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父の歌集より 22  従軍中に詠まれた歌 7 [父の歌集]

従軍中の歌や手記には、ところどころに、かなりの期間にわたる空白があります。その間には詠まれなかったのか、もとの手記が失われていたのか、歌集に纏める際に省かれたのか、手書きの歌集からは理由がわかりません。きょう紹介する手記と歌は、前回の分から二ヶ月後の、昭和20年7月末に記されたものです。その半月後、日本は敗戦に至ります。
 
   七月二十九日第三中隊(民船隊)に出向民船に乗る、一等
   兵一名、苦力二名あり、船中の生活快適にして閑暇も多し
   子らのおもかげ髣髴たること多し
                                                                                                                                                 
日中戦争に際して、日本軍には民船隊なるものがあったようです。インターネットで調べても、それがいかなるものかわかりません。父はその民船隊に出向させられ、中国人たちとともに民間の船に乗ったとのこと。「船中の生活快適にして閑暇も多し」が、私には不思議な記述に思われます。
                                          
まひなかひにかかりもとほる面影を払ひもあえず子は恋しけれ
とつ国の遠き境にありかよふ汝が面影にあこがるく父ぞ
おもかげの日に幾度かまなかひをもとほることの常となりにき
うつつなに子らの面影追ひてゐる我に気づきて心わびしき
別れ来て一年を経しいかにかも育ちしならむふるさとの子は
吾子が植えし樟の若木のすくすくと育てよかしとはるかに思ふ
                                                   
私は父が出征する直前に国民学校に入学しました。学校が新入生全員にくばった楠の苗木は、庭の隅に根付いています。「吾子が植えし」とありますが、父か母に手伝ってもらいました。
                                                   
 「まなかひにかかりもとほる面影を払ひもあえず子は恋しけれ」なる歌が、高校の国語教科書にあった歌を思い出させました。万葉集の山上憶良による歌「瓜食(は)めば子ども思ほゆ 栗食めばまして偲はゆいづくより来りしものぞ眼交(まなかひ)にもとなかかりて安眠(やすい)し寝(な)さぬ」です。  父もまた、山上憶良の歌を思い浮かべつつ、前記の歌を詠んだのであろう、という気がします。


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