SSブログ

ユーチューブで見た古い放送番組「夢であいましょう」 [雑感]

4月18日に投稿した「自分の過去の仕事に関わる記事を発見」に、このような文章がある。

                                                   


放送局用のビデオテープレコーダーが実用化されたことにより、番組の製作方法が大きく変わることになった。昭和30年代の人気番組「夢であいましょう」は、スタジオからの生放送で行われていたし、テレビドラマも生放送か映画収録の形で行われていたのだが、ビデオテープレコーダーが使われるようになると、録画収録して制作されるようになった。>

                                                   


私がテレビを買ったのは、東京オリンピックの直前だった。「夢であいましょう」が終了したのは、それから2年後の昭和41年だったというが、私は自分のテレビでその番組を見たことがなかった(と思っている)。私がその番組を見たのは、京王線調布駅前の焼き鳥屋であった。印象に残っているのは、坂本九が唄った歌である。坂本九は笑顔で唄っていた、「ティカティカティカティカタイミング・・・・・・この世で一番だいじなのはすてきなタイミング・・・・・・」と。おそらくそれとは別の日であろうが、同じその店で、坂本九が「上を向いて歩こう」を唄う場面も見ている。まれにしか立ち寄らなかった焼き鳥屋だが、その店では、土曜日の夜10時過ぎには「夢であいましょう」を映していたのであろう。(もしかすると、ほとんどの飲食店が「夢であいましょう」にチャンネルを合わせていたのかもしれないのだが。)

                                                   


「夢であいましょう」は日本のバラエティ番組の草分けであり、テレビの歴史に遺る番組だという。そのような番組をきちんと見たことがないので、ユーチューブで「夢であいましょう」を検索してみたところ、その録画映像が見つかった。生放送されたはずの番組が、どのような形で録画されたのだろうか。

                                                   


調べてみたら、アメリカのアンペックス社が開発した放送局用ビデオテープレコーダー(VTR)をNHKが購入したのは、1957年(昭和32年)の末だったという。当時の日本円で2500万円以上だった(「国産放送用VTRの開発」<映像情報メディア学会誌Vol.59 No.2 稲津 稔>参照)というそのVTRは、「夢であいましょう」の収録にも使われたのであろう。「夢であいましょう」が生放送されたのは、その初期だけだったのかも知れない。

                                                   


私がユーチューブで見たのは、1965年2月に放送された番組とされている。白黒画面の中で、若かった頃の黒柳徹子や坂本九たちが躍動しており、昔懐かしいダイヤル式の電話を使う場面がある。永六輔構成になるその番組を、永六輔や中村八大たちの才能を思いつつ見た。「夢であいましょう」を見ようとしなかった私だが、いまになってユーチューブで見て、その番組がバラエティ番組の草分けとされ、記念碑的な存在とされる理由を知ることになった。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。