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フレキシタリアンという生き方 [雑感]

朝日新聞の文化欄に掲載されるピーター・マクミラン氏(詩人、翻訳家)のエッセイ「星の林に・・・・・・・・ピーター・マクミランの詩歌翻遊」は、日本の古典を取り上げる連載記事である。10月10日の記事には「輪廻を想い、動物を慈しむ」なる副題がつけられている。その記事の後半部分をここに引用させてもらうことにした。
                                                   
佛教では肉食や殺生を禁じているが、現代においてそれを完全に守ることは難しい。そこで提案したいのが「フレキシタリアン」というスタイルである。野菜中心の食生活を送りながら時たま肉や魚を食べる人のことで、その頻度などは各自が柔軟に決める。海外ではメーガン妃などの著名人や有名歌手をはじめ、多くの人が行っており、日本でも若者の間で「ゆるベジタリアン」として注目されつつある。
 実は私も動物福祉に反する映像を見て以来、 フレキシタリアンになった。皆さんも慈悲の心を持つところからもう一歩進んで、日々の暮らしの中で自然や動物を思った行動を実践してみてほしい。
                                                   
本ブログに投稿した「インコの気持(2015.6.20)」は、つぎのような文章で終わっている。
                                                   
 インコには、孤独のつらさや憎しみの感情など、思いの外に豊かな感情がありそうです。庭にやってくる小鳥たちも、しばしば感情をあらわにします。小鳥にすらそのような感情があるのですから、犬や猫はむろんのこと、牛や豚にも豊かな感情があるはず。ベジタリアンと呼ばれる人たちのなかには、動物たちが見せる喜怒哀楽の感情に心を動かされ、肉食ができなくなったひとがいるのかも知れません。私はさほどに肉を好まないので、牛や豚の肉がなくても苦にはなりませんが、ベジタリアンになれる自信はありません。動物性蛋白源を魚に限ったら?……さて、どうしたものやら。
                                                   
先日の投稿記事「言葉を交わす鳥たち」は、このような文章で終わっている。「小鳥たちにも言葉があり、感情がある。食肉用として飼われている豚や牛には、小鳥に勝る豊かな感情があるはず。テレビなどで紹介される飼育環境はあまりにも過酷なものに思える。せめてその飼育環境だけでも、もう少し改善してほしいものである。
                                                   
そのような文章を記した私は、ピーター・マクミラン氏の考え方に賛同するけれども、現実にはフレキシタリアンにもなっていない。必要なアミノ酸を納豆などの大豆食品から摂取して、肉食を減らしたいとは思っているが。


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