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ファーストペンギンとしての雀 [小鳥たち]

今ではかなり知られる「ファーストペンギン」という言葉。ヨーロッパで使われ始めてからも百年に満たないのに、明治時代初期の物語であるNHKの朝ドラに出てきたので、多くの人が違和感を覚えたようです。

朝ドラのことはともかくとして、ファーストペンギンの資質をもつ者が得をするのは、ペンギンや人間にかぎらず、多くの動物について言えるでしょう。
  
スズメの群に餌をやり始めた頃のことです。餌をまくと、しばらくしてから一羽の雀が舞いおりる。その雀が餌をついばむ様子を見てから、仲間たちが次々におりてくる。それでもなお、木の枝から離れることができない雀もいる。ためらっていたその雀が餌とりに加わる頃には、地面の餌は少なくなっている。

今では雀たちもすっかり慣れているはずですが、餌を撒いたときに見せる反応には、雀ごとにかなりの個体差があります。窓を開けるとすぐに地面に降りたって餌を待ち受けるもの、餌が撒かれてから降りてくるもの、しばらく様子を見てから降りるもの。
餌をついばんでいる雀にさらに餌を与えるときも、見せる反応には個体差があります。窓を開けると驚いて飛び立つ雀がいる一方で、体に餌がふりかかっても動じることなく、せっせと餌をついばみ続ける雀もいます。後者の雀が悠然として見えるのは、ほかの雀たちより勇気があるからではなく、判断力に勝れているからだと思われます。背中に当たったものが餌だということを、瞬時に判断できるようです。

雀が見せる個体差は、素質の差というよりも、経験の差によるのかも知れません。いま訪れる20羽あまりの群は、数年前から餌をもらっている雀と、昨年の春に巣立った雀よりなっているはず。いまは恐るおそる餌とりに加わっている雀も、経験を積み重ねるうちに、餌が背中にふりかかろうが、悠然とついばむようになる可能性があります。

昔から、年長者に敬意をはらう習慣があるわけですが、理由のひとつは、積み重ねた経験に価値があるから、ということでしょう。長寿社会になっても人生は100年ほどにすぎない。年長者の経験を活かすことにより、自分の人生だけで学ぶより、はるかに多くのことを学べるはず。学校教育はまさにそういうことでしょう。とはいえ、これからは、人生経験の重要性が薄れてゆきそうな気がします。それが社会の進化の結果であれば良いのですが。



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