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父の歌集より 20 従軍中に詠まれた歌 5 [父の歌集]

旧軍隊では兵士のかなりが日記を付けていたようです。父は日記に手記とともに歌を記していたのでしょう。中国で詠まれた歌のすべてが、心に浮かんだ言葉をそのまま書いたものと思われます。
                                         
   歩哨に立つ
                                                   
草の種子しきりにとびてゐたりけり秋日輝く衛戍地の原
      衛戍(えいじゅ)・・・・・・大日本帝国陸軍において、陸軍軍隊が永久に
  一つの地に配備駐屯することをいう。その土地を衛戍地と称した。
  (Wikipediaより)
                                                     
   行軍演習の途次
                                          
小春日に光り輝きゐたりけりほくけ開きし薄の穂群
焼くいもの香なつかし故郷の秋しのびつつ行く夕近き街
支那街の夕を行けば大餅のにほひしきりに空腹にしむ
                                                   
   銃剣術大会
                                         
小春日の光のどけき営庭におらびたけびつ兵はたたかふ
                                                     
   鎮江に来てはじめての便りを得たり
                                          
焼甘藷(やきいも)を食みつつ子等は噂すと妻は告げ来ぬいとしき子等よ
                                                   
   十二月末頃防寒シャツと共に蒸しいもの干したるを送り来ぬ
                                         
子等と共に作りし甘藷ぞ味はえと妻は送りぬうれしかりけり
                                                   
   二十年一月十九日、留守隊を挙げて本隊に追及せむとて鎮江を出発
   す。南京にて待機、やがて揚子江を遡航、武昌より汽車にて奥漢線
   白水の独歩五十二大隊に至る。我が属せしは第三中隊(溝口隊)な
   り。二月十一日、白水を立ち、徒歩汨羅に至る。
                                                   
漢詩を好んだ父は、ときおり岩波文庫の唐詩選などを開いていました。漢詩に疎い私でも、詩人であって政治家でもあった屈原を知っています。屈原ゆかりの汨羅を訪れて、父はどんな思いを抱いたことでしょう。
                                                   
汨羅に向かったのは、紀元節(今の建国記念日のもとになった日)である2月11日だったとのこと。その日は学校で記念式典があったはずですが、私にその記憶はありません。4月29日の天長節(戦前には天皇誕生日を天長節と称した)で、上級生たちと声を合わせて、天長節の歌を歌った記憶はあるのですが。(今日の良き日は大君の生まれたまいし良き日なり・・・・・・)
                                                   
吾子らいま御旗かかげて今日の日を祝ひてあらむ姿偲ばる
中隊に帰り行かむとみ雪ふみなづみつつ行く汝が父われは
                                          
戦前の記録映画などで、国の記念日を祝う国民の、日の丸の小旗を手にした姿を見ることができます。紀元節や天長節で旗を手にしていたのかどうか、私にその記憶はありません。天長節の歌や、出征兵士を送る歌の記憶はかなり鮮明に残っているのですが。
上記の歌の「み雪ふみなづみつつ行く」なる言葉が、2015年10月投稿の記事「戦時中の小学生……田舎の学校での思い出」 」を思い出させました。

 

  


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