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生還できた兵士の言葉「何しに行ったのか分からん」に思う [政治および社会]

以前に投稿した「戦地での体験を語った物理学の先生(2020.9.26)」に関連する記事です。
  
12月11日、朝日新聞のコラム「折々の言葉」に、戦地で飢に苦しんだ兵士の言葉が紹介されていた。福岡県の国友繁人氏の言葉「何しに行ったのか分からん」である。その記事をここに引用させてもらう。
  
 海軍通信学校で学び、マーシャル諸島に配属されるも、軍は爆撃機も失い、孤立状態にあった。
  1年半、草や根や野鼠を食べて凌ぐも、兵士3千のうち6割が栄養失調で死亡。「米兵と戦うことは1度もなかった」と、94歳の元兵士はふり返る。幾重にも無意味に命を差し出させられた虚しすぎる時代。戦争体験者の言葉を集めた「言葉を刻む」取材班著「地べたの戦争」から。
  
太平洋戦争での戦死者の6割が餓死だったとされている。「戦地での体験を語った物理学の先生(2020.9.26)」に書いたように、高校で物理学の担当だった先生は、骨の上に皮膚がはりつき、骸骨のような状態になりながらも生還できた。おそらく、多くの仲間を餓死で失っていたことだろう。国友繁人氏は「何しに行ったのか分からん」と語ったようだが、結果的には「飢餓に苦しむために行った」ことになろう。餓に苦しみつつ戦い、生還の叶わなかった人たちは、政治の過ちを呪う言葉を口にすることも叶わないのだが。
  
以前に投稿した「元特攻隊員による戦記『修羅の翼  零戦特攻隊員の心情』を読んで(2020.11.27)」に書いたように、真珠湾奇襲攻撃が報じられた日、「この戦争には万にひとつの勝ち目はない」と言った海軍将校がいたという。作家の永井荷風はその日記「断腸亭日乗」に、「アメリカと戦って勝てるわけがないのだから、日本がすぐにも負けることが望ましい」と記している。真珠湾攻撃を策定した山本五十六は、勝てる見込みの無い戦争を避けるべく模索しながらも、軍の方針を受け入れざるを得なかった。まともな政治家なら避けたはずの戦争だが、国を導いていた愚かな者たちは無謀な開戦に踏み切り、国民と周辺諸国に苦難と悲劇をもたらした。日本の長期衰退と先進国中で最低の幸福度ランキングに導いたのは自民党だが、そのような自民党を支持し続ける国民と、熱狂的に軍部を支持した戦前の国民に、共通するところがありはしないだろうか。


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