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冤罪をもたらした警察・検察・司法の罪  [政治および社会]

4月18日に投稿した「大統領をこきおろす映画を作れるアメリカという国」に記したように、ブッシュ政権に寄り添った記事を書いたニューヨークタイムズの記者が、ブッシュをこきおろす映画の中で近影をさらされ、大恥をかかされているという。その記事を読んで思ったのは、冤罪をもたらした警察や裁判官たちの責任である。


死刑あるいは無期懲役の判決を受けながら、後に冤罪と判明した例が幾つもある。そのほとんどは自白を根拠にした判決だが、犯してもいない罪を自白することなど、本来ならばあり得ないはずである。にもかかわらず、この国では自白を根拠になされた冤罪事件が繰り返されてきた。無実の人間を犯人と決めつけ、不当かつ苛酷な取り調べにより、嘘の自白に導いたようである。冤罪を引き起こした者たちは、もっとも悪質な犯罪者と言えるわけだから、本来ならば重い罪に問われるべきだが、現実には、冤罪に関わった警察や検察さらには司法の者たちは、罪の報いを受けていないようである。


冤罪が繰り返されるこの国には、それをもたらす者を憎む者も当然ながら多いはずであり、それを告発する映画も作られている。元福島県知事佐藤氏に関わる冤罪事件を取り上げた「『知事抹殺』の真実」や、痴漢事件に関わる「それでもボクはやってない」は、いずれも実際にあった事件にもとづいたものである。私の学生時代に公開された「真昼の暗黒」は、実際にあった殺人事件に関わる冤罪をテーマにしたもので、「真昼の暗黒」で検索すれば、今でもその映画について知ることができる。


実際にあった冤罪事件をもとに映画が作られるのは、それによって儲けるためというより、冤罪を憎む気持に押されて作られるのではないか。映画が作られないまでも、冤罪を訴える獄囚を支援する活動が幾つも進行中である。その活動を中心となって支えているのは、強い正義感と人道主義をもつ弁護士たちである。その努力によって冤罪が明らかにされたとき、警察や検察を責める役割は、弁護士たちではなく一般の国民が担うべきだろう。マスメディアが大きく取り上げ、冤罪に関わった者たちの実名を報道し、その罪を問うのが望ましい。本来ならば重い罪に問われるべき者たちに対して、せめてその程度の罰は与えたいものだが、犯罪者でありながら、そのような罰を受けた者はひとりもいない。


有名人の不倫が大げさに報道されるが、不倫は当事者達の個人的な行為であり、冤罪をもたらした者たちのような犯罪者ではない。未成年の犯罪者が違法なやり方で週刊誌などに写真を掲載されたことがあったが、冤罪をもたらした者たちこそ、社会から厳しく糾弾されるべきだろう。そうでもしないかぎり、人権蹂躙的なやり方で嘘の自白を強いられる被害者が、これからも作られる虞がある。


自民党政権のもとでは、自民党が冤罪を作り出していると疑われる事件がある。小沢一郎や佐藤元福島県知事に関わる事件である。森友学園事件では、明らかに偽証罪を犯した者に何らの咎めがない一方で、森友学園の元理事長夫妻は長期にわたって拘留された。異常なほどの長期拘留がなされたからには、何らかの処罰を受けさせられる虞があろう。この国の司法制度には、前近代的なところが遺されているのではなかろうか。




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