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塾に通わせるよりも有効な学力向上対策 [教育]

競争原理に支配されている日本の子供たちは、学校に加えて塾にも通うことになり、貴重な遊びのための時間を奪われている。偏差値教育の時代がもたらした好ましからざる結果とはいえ、子供時代という人生における貴重な時期を、他との競争のために犠牲にしていることになる。

子供たちにとって好ましいのは、塾に通うなどして勉強を強いられることなく、それでありながら成績が良くなることである。中学1年生までの私は勉強ができなかったが、塾になど通うことなく(学習塾など存在しない時代であった)ある時期から急速に成績が良くなった。そのいきさつは、2015年8月23日に投稿した記事「成績劣等生から技術者への道のり」に書いた通りであるが、ここで少し補足しておきたい。成績向上に寄与したのはラジオ技術の独学であろうと書いたが、私がそう思っているだけのことであって、もしかすると、ラジオの勉強をしていなかったにしても、成績が向上していたのかも知れない。中学生になって小学生時代とは気持ちに変化をきたし、そのことが勉強に対する意欲を向上させた可能性がある。勉強に対して意欲を持ち得たのは、当時は偏差値教育ではなかったために、自分が他よりも劣っていると卑下することがなく、自らの能力を悲観して諦めたりしなかったからであろう。自分の能力を悲観的に見なしていたら、ラジオの独学にチャレンジしようとは思わなかっただろうし、成績劣等生から抜け出すことも難しかったのではなかろうか。

偏差値教育の中で落ちこぼされている子供達は、自らを否定的に見ているはずだから、塾に通わされたところで、苦労しながら学ぶことになりそうである。私が書いた小説「防風林の松」(左のサイドバーに小説の概要が表示されている)の中に、次のような文章がある。

小説「防風林の松」より引用

・・・・・・ 僕の話を聞いて坂田は言った。「今の日本では、小学校や中学校で落ちこぼされたら、そこから這い上がるのに苦労するわけだが、落ちこぼされている子供の中には、お前みたいなのがたくさんいるのかも知れないぞ。先生の話をろくに聞かずに、自分が興味を持っていることだけを考え続けているような子供が。そんな子供はほんとうは普通以上に集中力があっても、勉強する気も能力もないと決めつけられるんじゃないのかな、いまのような偏差値教育の中では」
「長岡半太郎や本多光太郎も、小学校時代には勉強ができなかったそうだから、今の日本に生まれていたら、世界的な学者にはなれなかっただろうな」
「今の日本では、小学校でつまずいた子供は催眠にかかってしまって、自分には能力がないと思い込むようになると思うな。そうなると、たとえ努力をしたところで、催眠にかかっているために勉強は身につかないわけだ。お前の場合には運が良かったんだよ。オーディオ装置に興味を持ったおかげで、うまい具合に催眠から醒めることができたんだからな。電子回路を勉強したきっかけが音楽というのは、お前だけかも知れないけどな」           (引用おわり)


成績が悪かった頃の私は、自分の成績を苦にすることがなかったのだから、自信のなさが成績に影響していたとは思えない(付記)。多くの科目は退屈だったとはいえ、勉強を嫌うことはなかったのだが、興味のあることにしか集中できず、そうでないことにはまったく身が入らなかった。学ぶ目的を理解できていなかったことが、成績不振の原因だったということだろう。中学生や高校生が受験勉強に熱中するのは、勉強に励む目的が明確だからである。

小学生時代にある程度まで勉強ができれば、中学以降の勉強でさほどに苦労しないはずだから、小学生時代に学ぶ目的を理解した子供たちは得をすることになる。小学生を塾に通わせるよりも、学ぶことの面白さを教えることや、学ぶことの意義を教えたほうが、はるかに効果的ではなかろうか。2015年9月24日に投稿した記事「子供を学習塾に通わせるより読書の喜びを教える方がよい」に書いたように、小学生時代に読書に親しませることも、学力を向上させるうえで役立つと思われる。

子供を塾に通わせることは、子供に過重な負担を強いるとともに、塾費としての出費も嵩むことになる。学力向上を塾まかせにする前に、保護者としてなすべきことがあるのではないか。学ぶ目的を理解させること、意欲を高めるうえでの心理的な働きかけ、読書の楽しみを教えること等々。2016年12月5日に投稿した記事「子供の心理と学校での成績・・・・・・注目すべき実験の結果」に書いたように、心理的な要因が学校での成績に大きく影響するのだから。  


付記
まだ偏差値教育が導入されていなかった私の時代には、成績をまわりの者と比較したり、互いに競ったりすることがなかった。他より成績が劣ることを意識しなかったから、自信をなくすことによって勉学意欲を失うという危険性もなかった。これはむろん私自身について言えることだが、さほどに間違った判断ではないという気がする。


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