも対象にした、大きな墓標をしっかりと打ち建てるべきではないか。これを記しているうちに、俺はその実現を強く願うに至ったのだが、忠之はどう思うだろうか。  (引用おわり)


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