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父が遺した手記に思う [父の歌集]

昨年の夏から26回にわたって、「父の歌集より」と題した記事を書いてきました。その後半は、出征した父が中国で詠んだ歌と手記です。その手記には頻繁に地名が記されております。朝鮮の釜山から始まって、中国の浦口が記され、以降にこのような地名がでています。文在門、南京、幕府山、鎮江、武昌、白水、汨羅、河夾塘、湘陰、金維山、長沙,岳麓山、岳州、新・河、雲・、道人磯、城陵磯、五里牌、岳陽樓、漢口、上海、常州、大場鎮。
                                                                                                                                                 
かつて読んだ書物によれば、戦地の兵士が家郷などに葉書を書くとき、自分の在所を記してはならないとされていたという。そうであろうと、兵士たちは自分がどこに居るかを知らされていたようです。行き先を知る小隊長が、隊員にその地名を告げたのでしょうか。たとえ知らされても、地名をメモに記す人は少なかったのではないか。地名をメモに記すにしても、漢字の地名を書くのは容易ではなさそうです。父の手記には上記のごとく、難しい文字を含む多くの地名が記されています。漢詩に親しんでいた父には、中国の地名に知識や関心があり、知っていた可能性はありますが、もしかすると、戦後になってメモから書き移す際に、正しい漢字名にしたのかも知れません。あるいは、親しい軍人仲間の中に、中国の地名に詳しい者がいたのかも知れません。いずれにしても、多くの地名が記されていることにより、中国における父の動静を、ある程度まで知ることができました。

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