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高齢者の記憶力・・・・・・・・認知症になっても魂は向上し続ける可能性がある [人生]

私の母は記憶力に勝れ、百歳になっても前日のできごとなどを事細かにおぼえていたから、認知症とは対極の世界で生きていたと言えよう。その母は百歳を超えたころから、昔の思い出を語ることが多くなった。私は帰省するたびに、母に寄り添ってその聞き役になった。


母は出雲の地主の家に生まれたのだが、小学生時代に生家が没落する悲運に見舞われている。私はかなり以前にそのことを聞かされていたのだが、晩年になってからのある日、母はその経緯を語るとともに、昔の家の間取り図を描き、そこでの生活を語ったことがある。鉛筆で書かれたその間取り図は、まだ私の手元に保存されている。屋敷は広く、米蔵など3つの蔵が並んでいる。使用人や来客用などのトイレをふくめると、家には3カ所にトイレがある。家族が寝起きしていた部屋は、屋内の周囲にある廊下に接している。私は子供の頃から幾度も母の実家を訪れたのだが、昔の痕跡がいくらか残されているだけだった。母がどんな想いを胸にそれを描いたのだろうと想うと、メモ用紙に書かれたその見取り図を捨てることができない。


高齢者が昔を語るときには、過去を美化したがる可能性がありそうだが、晩年の母が幾度もたんたんと語った事柄にも、私の質問に応えた事柄にも、なにひとつ矛盾したところがなかった。母には過去の真実を語りたいとの思いしかなかったのだろう。


母は生家から20Kmほど西に住んでいた教師の父と結婚したのだが、そこに至る経緯を聞かされたのも母が高齢になってからだったと思う。最晩年には年に2回づつ帰省していたのだが、父とのなれ初めを幾度も聞かされた。今になってみると、聞くだけでなく質問などすれば、母にはもっと嬉しかったであろうと思えるのだが、ほとんどの場合、私は黙って聞くだけであった。親にかぎらず、人が思いを込めて語るときには、真剣に聞くだけでなく、その思いに応えるべきだという気がする。母の思いに充分には応えていなかったと、後悔している次第である。


霊魂の実在を識っている私は、いわゆるスピリチュアリズムの考え方を受け入れている。それによれば、人はこの世に目的を抱いて産まれ、魂を成長させてふたたび霊界に還るという。記憶力がなければこの世で学ぶことはできないはずだから、記憶力に恵まれない人は、この世に産まれた目的を達成しにくそうだが、おそらく、そうとはかぎらないだろう。勝れた催眠術師によって失われていた記憶が蘇る現象を思えば、記憶力の衰えにより記憶を失っているように見えても、魂には記憶が残り、この世での経験を通して魂は成長していると思われる。晩年を認知症で過ごす人は気の毒と言えるが、そのような病気をも含めて、この世に産まれた目的を達成するのではなかろうか。


母ほどには記憶力に恵まれていないが、現在の能力を維持しつつ、そのことを感謝しながら生きてゆきたいと願っている。


母は102歳で霊界へ移ったのだが、存命ならばきょうで104歳になっている。というわけで、珍しく個人的なことを書いたが、霊界の母に気持が伝わればと願っている。

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