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「きっこのブログ」を読んで [小説]

幾度か紹介してきた「きっこのブログ」に、「歳時記と注解の世界」なる記事が投稿されている(3月31日)。俳人としても才能豊かなきっこさんによる、歳時記に関わる興味深い記事だが、後半は小説について書かれている。その一部をここに引用させていただくことにする。


きっこのブログより「歳時記と注解の世界」(3月31日)を引用


  ・・・・・・あたしは、「BOOK OFF」の100円コーナーに行くと、すでに読んだことがある有名な純文学でも、とりあえず文末の注解のページをひらいてみて、そこが面白かったら買ってみて、注解を楽しむことをメインにして作品を読み返すようにしている。また、文庫本と全集とでは同じ作品でも注解の担当者が違うことが多いので、何度も読んだことがある作品でも、図書館に行くと全集の注解をチェックする。たとえば、夏目漱石の『吾輩は猫である』や『坊ちゃん』や『こころ』などでも、図書館に並んでいる岩波の全集を見てみると、文庫本とはまったく違うディープな注解がびっしりと書き込まれていて、思わず夢中になってしまう。そして、何度も読んだはずの作品なのに、以前に読んだ時よりも何倍も鮮明な世界が広がってくるのだ。
  ‥‥そんなワケで、同じ小説でも、中学校で初めて読んだ時と、社会人になってから読み返した時と、結婚して子どもを持ってから読み返した時では、それぞれ印象が違ってくると思う。これは、最初に読んでから二度目に読み返すまで、二度目に読んでから三度目に読み返すまでに、いろんな人生経験をして、いろんな知識を得て、自分が成長したからだ。一方、文末の注解をじっくりと読み込んだ上でその小説を読み返すということは、この10年も20年も掛けて得る「いろんな知識」を、簡単に得られるお手軽な方法なのだ。だから皆さんも、ひと昔前の小説を読む時には、なるべく注解がびっしりと書き込まれた改定版を選び、じっくりと読み込んでみてほしい。そうすれば、たとえ何度も読んだことがある作品でも、必ず新しい世界が見えてくると思う今日この頃なのだ。(引用おわり)


文庫本や全集の巻末には、多くの場合、注解や解説記事がつけられている。小説に解説記事がある場合には私もそれを読むのだが、読後の余韻に誘われるままに読むのであって、きっこさんのような読み方をしたことはない。2015年9月11日の投稿記事「漱石先生こんばんは」には、きっこさんがロバート・A・ハインラインのSF小説「夏への扉」を繰り返し読んでいることを紹介したが、きっこさんはどうやら、幾つものお気に入りの小説を幾度も読み返すようである。「きっこのブログ」以前の「きっこの日記」から読んできた私には、きっこさんの記憶力は並外れていると思われる。そんなきっこさんは、ほぼ暗記していると思われる小説を繰り返し読み、それによって得るところがあるという。
        
きっこさんは「解説記事から得た知識とそれに触発された意識をもって再読すれば、その小説から新たなものを得ることができる」と言うが、私は「一度読んだ小説を読み直すくらいなら、別の小説を読みたい」ので、小説を読み直したことがない。とは言え、心のどこかで再読の価値に気づいてはいるような気がする。そのような気持ちが、小説「造花の香り」(本ブログの左サイドバー参照)の第一章に、次のような文章を書かせたのだと思う。


小説「造花の香り」第一章(昭和17年秋)より引用


 ・・・・・・数日ぶりに立ち寄ると、忠之は漱石の〈こころ〉を読んでいた。
「お前は漱石をほとんど読んだじゃないか、高校に入ってすぐの頃に」
「この家には漱石のものが揃っていると聞いて、千鶴さんからこれを借りたんだ。いいもんだぞ、小説を読みなおしてみるのも」
「小説もいいけど、ほどほどにしておけよ。軍事教練に時間をとられるうえに、年限を短縮して卒業させられるんだから」
「俺には小説が薬になるけどな、頭を柔らかくしておくための」
「薬もほどほどがいいんだよ、過ぎると毒になるから」と良太は言った。
 心待ちにしていた千鶴の足音が、部屋の前の階段から聞こえた。・・・・・・  (引用おわり)


小説の再読に価値があろうと、私は新しい小説の誘惑に駆られる。さてどうしたものやら。

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