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内向的性格の人に出番あり [政治および社会]

小説「造花の香り」(本ブログのサイドバーに紹介記事)に描かれるのは、太平洋戦争たけなわの時期にありながらも、青春の日々を有意義に生きようとする若者たちである。戦時の東京で学生生活を送る主人公たちは、当然ながら時代の思潮の中で生きているわけだが、それにもかかわらず、主人公とその親友はリベラルな思考を維持できている。小説の中ではその理由として、高校時代の恩師からの影響を示唆しているのだが、主人公である良太の性格にも関わっている。良太の性格は小説の随所からくみ取れるはずだが、それを内向的な性格と指摘する箇所がある。良太にとって恩人と呼ぶべき恩師から、良太に送られた手紙の文章である。


 「造花の香り第三章 昭和十八年秋」 より引用

〈・・・・・・徴兵検査の結果を知らせに来てくれたとき、君は私への恩返しをしないままに出征する不安を口にした。私はそのようなことを気にする必要は全くない旨伝えたはずだが、忠之からの手紙で君がその不安を抱き続けていることを知り、この手紙を送ることにした次第。
 君にそのような不安を抱かせていたことを、私はまずはじめに謝らねばならない。君はすでに私に対して充分に恩返しをしてくれているのだから。
 私は村の小学校に転任して君の学級の担任になった。私の見るところ、君には純真なところと共に内向的なところがあった。内向的なる言葉には内向きで非発展的な響きがあるが、私はそうは思わない。そのような人は自らを返り見つつ、自らの生きる道を切り開いてゆく力を備えていると思う。その頃の君には目立つところはなかったのだが、学業成績は良いほうだった。忠之はといえば学科によって成績に極端な差があった。そこで私は君に助力を乞うことにした。そのために私がいかなる手立を講じたのか、賢明な君にはこれ以上の説明を要しないはず。私は忠之のために君を利用したわけだが、忠之のためだけでなく、君のことをも充分に考えていたことをもって御容赦願いたい。・・・・・・〉       (引用おわり))


4月9日の記事「小説の神様に扶けられて書いた小説」に記したように、「造花の香り」は走る筆に引かれながら書いた小説である。引用した上記の文章も、文案を練るまでもなく、思い浮かぶままに記したものである。深く考えることなく湧き上がったのだから、上記の「内向的なる言葉には内向きで非発展的な響きがあるが、私はそうは思わない。そのような人は自らを返り見つつ、自らの生きる道を切り開いてゆく力を備えていると思う。」なる文章は、私が過去に読んだ文章から派生したものかも知れないのだが、そうであろうと、私自身もそのように思いつつ、小説の中に上記の言葉を記したことは確かである。


2016年10月29日に投稿した「三笠宮は戦時中にあってもリベラルだった」は、戦前の帝国陸軍の軍人だった三笠宮様が、軍の幹部を前に講演し、「中国大陸で日本軍がなしつつあった暴虐な振る舞いを痛烈に非難し、反省を求めた」ことに関わる記事である。朝日新聞に掲載された三笠宮追悼記事(2016年10月28日)を参考にして書いたものだが、朝日新聞のその記事には、三笠宮作成の冊子「支邦事変ニ対スル日本人トシテノ内省」について、次のような文章が記されている。


〈・・・・・・言論が弾圧されていて一般幕僚が発言するのは難しいので、皇族である自分があえて発言すると書いています。そして、支邦派遣軍は日中戦争の本質の認識や、解決への努力が足りないと指摘。満州事変・支邦事変の主な原因と責任は日本現地軍にあること、日本は戦闘に勝っても戦争に勝ったとはいえないこと、蒋介石を抗日に追いやったのは主に日本側に責任があることを述べている。日本軍の「略奪、強姦、良民の殺傷、放火等」とも書いています。皇族として特権的に自由を享受しえた立場から、日中戦争の現実を明快に分析しています。
  つまり、三笠宮様は戦後になってから、戦争の罪悪性について言われたのではなく、戦争中から、満州事変以降の日本の軍事行動に対する強い批判を一貫して持っていた。明らかに今で言うリベラルです。
  単に戦争一般を批判して、「戦争は罪悪だ」と言うのではない。目の前にある戦争の現実を冷徹に認識し、日中戦争全体を俯瞰する視点を持ち得ている。誰もこんな記録は残していない。戦前と戦中、戦後をつなぐ、重要な媒介者的な役割を果たされた。(引用おわり) 〉


この記事から判断すれば、三笠宮様は正義感が強く勇気もあるかたであって、内省的な人柄だったであろうと思われる。天皇の弟宮である三笠宮の強い願いを、戦前の日本軍部は無視して、その冊子を表には出さなかった。三笠宮は天皇の弟宮であり、戦時にあっても軍を批判できたわけだが、軍や戦争に対する国民の不満は、声に出すことをまったく許されず、胸の底に沈めておくか、日記などに記すことしかできなかった。幾人もの著名人によるそのような日記が、戦後になって公表されている。勇気をもって声を発した文化人もあったが、治安維持法違反として投獄され、獄死に至った者もかなりの数にのぼっている。


内向的な人による内省的な思考思索は、人類に有益な事柄や思想をもたらす可能性があると私は思うが、それがいかに価値あるものであっても、社会のために生かされるとはかぎらない。取り上げるべき正論や真に選ぶべき方途も、戦争のような非常時にあっては、戦争を遂行するうえでの妨害要素とみなされ、弾圧される可能性がある。正論が正論として受け入れられるには、それを可能とする社会でなければならない。今の日本は平時でありながら、自民党は放送や新聞に介入し、みずからの意向に逆らうものを抑圧しようとしている。テレビ業界は自民党に迎合し、自粛の動きがあるという。北朝鮮のミサイル発射を理由に地下鉄の運行を止めたのは、自民党に迎合して危機感をあおるためではないのか。このような政権が強引に成立を目指す共謀罪法案に対して、心ある国民の多くが疑問を抱き、不安を覚えるのは当然であろう。声を発することの少ない内省的人間たちに、声を発するよう求められている時代ではなかろうか。三笠宮様が声を励まされた時代とは異なり、いまはまだ、自由に声を出せる時代なのだから。共謀罪がいつの間にか幅をきかせるようになり、第二の治安維持法にならないとはかぎらないのだから。今の社会を覆う雰囲気が、治安維持法が制定されたあの時代のそれに似ているのではと、歴史に学ぶ人たちが声を発しているのだから。


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