SSブログ

戦争を憎む感情を失いつつある日本人 [政治および社会]

日本が中国との戦争を始めたころ、その戦争は聖戦とされ、政府(軍部)は「暴支膺懲」なる言葉を使って国民を煽った。アメリカやイギリスなどとの戦争が始まると、「鬼畜米英」「一億一心火の玉だ」「欲しがりません勝つまでは」などの標語が日本中で唱えられた。小学校(その当時は国民学校と称した)1年生の冬に、私たちは裸足で校庭を走らされたことがある。痛いほどの冷たさに耐えつつ走る小学1年生に向かって、いつもは優しかった先生は言った「戦地の兵隊さんは・・・・・・」と。


かつてこの国は、無謀な戦争に国民を引き込んだだけでなく、敗戦必至の状況にありながら、愚に愚を重ねて戦争を長引かせ、膨大な犠牲をもたらした。永井荷風はその日記「断腸亭日乗」(付記1参照)に、アメリカに戦争を仕掛けた日本に対して、「アメリカに勝てるわけがないのだから、すぐにも戦争に負けた方が日本のために望ましい」と書いている。そんな荷風も空襲で家を失って苦労したわけだが、せめて数ヶ月早く降伏していたならば、空襲や原爆による被害の多くが避けられ、ソ連による日本攻撃と、それに伴う数々の被害もなかったはずである。戦争末期に出撃した多数の特攻隊も、数ヶ月早くに戦争が終わっていたなら、出撃することはなかったはずである。


国が命ずるところに従順に従い、極限の痛苦を与えられたにもかかわらず、敗戦後の日本人は戦争を憎みはしても、戦争に導いた者たちを責めることはなく、裁いたのは連合国側だった。もしかすると、日本人の多くは戦争指導者たちと共犯意識があり、裁こうという気持になれなかったのかも知れない。戦時中の国民は、「一億一心火の玉だ」「鬼畜米英」「欲しがりません勝つまでは」などの標語を自分のものとして、ひたすらに苦難に耐えていたから、国を誤った者達に対する怨嗟の気持とともに、国を導く者たちとの一体感があったのではなかろうか。膨大な犠牲と痛苦をもたらしたあげくのはてに、この国を亡国の淵まで追い込んだあの戦争。保守的であり、お上に従順であり、付和雷同しやすい国民性が、多くの国民をしてあの戦争を支持させたのであろう。そのことを悔いる気持が、戦争を憎む感情をより強くしたと思われる。


戦争で苦しみ、その悲惨さを知る政治家たちは、革新系と保守系にかかわらず、戦争を憎む感情を抱いていたはずである。戦後生まれの政治家であっても、戦争を憎む感情と反核兵器の感情を持つ、まともな政治家であってほしい。現実には、日本維新の会から「NHKから国民を守る党」に移った丸山穂高のように、「国益のためなら戦争を必要とする場合があるのではないか」と発言する議員が現れるに至った。元大阪維新の会の橋下徹のように、原水爆が平和を維持するうえで役立つと主張する者もいる。


戦争を憎む感情が失われたならば、いつの日か、この国が戦争に巻き込まれるときが訪れるかもしれない。このブログに幾度も書いてきたように(付記2参照)、この国の将来のためにも、大きな記念碑を建立すべきである。それは戦争による膨大な犠牲者のための慰霊碑であり、あの戦争を忘れないための記念碑であり、反戦平和を祈るための祈念碑である。


付記1 断腸亭日乗 
作家の永井荷風が40余年にわたって記した日記であり、荷風の最大傑作とみなす人もいるという。作家の井上ひさしは、断腸亭日乗は古事記や源氏物語に匹敵すべき貴重な遺産だとしている。ドナルド・キーンなど多くの作家や研究者たちが、断腸亭日乗に関する著作を発表している。


付記2 戦争犠牲者慰霊碑や靖国神社に関する本ブロのグ記事





nice!(0)  コメント(0)