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命に関わる危機に幾度も遭遇しながら生きのびる人 [人生]

村上春樹の新作を読んだことがきっかけになり、思わぬ場所で知人と出会うことの不思議さについて、幾度も投稿することになった(付記1参照)。どういうわけか、私はそのような体験を繰り返してきたのだが、私にはもうひとつ繰り返し体験したことがある。「命の危機に遭遇する体験」である。


小学生のとき、友人たちと海に入って浅瀬で遊んだときのことである。しばらく遊んでから波打ち際に戻ろうとしたところ、途中の深さは私の背丈を超えていた。幸いにも友人が私より背が高かったため、無事に連れ戻してもらえることになった。浅瀬で過ごしている間に、潮が満ちてきたのであろうが、忘れられない思い出である。


小学校4年生のとき、私は重い肝炎に罹った。皮膚は黄色になり、大便は白くなった。身体は極端に弱って、便所まで歩くだけでも苦労した。後年にある医師にその体験を話したところ、「よく助かりましたね」と言われたものである。かなりの期間を自宅療養したのだが、その間の体験を書いたのが「子供を学習塾に通わせるより読書の楽しみを教える方がよさそうだ(2015.9.24)」である。


小学生時代の私は肺結核に感染し、父に連れられてしばしば保健所を訪ねた。戦争が終わって数年後であったが、保健所にはX線装置があり、幾度も胸のX線写真をとられたものである。微熱がかなりの期間続いていたから、発病寸前の状況にあったのかも知れない。近所に住んでいた従姉が肺結核で亡くなったので、両親はずいぶん心配したはずである。肺結核が不治の病と懼れられていた時代であった。それから60年後に、その体験を小説の中に書くことになった(本ブログの左側欄に、その長編小説「造花の香り」の概要を紹介している)。特攻隊員として出撃基地で待機中の主人公が、仲間の隊員と交わす会話がそれである。


小説「造花の香り 第6章 若葉の季節」より引用


  吉田と並んで歩きだすと、校舎の中からオルガンの音が聞こえた。音楽に素養のある隊員が弾いているのか、聴きなれた文部省唱歌の旋律が、少しも滞ることなく流れた。
「ところで森山、貴様は自分の寿命について考えたことがあるか」と吉田が言った。
「考えたことはないな、そんなことは」
「俺はモーツァルトが三十五歳で死んだことを知って、せめてそこまでは生きたいと思ったよ。その頃の俺は、二十歳までには死ぬと思っていたからな。中学に入ったばかりの頃だった」
「何かあったのか」
「肺浸潤になったんだ。残りの人生が数年しか残っていないような気がして、三十五まで生きたモーツァルトを羨ましく思った。三十五年も生きたなら、自分なりに何かをやれるだろうに、このまま死ぬのは悔しいという気持ちになったんだ。まだ十二だったからな」
「悔しいよな、たしかに。俺たちは日本のためどころか、人類全体のために役立つことができるかも知れない。そんな気持にもなるじゃないか。今の俺たちは死んで役に立つことしかできないが、この特攻がほんとに役に立ってほしいもんだよな」
「俺たちは実を結ぶどころか、花も咲かせずに散るんだ。俺たちの特攻が何の役にも立たないなんてこと、そんなことがあってたまるか」
「そう言えば、小林が歌を作ったことがあったな。嵐に散る花の歌。おぼえているか、あの歌。特攻が有意義なものであってほしいという、そんな願いをこめた歌だった」(引用おわり)


小学校の6年生(中学1年生になっていたかも知れないのだが)の頃、自宅の屋根の上で感電したことがある。助けを求めて声を出そうとしたが、痙攣する身体からはうめき声しか出せなかった。極めて危険な状況に陥りながらも、奇跡的に助かったのだが、その体験を書いたのが、2015年7月6日に投稿した「電気は怖い・・・・・・感電事故の体験」である。


その感電事故から10年ほどは、どうにか無事に過ごしたのだが、大学ではグライダー事故に遭遇し、2ヶ月ほど入院するほどの怪我をした。忘れもしない10月13日のできごとであり、今日からちょうど61年前のことである。医学部の学生だった航空部の部長によれば、脳内に出血した血液はやがて吸収されて消えるとのことだったが、左眼の視力は今に至るもかなり低下したままである。この事故について書いた記事が「親の恩・・・・・・グライダー事故を振り返って思うこと(2018.8.23)」である。


奇跡的に肺ガンが見つかったおかげで(見つけて頂いたと言うべきだが)、手術後15年以上が経過した今も、こうして無事に日々を送っている。その数ヶ月前に受けた人間ドックでは異常なしと知らされていたにも拘わらず、肺がんはステージ2Bになっていたのである。手術可能な段階ということで切除手術を受けたのだが、主治医からは再発防止のための抗がん剤を薦められた。薦められるままに服用していた抗がん剤により、かなり重い肝臓障害を生じたために、服用を中止することになった。再発防止対策はやめることになったけれども、転移も再発もなく現在に至っている。肺がんが見つかった経緯を書いたのが、「肺ガンが見つかった経緯(2015.11.3)」である。


私よりも多くの危機を体験しながら、それを通り抜けて生きる人もいることだろう。そのような人には、その危機で命を失ってはならない理由があったのではなかろうか。そのような人のひとりかも知れない私には、事故や病気を切り抜けるべき、どんな理由があったのだろうか(あるのだろうか)。偶然の出会いを繰り返した理由がわからないのと同様に、考えたところで答はでそうにないのだが。


人は魂を向上すべく転生を繰り返すという。もしかすると、あの世に還るには私の魂が未熟に過ぎたため、幾度も危険な状況に陥りながらも助かってきた(助けられた)のかも知れない。グライダー事故からさらに10数年が経った頃から、私は幾度も不思議な体験をして、結果的には霊魂の実在を識ることになった。幾度も助けられながらも目覚めなかった私を目覚めさせるために、不思議な体験をさせられたのだろうか。そうだとすれば、危機から私を救い、霊魂の存在を知らしめてくださった誰かに、私は深く感謝しなければならない。


今の私は、どんな人にもその人を扶け導く存在がある、ということを知っている。私は感謝の気持をこめて、霊魂の実在に関わる記事を書き続けてきた。その幾つかを付記2に列挙しておく。



付記1 思わぬ所で知人と遭遇することに関わる記事




付記2
霊魂の実在を識っている私は、そのことを知ってもらいたいがために、関連する記事を繰り返し投稿してきた。その幾つかをここに列挙しておく。




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