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巨大な名門企業(RCA社)であってもつぶれることがある [雑感]

アメリカにはかつてRCA(Radio Corporation of America)という会社があった。テレビの送信から受信に至るまでの技術の多くを開発したのだが、そのことを知る日本人はどれだけいるのだろうか。テレビやラジオの技術に関心があった人でなければ、その全盛時代であっても、日本人の多くは知らなかったのではなかろうか。とはいえ、RCA社を知らないまでも、RCAケーブル(オーディオケーブルなどとして使用されている)を知るひとは多いと思われる。

RCA社は1919年に設立され、1922年には最初のラジオを発売したという。テレビに関わる技術を黎明期から主導し、今日に至るテレビの時代を切り開いた。テレビの映像撮影と受像に関わる特許の多くを有し、特許の使用料収入は莫大なものだったという。
                                                   
私はかつて電機会社に勤務し、撮像管(付記1)の仕事に関わっていた。その会社はRCA社とノウハウ契約をしていなかったのだが(RCAに対抗すべく、私は撮像管の改良に努めた。そのことを書いたブログの記事を、付記2に列挙しておく。)、販売数に応じてRCA社に特許使用料を支払っていた。テレビ受像機にもRCAの特許が多く使われていたから、日本の家電メーカーは多額の特許料を支払っていたはずである。
                                                   
撮像管やその基本となる光導電現象に関する理論を学ぶため、私は多くの書物や論文に眼を通したのだが、特に印象に残っているのは、RCA REVIEWに掲載されていた論文と、光導電理論の大家であったRCAのアルバート・ローズによる著書である。
                                                   
世界有数の家電メーカーであったRCAは、特許料収入をもとに多角経営に乗り出す一方で、ビデオディスクの開発に膨大な費用を費やし、その失敗によって経営不振に陥り、GE社に吸収される結果になった。それは1986年のことだが、私には信じられないようなできごとに思えた。
                                                   
1980年代には、日本の電機会社が技術力を高めるとともに、価格的にも有利な状況になっていた。日本の民生用電気製品が、アメリカをはじめとする世界市場で売れていた。テレビに関わる技術で名を馳せていたRCAは、そのような時代に消えることになった。
                                                   
きょう(2月25日)から、朝日新聞で「トヨタの実験都市」なる記事が連載され始めた。トヨタは、ウーブン・シティなる実験都市を作っているという。未来の都市生活を想定した実験都市だとのこと。トヨタが異例な試みにチャレンジする背景には、「従来のビジネスモデルでは生き残れないという危機感がある」からだという。トヨタにかぎらず、日本の製造産業には生き残ってもらいたいものである。  
                                                   
付記1 撮像管
テレビカメラのレンズを通して作られる光学像を、テレビ用の電気信号に変える真空管であり、テレビの黎明期から黄金時代に至るまで、貴重な役割を果たし続けた。昭和60年代には主役の座を半導体素子に譲ったが、超高感度カメラ(夜行性動物の生態観察など、暗い被写体を撮影する目的に使われている。)の中には、今でも特殊な撮像管を使っているものがある。
                                                   
付記2 撮像管の開発に関わる投稿記事の例











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