SSブログ

モーツアルトの寿命35歳をうらやましく感じた少年時代 [雑感]

2月12日に投稿した記事「理系と文系の垣根を越えた宮沢賢治」は、もしも賢治が60代まで生きたなら、そしてモーツアルトが60歳まで生きていたなら、そして・・・・・・と思う。で終わっています。その文章を書いたとき、私は小説「造花の香り」(本ブログの左サイドバーにて概要を紹介)の文章を思い出しました。
                                          
私が書いた小説「造花の香り」の中に、次のような文章があります。特攻隊での出撃を控えた主人公が、仲間の隊員と交わす会話です。
  
  
   ・・・・・・良太は吉田とつれだって、宿舎の出入り口に向かった。建物を出てからふり返ると、割れずに残っている窓のガラスが、午後もおそい日ざしをはねかえしていた。
 吉田と並んで歩きだすと、校舎の中からオルガンの音が聞こえた。音楽に素養のある隊員が弾いているのか、聴きなれた文部省唱歌の旋律が滞ることなく流れた。
「ところで森山、貴様は自分の寿命について考えたことがあるか」と吉田が言った。
「考えたことはないな、そんなことは」
「俺はモーツァルトが三十五歳で死んだことを知って、せめてそこまでは生きたいと思ったよ。その頃の俺は、二十歳までには死ぬと思っていたからな。中学に入ったばかりの頃だった」
「何かあったのか」
「肺浸潤になったんだ。残りの人生が数年しか残っていないような気がして、三十五まで生きたモーツァルトを羨ましく思った。三十五年も生きたなら、自分なりに何かをやれるだろうに、このまま死ぬのは悔しいという気持ちになったんだ。まだ十二だったからな」
「悔しいよな、たしかに。俺たちは日本のためどころか、人類全体のために役立つことができるかも知れない。そんな気持にもなるじゃないか。今の俺たちは死んで役に立つことしかできないが、この特攻がほんとに役に立ってほしいもんだよな」
「俺たちは実を結ぶどころか、花も咲かせずに散るんだ。俺たちの特攻が何の役にも立たないなんてこと、そんなことがあってたまるか」(造花の香り 第6章 若葉の季節 より)
                                                   
2017年4月9日に投稿した「小説の神様に扶けられて書いた小説」に書いたように、上記の文章もまた、走る筆に引かれながら書きました。深く考えることなく、35歳で没したモーツァルトが思い浮かび、上記のような文章になりましたが、私自身の体験も、この文章に関わっております。小学生時代に肺結核に感染した私は、父に連れられて幾度も出雲市の病院を訪れ、X線検査を受けておりました。両親からは何も聞かされませんでしたが、かなりの期間にわたって微熱が続きましたから、憂慮すべき状況にあったと思われます。モーツァルトが35歳で没したことを知った私は(知るに至った経緯に記憶はないのですが)、せめて35歳までは生きたいものだと思ったものです。そんな私は定年後に小説を書き、主人公たちに上記のような会話をさせることになりました。


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。