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歌詠みではない者が歌を詠むとき その2 [小説]

7月15日に投稿した「歌詠みではない者が歌を詠むとき」なる記事に、小説「造花の香り」(本ブログ左側のサイドバー参照)の中で、普段は歌を詠まない私が二首の歌を作ったことを書いた。主人公の良太が出撃基地で待機しているあいだに、手紙やノートに書きつけた歌である。


先日の記事に出した歌は親友にあてたものだが、もう一首の歌は婚約者にあてた手紙に記される。


   枯るるなき造花に勝る花ありや愛しきひとの香ぞしのばるる


「造花の香り」を読んだ人にはこの歌が意味するところを理解できても、そうでない人には意味不明の歌であろう。条件つきでしか理解できない歌は、歌としては不適切なものと思われるが、私はあえてこのような歌を作中においた。4月9日の記事「小説の神様に扶けられて書いた小説」に書いたようにして、さほどに苦労することなく心に浮かんできたこの歌は、小説のタイトルになっただけでなく、小説のテーマのひとつにもなった。小説の終章に次のような文章がある。


「造花の香り 終章」より引用


   ・・・・・・
 良太さんは私や出雲の御家族のことを想うあまりに、写真であろうと特攻機の道づれにはできなかったのだ。良太さんは写真を持って行く代わりに、私が作った造花を身につけて行かれた。私の匂いをしみこませ、良太さんと初めて結ばれた日に渡したあの造花。
 出撃の二日前に書かれた手紙には、おわりの部分に歌が記されていた。その歌を千鶴は心のなかで読みかえした。
    枯るるなき造花に勝る花ありや愛しき人の香ぞしのばるる
 三鷹での良太との一夜が思い出された。良太への想いがわきおこり、千鶴の胸を満たした。良太さんはこの写真や造花を見ながら私を想い、あのことを思い出されたのだ。あのことは、三鷹で一夜を共にしたことは、良太さんのためにもほんとうに良かったという気がする。明け方の光のなかで眺めた良太さんの寝顔は、とても安らかで幸せそうだった。寝顔に触っていると眼を覚まされ、私の手をにぎって笑顔を見せられた。
・・・・・・・・
・・・・・・・・
「造花に勝る花ありや・・・・・・良太らしい歌だよな」と忠之が言った。
「法事のあとで、戦争を防ぐためにも歴史を学ぶべきだと話し合ったわね。岡さんはあのとき、歴史には造花に通じるところがあるとおっしゃったわ」
「良太の歌を読んだばかりだったから、こじつけみたいな言い方をしたけど」と忠之が言った。「もしも歴史の記録に偽りがあったなら、後世の人間はそこから誤ったことを学ぶわけだよ。歴史としての造花は飾り物ではなくて、貴重な人類の宝物なんだ。その造花にはしっかりと、本物の香りを持たせなくちゃな」
・・・・・・・・
「・・・・・・あの戦争がどんなものだったのか、それを一番よく知っている俺たちには、戦争を心の底から憎む気持を、歴史の中に残しておくという役割があるんだ。戦争の犠牲者や遺族たちの悲しみも、特攻隊員たちの想いも、歴史のなかにしっかり残しておこうじゃないか、二度と戦争を起こさせないために」
 ほんとうにその通りだ、と千鶴は思った。あの戦争を体験し、戦争がもたらす悲しみを痛切に味わった私たちには、後世の人に対して歴史上の責任があるのだ。岡さんが言われたように、歴史としての造花には、ほんものの香りを持たせなくてはならない。その香りが私たちの今の気持を伝えるはずだ。戦争を心の底から憎んでいる私たちの気持を。  (引用おわり)
 
ここに引用したのは、良太の婚約者だった千鶴が特攻基地の跡を訪れ、良太の妹や良太の親友と語り合う場面である。

私は「造花の香り」の終章を書きながら、「敗戦後の日本には戦争を憎む感情が充満していたはず。戦争を体験した世代のその感情が受け継がれてゆけば、反戦思想がこの国に根付いて、将来にわたって平和国家であり続けるだろう」と思った。


戦後間もない頃の日本には、戦争を憎む感情が充満していたはずである。その感情が憲法9条のもとになったのではなかろうか。憲法9条には、悲惨で痛苦に満ちたあの戦争を体験した者たちの、痛切な思いが込められていると私は思う。憲法改正を党是とする自民党だが、自民党議員の中にも護憲派と呼ばれる人がいる。憲法改正論者であろうと、戦争を憎む感情を受け継いでいる人であれば、9条の骨格だけは遺したいと願いそうな気がする。かく言う私もそのひとりである。


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