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「戦争を知らない子供たち」の国であり続けるために [政治および社会]

朝日新聞夕刊の記事「『夜と霧』枯葉一枚の意味もない言葉(2022.1.28 福島申二記者による署名記事)」が、「戦争を知らないこどもたち」という歌(北山修作詞 杉田二郎作曲)を思い出させた。1970年に発表されて、レコードが30万枚以上も売れたという歌である。
  
福島記者によるその記事は、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺に関わるものである。記事の終わりには、ポーランドのノーベル賞詩人シンボルスカによる、記憶の継承を憂える詩句が記されている。<それがどういうことだったのか/知っていた人たちは/少ししか知らない人たちに/場所を譲らなければならない そして/少しよりももっと少ししか知らない人たちに/最後にはほとんど何も知らない人たちに・・・・・・・・(「終わりと始まり」沼野充義訳から)>
  
記事は次の文章で締めくくられている。
  
   日本でも戦争を知らない世代が8割を超える。ひとえに不戦の歳月の賜だが、私自身も含め、せめて戦争を知らないことを知っていなければ人は危ない。想像力が衰えて、過去との真摯な対話がゆがむとき、分かりやすい威勢の良さが肩で風を切るようになる。
  
記事を締めくくるこの文章は、本ブログに投稿した記事「安倍首相を危惧するあの世の田中角栄(2018.1.25 )」「田中角栄の言葉を聞かせたい国会議員たち(2019.9.17)」「田中角栄元首相が危惧した戦争の記憶を持たない政治家(2020.3.17)」「安倍首相と比較すれば褒めたくなる田中角栄(2020.4.1)」「田中角栄元首相の言葉を思う」で紹介した田中角栄の言葉に通じるものである。田中角栄には批判的な見方も多いとはいえ、安倍晋三とその仲間たちに較べるならば、はるかにまともな政治家だった、と言えそうである。
  
日本がいつまでも「戦争を知らないこどもたち」の国であるためには、国民が政治を見張る眼を持ち続けなければならない。けれどもこの国の現実は、独善的な政治が行われ続けてもなお、選挙の投票率が低迷し、正道をはずれた政党が支持され続けている。昭和時代初期の痛切な過ちは、軍部や政治家だけの過ちではなく、それを防げなかった国民の過ちでもあった。日本をいつまでも「戦争を知らないこどもたち」の国にするために、学校教育の場で、しっかりと、過去の過ちを教えるべきである、と思うのだが。ドイツでなされているように。


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