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映画「西部戦線異常なし」を観て特攻隊を思う [雑感]

ドイツの作家による反戦小説「西部戦線異常なし」が映画化されたのは、1930年だったという。その映画を知ってはいても観たことはなかったのだが、Netflixで観ることができた。私が観たのは1930年版ではなく、2022年製作になるカラー映画なのだが。

                                                  


映画の冒頭近くに、教師が生徒に愛国心をあおり、軍隊への志願を勧める場面がある。それをみて、戦前の日本を思った。小説「造花の香り」(本ブログの左サイドバー参照)を書く過程で、多くの資料を参考にしたのだが、その幾つかに、戦前の中学校の様子が記されていた。教師が生徒をあおり、予科練(海軍飛行科予備練習生、15歳から志願できた)への志願を勧めたという。予科練に志願した生徒たちの多くが、特攻隊員として沖縄に出撃することになった。

                                                   


旧日本軍にも狭量で独善的な軍人は多かったようだが、「西部戦線異常なし」でも、偏狭な軍人の姿が描かれている。「休戦協定が発効するまでに、少しでも有利な状況を作り出しておきたい」として、ドイツ軍の司令官に命じられるままに、休戦を目前にしながら、多くの兵士が無駄に戦死させられる。その場面が2020年11月27日に投稿した「元特攻隊員による戦記「修羅の翼  零戦特攻隊員の心情」を読んで」を思い出させた。

                                                   


元特攻隊員による著書「修羅の翼」を紹介した記事である 「元特攻隊員による戦記「修羅の翼  零戦特攻隊員の心情」を読んで」の中に次のような文章がある。

                                                   


特攻隊員を激励する席で参謀長から「みなは、特攻の趣旨は良く聞かされているだろうな」と訊かれた著者が、「聞きましたが、良くわかりませんでした」と答えると、参謀長は大西中将の真意をこのように語ったという。<大西中将からこのように聞かされている。日本の戦力に余力はない。一日でも早くアメリカと講和すべきだが、敗北し続けたままではなく、一度でよいからレイテ島から敵を追い落とし、わずかであっても講和の条件を良くしてから講和に入りたい。とはいえ、講和を口にしようものなら、国賊として暗殺されてしまうだろう。陸海軍の抗争を起こして内乱ともなりかねない。天皇陛下御自ら決められるしかない。九分九厘成功の見込みがないにもかかわらず特攻隊を出撃させるのは、そのことを聞かれた天皇陛下が、「戦争を止めろ」と仰せになるはずだからである。>

                                                   


フィリピンで最初の特攻隊が出撃させられたのは、1944年10月だった。それから間もない頃に、「修羅の翼」の著者角田和雄氏は特攻隊員となり、上記のような話を聞かされたという。「わずかであっても講話の条件を良くしてから講和に入りたい」という大西中将の言葉は、 映画「西部戦線異常なし」中の司令官の言葉に通じるものがある。

                                                   


フィリピンでの出撃以降も特攻隊は出撃させられたのだが、天皇陛下からは「戦争を止めろ」なる命令は出されず、1945年4月から8月にかけて、多くの特攻隊が沖縄の海に出撃させられた。敗戦必至の状況にありながらも、日本の軍部は「一億総特攻」「本土決戦」を呼号して戦争を継続し、都市の多くを爆撃にさらす結果をもたらし、天皇の決断によって敗戦を受け入れたのは、原爆を投下された後の8月になってからだった。






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