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文部省の庁舎……至る所に紙の山あり [雑感]

私は仕事人生の後半を大学で過ごしたのだが、その間に文部省を訪れたことがある。半導体技術に関わる機器を購入すべく私学助成金を申請したところ、申請内容についての説明を求められ、文部省まで出かけることになった。

文部省の薄暗い廊下を目的の部署に向かっていると、通路のあちこちに書類の山が見られた。うず高く積み上げられたそれは、まさに紙の山といった印象である。

目的の部署について担当官との挨拶がおわると、担当官は椅子を引き寄せて私を横に座らせ、すぐに申請書を開いて検討し始めた。担当官はまさに事務的に、たんたんと書類を検討し、ときおり短い質問をした。質問に答える以外にやることのない私は、部屋の中を見回してみた。どの机の上にも書類が山積みになっているだけでなく、机の脇の床にも書類の山があった。付箋の類いは見られなかったから、必要な書類を探すのは容易ではなさそうだった。
私が見たのは数十年も前のことだが、中央官庁というところには、今でもあちこちに紙の山があるのだろうか。

文部省で印象に残っていることがもうひとつある。事務室の壁際に置かれているテレビが、かなりの音量で国会中継の画面を映していた。テレビに眼を向ける者がいなかったのは、文部省とは関わりのない質疑がなされていたからだろう。
事務室内に置かれたテレビに国会の様子が映され、官僚たちがその音声を耳にしながら執務する姿は、中央官庁でしか見られない光景であろう。

私は文部省だけでなく、昔の通商産業省(中央省庁の再編により、現在は経済産業省になっている)も訪れている。2015年8月27日の記事「技術開発をチームで推進する場合の問題点……私の経験より」にも書いたが、撮像管(注)の高性能化を目的とした補助金(当時の「鉱工業技術試験研究補助金」)を申請するため、会社の企画調査室長とともに訪れ、担当官の質問に答えながら申請内容を説明した。申請書があらかじめ提出してあったので、その内容にふさわしい技官が応対してくれたらしく、私が苦心して作った申請書の理論的な部分(自分の仮説を基に作成したものであり、立証されたものではなかったのだが)について、つっこんだ質問が繰り返された。担当官の質問に対して、私がむきになって答えたことが、付き添いの企画調査室長を不安にしたらしく、審査の合間の休憩時間にクギをさされた。「しゃべり方に気をつけないと、お役人の機嫌を損ねてしまう。」

その日はかなりの時間を通商産業省で過ごしたのだが、担当官とのやりとり以外のことで印象に残っているのは、部屋には大きな机が一つだけあったこと、二人の技官と私たちの4人しかいなかったこと、その部屋の付近には人影がなかったことである。技術的なことがらに関わる技官による審査だったから、通常の事務室とは離れた場所で行われたのかも知れない。私がまだ20代だった昔のことである。

思いがけなく、私はふたつの省を訪ねることになったが、幸いに、いずれも目的が叶って、助成金と補助金をもらえる結果になった。通産省の補助金を使った開発での苦労話は、2015年8月27日の記事「技術開発をチームで推進する場合の問題点……私の経験より」に書いた通りである。

きょうの記事を書くきっかけがあったはずだが、それが何であったのか、不思議なことに思い出せない。いずれにしても、私がまだ若かった頃の思い出である。

(注) 撮像管
テレビカメラのレンズを通して作られる光学像を、テレビ用の電気信号に変える真空管であり、テレビの黎明期から黄金時代に至るまで、貴重な役割を果たし続けた。
昭和60年代には主役の座を半導体素子に譲ったが、超高感度カメラ(夜行性動物の生態観察など、暗い被写体を撮影する目的に使われている。)の中には、今でも特殊な撮像管を使っているものがある。


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