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歌詠みではない者が歌を詠むとき [小説]

このブログで歌をとりあげるのは、2015年9月9日の記事「父の歌集」以来である。

歌を詠む趣味がないので、これまでに詠んだのは数えるほどしかないのだが、そのうちの2首は小説「造花の香り」(本ブログ左サイドバー参照)のために詠んだものである。(詠むというより作ったと言うべき歌なのだが)


特攻隊員たちの遺稿を読むと、かなりの隊員たちが歌を遺していたことがわかる。「造花の香り」の主人公である良太も、九州の特攻基地で二首の歌を詠むのだが、そのうちの一首が序章を締めくくる部分にも出てくる。


「造花の香り」の序章より引用
  ・・・・・・・・・・・・
「そうかも知れないわね」桜を見あげて千鶴が言った。「私たちはあのような時代に生れ合わせて、あのように関わり合いながら生きたんですよね」    
 いつのまにかふたりは歩みをとめて、桜の前に佇んでいた。千鶴の視線に誘われるまま、忠之は桜の梢に眼をやった。風が吹きぬけたのか、梢のあたりがいきなり揺れた。
 揺らめく若葉を眺めていると、良太の歌が思い出された。
   時じくの嵐に若葉散り敷くも桜な枯れそ大和島根に
 その歌は、良太が遺したノートに記されていた。その歌を詠んで間もなく、良太は沖縄の海をめざして出撃したのだった。


 千鶴が口にした「あのような時代」とは、昭和二十年の敗戦に至る戦争の時代であり、荒廃した祖国を復興すべく苦闘した時代である。
  治安維持法なる一法律が、思想と言論の自由をこの国から失わせることになった。政治への関与を強めはじめていた軍部が、いつのまにか政治そのものを動かすに至った。きな臭い匂いに気づきながらも、戦争が起こることなどよもやあるまいと思っていた国民は、巨大な渦に引きこまれるようにして戦争へ導かれ、ついにはその濁流にのまれた。
  人々は激浪に翻弄されながらも懸命に生きようとした。森山良太と浅井千鶴そして岡忠之は、そのような時代に青春の日々を過ごした。 (引用おわり)


この歌は、主人公の良太が出撃基地で待機しているとき、親友に書き残すノートに書き付けたものである(第六章 若葉の季節)。


「桜よ枯れることなかれ」の文意で「桜な枯れそ」と「・・・な・・・そ」の構文を使ったのは、高校時代に国語の授業で学び、興味を抱いていたからである。その程度の知識で使ったので、用法にあやまりがあるかも知れないのだが、そうであろうと、良太がそのような歌を詠もうとしたことにして、そのままにしておこうと思う。


2015年9月9日の記事「父の歌集」に書いたように、父は十代の頃から歌に親しんでいたのだが、私はこれまで数えるほどしか詠んでいない。そのうちの二首が「造花の香り」の作中の歌になった。歌詠みではない私が詠みなれない歌を作り、小説の中で公表したわけだが、「主人公の良太も歌詠みではなかった」ということにして、歌の拙さを受け入れてもらえたらと願っている。


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