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人が生きる目的は幸せになることか? [人生]

  数十年も昔のある日、友人から質問されました。「人生の目的は何だと思うか」
  私が答えるより先に、その友人は自説を口にしました。「人生の目的は幸福になることだ」
  単純な私は思いました。せっかくの人生だから、誰もが幸せになりたいはず。「人生の目的は幸福になること」なる言葉は、それを端的に表現したものであり、受け入れてもよい考え方だ。
それから数年後のある日、職場の若い女子社員と話していると、「人が生きるのは何のためだと思いますか」と問われました。相も変わらず単純だった私は、友人がかつて主張した言葉を口にしました。「人生の目的は幸福になることだよ」
すると、まだ10代のその女子社員が異を唱えました。「違うと思います。人生の目的は生きることだと思います」
  それからさらに数年が経ってから、現在の科学では説明できないどころか、あり得ないと思われることを体験しました。それを幾度も体験した私は、精神世界に関わる書物を読みあさり、さらには、10月8日の記事 淺田次郎の小説「降霊会の夜」についてに記したように、日本心霊科学協会(注1)を訪ねるに至りました。10月8日のその投稿記事には、そこを初めて訪れた日の、信じがたい体験が記されています。
 自ら体験した不思議なことと、その正体を知ろうとして学んだ知識が、私に霊魂の実在を確信させました(注2)。そこに至ってようやく、人が生まれてくる目的がわかりました。それは、精神世界についての知識を持つ人ならば、基本的に受け入れていることであり、一言で言えば、まだ10代だった女子社員から聞かされた「人生の目的は生きることにあり」です。もう少し言葉をたして、「人生の目的は生きることにあり、生きることを通して霊的に成長するために」とすればより正確な表現になります。
    ここまで読んで、胡散臭い文章だと思われたでしょうか。おそらくは、多くの人がそのように思われることでしょう。自ら不思議なことを体験しなかったなら、私もまた、精神世界に興味を抱くことはなく、そのような書物や話題を拒絶したかも知れません。そう思えるだけに、10月8日の記事 淺田次郎の小説「降霊会の夜」についてを、多くの人に読んでもらいたいと願っています。
  まだ10代でありながら正論を口にした女子社員は、寺山修司主宰の劇団「天井桟敷」に関わっていたと聞きました。技術的なことに熱中していた世間知らずの私より、人生について考えていたのかも知れません。それとも、精神世界に関わる知識をすでに学んでいたのでしょうか。
   このように書きましたが、「人生の目的は幸福になること」なる言葉を否定するつもりはありません。それどころか、私はこの言葉を支持しています。多くの人がこの言葉を受け入れ、他を不幸にしないことを信条としたなら、社会はずいぶん良くなることでしょう。とはいえ、「人生の目的は幸福になることだ」などと言われなくても、人は幸福になろうとして努力しているはずです。そのように努めた結果、幸福になる人もあれば不幸に終わる人もあるわけですが、たとえ不幸な人生を送ったにしても、その人生には意義があるはずです。「人生の目的は生きることにあり、生きることを通して霊的に成長するために」ですから、生きたこと自体に価値があるわけで、無意義な人生などはあり得いことになります。

    小説「防風林の松」 (注3)には、恋愛に関わる問題を解決すべく、主人公が伯父に助言を求める場面があります。そこでなされる会話を創作するに際して、記憶に残っている言葉を利用しました。 まだ若かった頃に聞かされた、「人生の目的は幸福になること」と「生きること自体が人生の目的」のふたつです。

注1 公益財団法人日本心霊科学協会
役員には4人の大学教授と3人の医療関係者が名を連ねるなど、霊に関わる団体としては異色な存在であり、そのホームページには、公益目的事業が次のように記されている。
   (1)心霊的といわれる現象の学術的研究の振興と教育
   (2)心霊知識の提供に関する事業
現在の理事長は防衛大学校名誉教授の大谷宗司氏である。

注2 10月8日の記事「 淺田次郎の小説『降霊会の夜』について」参照
日本心霊科学協会で体験させられた出来事などが記されている。

注3  防風林の松
左のサイドバー参照


    


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