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 しばらく投稿を休みます [雑感]

明日から10日間ほど、故郷の出雲に滞在します。パソコンを持参しますが、投稿はしばらく休むことになりそうです。

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旅先で知人と邂逅することの不思議さ・・・・・・その高い頻度を科学では説明できない [人生]

先日投稿した「村上春樹の新作小説を読んで」は、思わぬ時に思わぬ場所で、知人と出会う不思議さを書いた記事である。私は3度も経験しているのだが、もしかすると、私以外にもそんな経験をした人がいるのかも知れない。というわけでネットで調べてみたら、やはりそんな体験を書いているブログが見つかった。千葉県在住の主婦「ぴぃちゃん」さんのブログ「ぴぃちゃん 日々のできごと日記」の記事「旅行先で知人に会う確率?!2017-08-25 」である。旅行先で知人と邂逅した経験を、私と同じように3度も経験しているといい、その経緯が記されている。そのブログには、同じような経験を繰り返した人たちからの書き込みも記されている。


さらに検索してみたら、「教えて!goo」にこんな質問があった。


私は思いがけないところで人にばったり遭遇することが多いです!
  例えば海外に行ってその先で小学校の友人に会ったり、乗っている新幹線でたまたま同級生に遭遇したり、ふらっと立ち寄ったお店で長く会っていなかった高校の同級生と再会したり、、など色々あります!特に旅行中などに知人に遭遇することが多く、その数も一般の人より多いと思います。会う人は知り合い程度から、仲の良い友達、あまり好きでない人まで様々です。
  最近なんでこんな事がよく自分には起こるのだろう、この出会いにはどんな意味があるのだろうかと疑問を持つようになりました。
  どなたか同じ様な体験をされてる方、この様な現象に詳しい方!このパワーは一体なんなのか、回答いただけると嬉しいです。


それに対して幾人かが回答しているが、ベストアンサーに選ばれた回答は次のようになっている。


シンクロニシティという言葉をご存知ですか? 共時性なんて言われ方もしますが。
  これは、良い事だけでなく、悪い事でも起こると言われています。仲が良い人だけでなく、あまり好きではない人とも遭遇するのもそのためかもしれません。
  よろしければご参考にしてください。
    http://www.eccentric-i.com/guuzen.html
    http://www.jp-spiritual.com/syncro1.htm  


シンクロニシティについてWikipediaで調べてみると、解説は次のような言葉で始まっている。


 シンクロニシティ(英語:synchronicity)とは、ユングが提唱した概念で「意味のある偶然の一致」を指し、日本語では「共時性」「同時性」「同時発生」と訳される。例えば、虫の知らせのようなもので因果関係がない2つの事象が、類似性と近接性を持つこと。ユングはこれを「非因果的連関の原理」と呼んだ。
   シンクロニシティは日本語では「共時性」と訳され、複数の出来事が意味的関連を呈しながら非因果的に同時に起きることである。しかし、因果関係自体が哲学的議論になってくるため、正確な理解は難しく、解釈の余地が大きいとする考えがある。シンクロニシティは、それが起きることで意味を生成しているともいえ、ユングはシンクロニシティに現われる意味は、もっぱらユング心理学の中核概念である「元型」であると主張した。・・・・・・・・


ユングはそのように考えたらしいが、それが真理かどうか私には理解できない。ユングの主張はともかくとして、旅先などで知人と邂逅することは、極端に珍しいことではなさそうである。起こり得る可能性がゼロに近いことでありながら、ある程度の頻度でそれが発生していることになる。ということはやはり、そのような出来事が起こるのは「シンクロニシティすなわち意味のある偶然の一致」によるのであろうか。


確率的にはゼロに近いできごとを3度も体験したのだから、私の体験は意味のある偶然の一致(「共時性」あるいは「同時性」)によるものかも知れないのだが、ユングに関わる上記のような文章をよんでも、私にはすっきりとした判断ができない。


ささやかな同時性なら、私はかなりの頻度で経験している。新聞などを読んでいると、家族が観ているテレビから、私が読んでいる単語の音声が聞こえることがある。私がその文字を読むのと同時ゆえ、それまで全く意識していなかったテレビの音声が聞こえるのである。わずかでも時間がずれたなら、テレビの音声を意識しないはずである。これを同時性と呼べるかどうかわからないが、多いときには、月に数回も起こることがある。きょうの記事を書いていたら、そのことを思い出した次第である。
                                                  

私の旅行先での体験などが、共時性によって説明できるのであれば、不思議な邂逅を繰り返す人もさほどに珍しくはないのかも知れない。心理学者が調査すれば、案外に面白い結果が得られるかも知れないのだが。


確率的には極めて起こりにくいことでありながら、それが頻繁に生ずるのであれば、ユングが提唱した「意味のある偶然の一致(一般には「共時性」あるいは「同時性」と呼ばれるらしい)」なる概念に、かなりの真実性があることになる。本当にそれが真実だとしても、それを今の科学で説明できるだろうか。本ブログに幾度も書いてきたように、霊魂が実在することは簡単に実証できるのだが、今の科学で説明することはできない。高名な心理学者ユングが提唱した共時性の概念も、科学での説明は難しそうである。


科学技術の世界で生きていた私は、30代の中頃に至るまで、霊魂が実在するなどとは思えなかった。そんな私であったが、今の科学では起こり得ないはずの事柄を幾度も体験したために、科学で説明できないことであろうと、あたまから否定することなく、不思議な出来事を調べたいと思うようになった。私は強い好奇心に押されるままに、精神世界に関わる多くの書物に眼を通しただけでなく、公益財団法人日本心霊科学協会にでかけて、霊能者に会う体験をするに至った。


その結果、霊魂の実在が確かなものと識った私は、そのことを多くの人に伝えたいと願って、本ブログに繰り返し霊に関する記事を書いてきた。その幾つかを、先日の投稿記事「村上春樹の新作小説を読んで」にて紹介したのだが、再度ここに列挙しておく。その中には、日本心霊科学協会を訪れた日のことを書いた記事もある。






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高齢者の記憶力・・・・・・・・認知症になっても魂は向上し続ける可能性がある [人生]

私の母は記憶力に勝れ、百歳になっても前日のできごとなどを事細かにおぼえていたから、認知症とは対極の世界で生きていたと言えよう。その母は百歳を超えたころから、昔の思い出を語ることが多くなった。私は帰省するたびに、母に寄り添ってその聞き役になった。


母は出雲の地主の家に生まれたのだが、小学生時代に生家が没落する悲運に見舞われている。私はかなり以前にそのことを聞かされていたのだが、晩年になってからのある日、母はその経緯を語るとともに、昔の家の間取り図を描き、そこでの生活を語ったことがある。鉛筆で書かれたその間取り図は、まだ私の手元に保存されている。屋敷は広く、米蔵など3つの蔵が並んでいる。使用人や来客用などのトイレをふくめると、家には3カ所にトイレがある。家族が寝起きしていた部屋は、屋内の周囲にある廊下に接している。私は子供の頃から幾度も母の実家を訪れたのだが、昔の痕跡がいくらか残されているだけだった。母がどんな想いを胸にそれを描いたのだろうと想うと、メモ用紙に書かれたその見取り図を捨てることができない。


高齢者が昔を語るときには、過去を美化したがる可能性がありそうだが、晩年の母が幾度もたんたんと語った事柄にも、私の質問に応えた事柄にも、なにひとつ矛盾したところがなかった。母には過去の真実を語りたいとの思いしかなかったのだろう。


母は生家から20Kmほど西に住んでいた教師の父と結婚したのだが、そこに至る経緯を聞かされたのも母が高齢になってからだったと思う。最晩年には年に2回づつ帰省していたのだが、父とのなれ初めを幾度も聞かされた。今になってみると、聞くだけでなく質問などすれば、母にはもっと嬉しかったであろうと思えるのだが、ほとんどの場合、私は黙って聞くだけであった。親にかぎらず、人が思いを込めて語るときには、真剣に聞くだけでなく、その思いに応えるべきだという気がする。母の思いに充分には応えていなかったと、後悔している次第である。


霊魂の実在を識っている私は、いわゆるスピリチュアリズムの考え方を受け入れている。それによれば、人はこの世に目的を抱いて産まれ、魂を成長させてふたたび霊界に還るという。記憶力がなければこの世で学ぶことはできないはずだから、記憶力に恵まれない人は、この世に産まれた目的を達成しにくそうだが、おそらく、そうとはかぎらないだろう。勝れた催眠術師によって失われていた記憶が蘇る現象を思えば、記憶力の衰えにより記憶を失っているように見えても、魂には記憶が残り、この世での経験を通して魂は成長していると思われる。晩年を認知症で過ごす人は気の毒と言えるが、そのような病気をも含めて、この世に産まれた目的を達成するのではなかろうか。


母ほどには記憶力に恵まれていないが、現在の能力を維持しつつ、そのことを感謝しながら生きてゆきたいと願っている。


母は102歳で霊界へ移ったのだが、存命ならばきょうで104歳になっている。というわけで、珍しく個人的なことを書いたが、霊界の母に気持が伝わればと願っている。

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村上春樹の新作を読んで [人生]

図書館に並べられている雑誌を眺めていたら、「文学界」の表紙に「村上春樹」の文字が見えた。新作の短編小説が掲載されているという。興味を惹かれるままに開いてみたら、「ウイズ・ザ・ビートルズ」と「ヤクルト・スワローズ詩集」なる2作の短編が載っている。


2作とも読んだが、いずれも小説と言うより、作者の懐古談といった趣の作品である。それなりに興味深くよんだ「ウイズ・ザ・ビートルズ」の中に、思わぬ場所で偶然に、旧知のひとと邂逅したことが記されている。それを読んで、私にはそのような経験が幾度もあったことを思い出した。


最初の経験は、同じ大学に通っていた島根県出身の先輩(私とは異なる高校の出身。東北大学には島根出身の学生が少なかったので、島根出身の在学生の集まりがあり、一度だけ会っていた―――ように記憶している)と、新宿の駅で偶然に出会い、誘われるままに食事をしながら飲んだことである(飲食代をおごってもらいながら、それ以来一度も会っていない。これを書いている今、失礼なことをしたという気持になっている)。その人はすでに卒業していたのだが、私はまだ在学中のことで、帰省する途中だったように記憶している。早朝に上野駅に着き、夕方の急行出雲(東京駅始発の出雲市駅行き急行列車で、19時頃の発車であった。かなり以前に運行中止になった。)に乗るまでの時間を東京見物をして過ごしていたのであろう。まことに失礼ながら、その人の名前すら思い出せないのだが、この記事がその人の眼にとまればと願っている。その可能性はかぎりなくゼロに近いけれども。


次の経験も60年ほど昔のことである。中央線の四谷駅で電車を乗り換えることにして、ドアが開くなりホームに降りたところ、すぐ目の前に、共に寮で暮らしていた友人の顔があった。大学を卒業してから数年後のことだが、その日私はどこへ行こうとしていたのか、今ではまったく思い出せない。まだ独身だったその頃、私は電機会社に就職して調布市に住んでおり、シチズンに就職したその友人は西武鉄道の沿線で暮らしていた。そのとき、私が次の電車に乗っていたなら、あるいは、別のドアから出たならば、私たちが出会うことはなかったはずである。私が出たドア以外のドアの前で友人が電車に乗ろうとしていたならば、やはり私たちが出会うことはなかった。


そして、もっとも不思議な偶然の出会いは、平成5年の夏に、妻と2人でヨーロッパを訪れたときのことである。11日間のパックツアーで、フランスとスイスおよびドイツを観光する旅行だった。


ドイツの有名なノイシュバンシュタイン城を訪れ、城の1階で内部に入れてもらう順番を待っていたときである。辺りを見回してみたら、少し離れたところに知人の姿があった。同じ大学の学長であり、御夫妻で並んでおられた。周りのほとんどが日本人だったということもあり、学長は私から声をかけられてはじめて私に気づかれたようである。学長はずいぶん驚かれたが、ありえないほど不思議な邂逅に、私も驚愕と呼べるほどの境地にいた。私たちはお互いに、相手がヨーロッパにいることを知らなかったのだが、そのことが、私たちの驚きをより大きなものにしたと言えるだろう。


私と妻はパックツアーだったが、学長夫妻はレンタカーでヨーロッパ各地を回っているとのこと。車を駆って自由に旅行できるのは、国際学会に幾度も参加して外国の国情にも慣れ、語学にも堪能だからできること。自分の語学力の不足を思うとともに、うらやましく思ったものである。私が初めて書いた小説「防風林の松」(本ブログの左サイドバーに、その小説の概要を紹介している)の序章に、「主人公の友人がヨーロッパをレンタカーで観光した」ことが書かれている。小説を書き進めているうちに、学長のレンタカー旅行が思い出されて、そのような文章を加えることになった。


それにしてもである、ヨーロッパを旅行中の旧知の人同士が、同じ場所で出会う確率はどれほどのものであろうか。私と妻の見学が1時間ほど早かったなら、あるいは学長たちの到着がもう少しだけ遅かったなら、出会うことはなかったはずである。私たちがその場所で出会う確率は、宝くじに当選する確率よりはるかに低いはずである。
                                                                    
ヨーロッパでのその邂逅は不思議なできごとと言えるが、先に記した東京での2度の邂逅も、めったに起こらない珍しいできごとだと思える。そのような体験を繰り返してきたことは、私にとってどんな意味があるのだろうか。そのような体験もまた、霊魂の実在を識るに至った経緯とともに(付記参照)、私には何らかの意味がありそうな気がするのである。


村上春樹の長編小説「国境の南太陽の西」の後半に、主人公がかつて捨てた恋人と偶然に顔を合わせる場面が描かれている。「主人公の目の前に赤信号でタクシーが止まると、車内から主人公を見つめている元恋人の姿があった」とされる場面である。もしかすると、「ウイズ・ザ・ビートルズ」に描かれた体験以外にも、村上春樹は不思議な邂逅を経験しているのかも知れない、という気がする。私が3度も体験したのだから、そんな体験を繰り返すひとがいても不思議ではない、という気がしないでもない。確率的には極めてまれなことだが。


付記
科学至上信仰に洗脳されているためであろうか、霊魂の存在をあたまから否定する人が多い。科学技術の世界に身を置くことになった私自身も、30代の中頃まではそのひとりであった。霊魂の実在を識っている今でも、科学では説明できない霊魂の存在が不思議なものに思える。とはいえ、霊魂が実在することを実証することは、実はさほどに難しいことではない。そのことを知ってもらいたいがために、霊に関わる記事の投稿を繰り返してきた。その幾つかを以下に列挙しておくので、眼を通して頂けるよう願っている。(青い部分をクリックすれば、その記事を読むことができます)


                                                                                                                       
付記2(8月18日)
旅先で知人と邂逅することの不思議さ・・・・・・その高い頻度を科学では説明できない(7月27日投稿)」 は、上記の記事に関連するものです。
                                                                                                                                                
                                                                                                                                                 
追記(2019年10月18日)
偶然の不思議な出会いに関わる記事を書いた結果、そのような体験を次々に思い出すことになり、関連する記事を幾度も投稿するに至った。それらをここに列挙しておく。


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自民党を支持するのは他の党より良さそうだからと言う人たち [政治および社会]

政党に対する支持率が調査されるたびに、自民党の支持率が最も高い結果になっている。自民党を支持する人の多くがその理由としているのは、「他の党より良さそうだから」だという。


「自民党が他の党より良さそうだ」と思う人に問いたい、「どうしてそう思うのですか」と。もしかすると、こんな答えがでてくるかも知れない、「随分長い間政治を担ってきた政党だから」「アベノミクスで経済が良くなったと自民党が主張しているから」「この地域の有力者がほめているから」「自民党が勝たないと株価が下がるかも知れないから」「自民党はずいぶん以前から知っているが、他の党の名前にはなじみがないから」等々。


幸福度ランキングが先進国の中ではだんとつの最下位でありながら、そんな国に導いた自民党を他の党より良さそうだと言う。立法・行政・司法のいずれにおいても、好ましからざる振る舞いの目立つ自民党だが、多くの国民は他の党を自民党以下と観ているようである。野党にだらしなさがあるのはたしかだが、そうであろうと、政権を担う政党の非を責める態度にでなければ、この国に明るい展望は開けないだろう。


世論調査の結果はどうであれ、1強におごって独善的な政治を推し進める安倍政権に、反省を強くせまる選挙結果になればと願っている。


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50年前の扇風機 [雑感]

暑さ対策ではエアコンが主役とはいえ、扇風機も大いに役に立っている。所有している扇風機の中に、ちょうど50年前に買ったシャープ製のものがあり、今でも正常に作動している。


数年前にシャープに電話をかけて、シャープ製の長寿扇風機のことを報せたのだが、「コンデンサーだけでなく、巻き線も劣化しているはずだから、発火する危険性があるゆえ、これ以上は使わないでほしい」と助言された。正常に動作しているとはいえ、50年前の電気製品だから、発煙どころか発火する危険性がある。


他に幾つもの扇風機があるのだが、50年も稼働したこの扇風機が、いったいどこまで使えるのか、試してみたいという気がする。
            
この文章を書いているいま、古いその扇風機からの心地よい風が、背後から流れてくる。風量調節と首振り機能があるだけの、至って簡素な製品だが、不満をおぼえるところはない。エアコンが扇風機の出番を減らしたうえに、安全に使える新しい扇風機もあるわけだが、使い勝手のよいこの扇風機にもまだ出番がある。むろん、異常を察知したら電源を切ることができる状況でのみ使うことになる。


お気に入りのこの扇風機に危険な兆候が現れ、使えなくなったなら、再びシャープに報せようと思う。製品開発上の参考になればよいのだが。

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大阪夏の陣は私の半生の5倍ほど昔のできごと [人生]

パソコンに向かっていたら、テレビからの音声が聞こえた。「大坂夏の陣からおよそ400年になるので・・・・・・・・」


その言葉を聞いて思った。大坂夏の陣ははるか昔のできごととはいえ、81歳の私には、これまで生きた期間のおよそ5倍ほど昔のことになる。102歳の天寿を全うした私の母にとっては、生きた人生の4倍ほど過去のことにすぎない。その400年の間に、この国の有り様は全く異なったものになっている。


400年どころか、過去80年の間に日本の社会は激変している。私が小学校に入学した頃の日本は、軍国主義そのものの国であり、言論や思想の自由もない国だった。天皇を神としてあがめるよう教えるためか、天長節(天皇誕生日)の儀式はものものしく、何かを捧げ持って登壇し、教育勅語を読む(それが教育勅語だったと知ったのは、ずいぶん後になってからだが)校長の姿が印象に残っている。そのような日本が、敗戦を機に様変わりして、今に続く社会になった。


私の小学生時代には、電話のある家はめずらしく、ラジオのある家も少なかった。テレビやエアコンなどの家電製品が普及し、パソコンやインターネットさらには車の普及が社会に変革をもたらし、携帯電話やスマホを個人が使える日が来ることを、数十年まえの日本人(日本人に限らず)には想像すらできなかった。


科学の発展とその応用技術が、100年後の社会を大きく変えていることだろう。物質文明は進化し続けるだろうが、政治ははたしてどの程度まで進化するのだろうか。長期政権を担っている自民党の有り様を思えば、そして野党の現状を思えば、むしろ退化する虞すらありそうに思えるのだが。


これまで幾度も投稿してきたように、私は霊魂の実在を識っている(注)。20年先の世界もずいぶん変わると思われるから、できればそこまで生きて観たいものだが、それがかなわなくても、あの世から眺めることができるはずである。20年先さらには100年先に、どんな日本が存在していることだろう。幸福度ランキングが先進国中で最下位の現状から脱して、すばらしい国になっているよう願っている。  

 

(注)霊魂の実在等に関する投稿記事






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雀の世界も少子高齢化 [小鳥たち]

雀が全国的に減っているとのこと。そうであろうと、冬になると我が家には多くの雀が訪れ、餌をねだります。前年までは、最も数が増える2月から3月には30羽程度でしたが、今年は多くても20羽ほどと、例年の7割ほどの数でした。


4月になると雀の子育てが始まり、5月に入ると雛が巣立つのですが、数年前から子育ての時期が遅れがちになり、巣立つ雛の数も減ってきました。以前には、ひとつがいの親鳥が2羽の子雀をつれてきましたが、最近は巣立つ子雀が1羽の場合が多いようです。今年も数つがいの親鳥が巣に餌を運んでいますが、巣立った子雀はまだ数羽しか見ておりません。


私の少年時代には、身近な所に幾つもの雀の巣があり、一つの巣だけで4羽から5羽の雛が巣立ったものです。春に子育てする雀の場合、草の実はまだ少ないので、餌は主に虫と思われます。昔の畑には餌となる蝶の幼虫などがいくらでもおり、雀も子育てに苦労しなかったでしょう。殺虫剤が使われる今の野菜畑に餌はなく、耕作放置の畑や道端の草などに餌を求めざるを得ないのだから、雀たちには生きにくい時代です。私が与える餌はインコなどの小鳥用の餌に玄米を混ぜたものですが、雀の雛にとって好ましい餌と言えるだろうか。もしかすると、育つ雛の数が少ないのは餌が不適切なせいではなかろうか。最近になってようやく、そんな気がしてきました。


来年からは、4月に入ると徐々に餌を減らして、自然界に餌を求めるよう仕向けるとしましょう。とはいえ、虫などが少ないために、必死になって餌をねだりに来るかも知れません。雀の雛に適した餌について、ネットから情報を得ておいたほうが良さそうです。


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テレビ台の自作 [雑感]

6月15日に「木工作業の楽しみ」を投稿したばかりですが、続いてさらにテレビ台を作りました。


寝室の32インチ液晶テレビを乗せていた台は、9年前まで32インチのブラウン管テレビ用に使っていたものです。奥行きの長いブラウン管テレビ用として、部屋の隅に設置するように作られており、縦横がそれぞれ87cmです。手前側の1角を切り落とした5角形で、高さは55cmです。内部や裏側までニスで塗装され、しっかりした作りの製品なので、捨てずに寝室に移して使ってきたのですが、場所をとるうえに使い勝手も悪いので、好ましいサイズのものを作ることにしました。


収納庫やワゴンを作った際(「木工作業の楽しみ」参照)の端材と、過去に使った塗料の余りを利用したので、新たに購入した合板とドア用の蝶番や把手などの費用を加えても、2千円で作ることができました。


ドアにつける複数の蝶番は、軸が互いに直線上になるよう取り付ける必要があります。取り付け用のネジ穴を正確に開けるため、専用のドリルを使うのですが(使っている蝶番用ドリルは、格安で買った4本セットのものですが、これまで十分に役立ってきました)、蝶番が小さいためにかなり苦労しました。


できあがったテレビ台の設置面積は、これまでのものと比較すれば半分ほどであり、内部の棚の配置なども用途に合わせて作ったので、使い勝手のよいものになりました。


組み立てにはクギとネジクギを使うのですが、ネジ締めには電動ドライバーを使うので、木工作業で最も労力を要すのはサンドペーパーを使う作業です。その程度ですから、80代になっても取り組むことができます。 というわけで、これからも幾つかの家具を作るつもりですが、涼しくなってからになります。 

      

家具の自作に関する記事を幾度も投稿しておりながら、作った物の写真を載せたことはありません。写真を取り込む方法がわかったなら、これまでに作った家具の写真を載せたいと思っています。
 

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