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「にっぽん縦断 こころ旅」を見て [人生]

NHKBS放送の「にっぽん縦断 こころ旅」を見ると、はるか以前に見た光景が浮かんでくることがある。
                                                   
「にっぽん縦断 こころ旅」にかぎらず、テレビで夕日が沈む光景を見ると、故郷の海辺で眺めた日本海に沈む夕日の情景を思い出す。太陽が完全に姿を隠すまで見続けたことが、過去に幾度もあったような気がするのだが、もしかすると、強い印象を残した1度だけだったのかもしれない。私は初めて書いた小説の中に、心に残るその情景を書き加えている。
                                                   
小説「防風林の松」(本ブログの左サイドバー参照)第4章出雲大社より
                                                   
 砂の表面がひときわきれいな場所を見つけて、僕たちは腰をおろした。
 水平線の上で輝く太陽は絶対的な存在だった。太陽はあたかも自らを荘厳するかのように、周囲の雲と海の面を鮮やかに彩り、視界のすべてを夕映えで染めあげていた。
 オレンジ色の輝きは、赤みを増しながら降りてゆき、ついに水平線に接した。
 太陽は水平線に溶けこむように形をくずしながら、思わぬ速さで沈みはじめた。華やかな入日の儀式に見とれているうちに、太陽はあっさりと姿を消した。
 主役の消えた舞台には、華麗な飾りつけがまだ残っていたが、その光景は淋しさにも似た感情をもたらした。刻々と色調を変える夕焼け空が、甘美でしかも憂いをおびた音楽を想わせた。
「こんどの旅行で一番良かったのは、今日の夕日とこの景色だわ。いつまでも忘れないような気がする、体の中まで染められるような夕焼け空と、沈んでいったあの太陽」
 旅行がまだ終わっていないにもかかわらず、絵里が口にした感想に、僕たちは共感の声をもらした。
                                         
どうかしたはずみに思い出すことのひとつは、昭和20年の春に見送った多数の軍用機とその轟音である。私を目がけるように超低空で飛来し、西の空に消えて行った幾つもの編隊を、76年を経た今もなお、私は鮮明に思い出すことができる。その記憶について記したのが、2015年10月16日の投稿記事「特攻隊要員の搭乗機を見送った日のこと」である。国民学校の1年生だった私が、生家の庭で眺めた情景である。
                                                   
「にっぽん縦断 こころ旅」は、視聴者から寄せられた手紙(その筆者にとって貴重な思い出の場所が記され、火野正平たちにそこを訪れるよう願う手紙である。)に応え、火野正平たちがその場所を訪れる趣向の番組である。2011年から続いているとのこと。私はときおり見るだけだが、長く支持されるにはそれなりの理由があろう。私はその番組に触発されて、今日の記事を書くことになった。書いているうちに、故郷での幼い頃のことが次々に思い出された。
                                                   
<ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしやうらぶれて 異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや>は、室生犀星の有名な詩である。私にとっての故郷は、ときに応じて帰りたくなり、その空気を吸いたくなる所である。


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