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朝日新聞の記者が体験した不思議なこと [雑感]

9月17日の朝日新聞「多事奏論」には、「霊感への過剰礼賛 不思議な体験くらい、なんですか!」なる記事が掲載されている。筆者は朝日新聞の記者であり、作家であって評論家でもある近藤康太郎氏である。
                                                   
その記事は、近藤氏の不思議体験から書き始められている。
                                                   
20年あまり以前に、近藤氏は耳鳴りに悩んだという。音楽評論家でもある近藤氏は耳鳴りが気になって落ち込み、治療に励んだのだが治らなかった。近藤氏は近所の町医者が不思議な治療をするとの噂を聞き、小さなその医院を訪ねた。その医師が近藤氏の耳に手のひらをかざすと、耳が熱を帯びただけでなく電気が走ったという。
                                                   
その医師は「おカネでしているのではない。欲が出るとこういうのは使えなくなるから」と言って代金を受け取らなかった。その数日後、気づくと耳鳴りが治っていたという。半信半疑だったが、以来再発していない。
                                                   
その記事は次のように続く。《わたしは先生の施術によって耳鳴りが治ったことを知っている。経験したからだ。しかし、科学はそう言わないかもしれない。時間が経って自然治癒したのだ、と。わたしは、耳に電気が走ったことを知っている。しかし、科学はそうは言わないだろう。電流計など、科学的な器具に計測されないものは、存在しない。反復できないもの、実験できないものは科学ではない。また、科学の立場はそれでいい。》
                                                   
評論家小林秀雄の超能力体験や、民俗学者柳田国男の神秘体験にふれたあと、それらは反復可能性が低く、実験もできないのだが、「しかし、このわたしに、科学で説明できない不思議が起きたという<経験>は、動かしようがない」と書いている。
                                                   
旧統一教会の件が近藤氏にその記事を書かせたという。近藤氏は書く《えせ宗教にありがちな霊感・予知・神秘体験を、過剰にありがたがるわたしたちの心性にも、問題がありはしないか。不思議を異常事態として、ありえない奇跡として、圧倒される。拝む。入れ込む。それは逆説めくが、科学を過剰に信頼していた裏返しにほかならない。予知・霊感など、科学が測定しない不思議なんかたくさんある。むしろ常識の範疇に属する。予知。霊感。なんですかそんなもの! おもちゃみたいな話じゃないか。》と。
                                                   
記事はこのように結ばれている。《耳鳴りが治ったわたしは舞い上がり、先生にお礼を言いに行くのを忘れた。海外勤務にもなりそのままになった。帰国後、ふと思い出してお礼に行こうとしたが、先生はすでに亡くなっていた。医院は閉ざされ、庭の雑草が背丈ほどに伸びている。いま、そのことを、深く悔やんでいる。》
                                                   
                                                   
近藤氏による記事を読んで、6月4日の投稿記事「予知夢と霊・・・・・・実在すれども科学では説明不可なるもの」と、2021年12月26日投稿の「ギックリ腰の原因と対策」を思い出しました。それらの記事とその付記に列挙した記事を、ともに読んでいただけるよう願っています。


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