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日本人の特徴・・・・・・ノーベル賞と太平洋戦争 [政治および社会]

カナダ在住の日本人によるブログ「外から見る日本、見られる日本人」に、このような主旨の文章が記されている。「科学部門のノーベル賞を受賞する日本人が多いのは、研究にしろ物事にしろ、それをどこまでも掘り下げ、深く追求しようとするする特徴があり、目的に対しての達成感を求めようとする特徴があるためだと思われる」
海外生活が長いというそのブログの主は、「最後の詰めが甘いことと、物事を途中で投げてしまう傾向にあることが白人の弱みである」とも書いている。

その記事を読んで私は思った。ノーベル賞を受賞するような科学者は国籍や人種にかかわらず、研究対象を深く追求し、執念を燃やしてそれに取り組み、賞に値する成果をなしたはず。白人の受賞者は多いのだから、指摘されるような弱みを持たない白人も多いと思われる。それはともかくとして、具体的な目標に対するときの日本人には指摘される傾向がありそうだ。研究や仕事についてはそのように言えるかも知れないのだが、政治や社会問題についても、問題を深く掘り下げ、考え抜こうとするところがあると言えるだろうか。戦前の軍事技術に関わった技術将校たちは、個々の技術を深く掘り下げ、勝れた兵器を開発したわけだが、政治を担ったいわゆる高級軍人たちは、日本を導くうえで検討すべき事柄を、どこまで深く考えたと言えるだろうか。
      
今年の1月6日に投稿した記事「永井荷風の想いと軍人たちの感性」の中に、私は次のような文章を書いている。
〈真珠湾攻撃の企ては、「長期戦ではアメリカに負けるが、緒戦の段階でアメリカに大きな打撃を与えて戦意を喪失させるなら、有利な条件にて講和に持ち込めるだろう」と判断してのことだったという。アメリカが先に手をだした戦争であっなら、そして緒戦で日本が圧倒的な勝利を収めたならば、講和に持ち込める可能性があったかも知れない。日本から仕掛けた戦争ならば、アメリカは勝つまで戦うに違いない、と誰も想わなかったのだとしたら、戦前の高級軍人たちの認識はまことに甘く、まともな人材がいなかったとしか思えない。〉

戦前のリーダーたちが、日本とアメリカの現状を見極め、戦争をしかけられたアメリカ人の心理を想い、戦争の推移に想いをはせたなら、アメリカに対して戦争をしかけることなどできなかったはずだが、上記のような甘い判断に基づいて開戦に走った。それを責める戦後の日本人に対して、「現在の価値観に基づいて過去の政治を断罪してはならない」と批判する声がおこるのだが、戦前の日本にあっても、政治や軍部の過ちを批判する声が存在していたことは事実である。遺された日記などによれば、永井荷風の他にも多くの日本人が、軍人主導の政治を批判しており、愚かな戦争に否定的だった。声なき声と言うべきそれらの声が、「現在の価値観によって過去の過ちを断罪するな」なる声に反駁している。

付和雷同的に軍と政府を支持した国民が多かったのは確からしいが、政府や軍を批判した国民の声なき声が多々あったことも事実である。そのことは広く知られて良さそうに思うが、とくに強調しておきたいことは、批判者たちの声が「声なき声」でしかあり得なかったことである。治安維持法が幅をきかせていた戦前の日本は、いまの北朝鮮や中国のように、思想や言論の自由が制限された国だった。思想や言論に対する締め付けは厳しく、作家の小林多喜二は思想犯として逮捕され、警察による拷問で殺されている。政治に対する批判がいかに正論であろうと、声なき声に終わるしかなかったのである。70年前の日本がそんな国であったことを、今の若い世代はどの程度まで知っているのだろうか。民主主義と平和主義を将来にわたって維持してゆくためには、そのことを学校できちんと教える必要がある。ドイツはそのような方針に基づき、教育の場で過去の過ちをしっかり教えているのだが、自民党政府はそれを望まないようである。

国を導くべきエリートを自認する者たちこそが、国を過つのみならず破滅に導くことすらあり得る。そのことを日本人が痛切に思い知らされたのは、私が小学生だった頃のことである。政治が誤った方向に進むのを止めるためにも、政治をより良いものにしてゆくためにも、政権を適宜に交代させた方がよいはずである。とはいえ、自民党政権があまりにも長く続いたために、政権が交代すれば混乱やもたつきがもたらされ、政治が停滞する可能性がある。そのような事態をしばらくは受け入れ、政治を見守る度量が国民になければ、政権の適宜な交代が好ましかろうと、その実現は難しそうである。この国の将来をより良きものとするためには、政治家と国民ともに度量の広さを求められることになる。

いまの日本は民主主義国家とはいえ、その基盤となるべき国民は、問題だらけの政治を怒ることなく、いいかげんな政治家と既得権擁護の政党を支持し続けている。政府が憲法を蔑ろにしても、膨大な税の無駄遣いをしても、政党が国益よりも自党の利益を優先しても、官僚が自らの利益と省益を国益に優先させても、国会議員が国民の代表であることを忘れても、韓国のような騒ぎになることはなく、昨日に続く政治が今日も行われ、明日も今日の続きの政治が行われ、そして・・・・・・となって行く。はたしてこれで良いのだろうか。

曰く、日本人の特徴が科学技術分野での活躍をもたらす。願わくは、「曰く、日本人の特徴が、世界に範たる国を作り上げるに至った」となることを。 


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