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八十路にて詠む歌 2 [吾が詠みし歌]

「歌詠みにあらざる者が詠む歌 2」に歌を記すべく、パソコンに向かったところ、歌詠みの仲間に加わろうとしている自分の年齢を思いました。するといきなり、こんな歌が浮かんできました。
                                                                                                                                                
いつしかに八十路を歩む我なれど路を訪ねていまださまよう
                                                                                                                                               
この歌を書いたら、先に投稿した記事「『八十にして未だ成らず』ゆえに『九十にして成る』を目指そう(2022.1.3)」を思い出しました。その記事にはこのような文章があります。 
孔子の有名な言葉として、「・・・・・・三十にして立つ、四十にして惑わず、・・・・・・七十にして心の欲するところに従えど矩をこえず」がある。孔子は74歳で没したので、「八十にして云々」はないのだが、ネットで調べてみると、長寿時代を生きる指針として「八十にして成る」をあげている記事がある。
  「八十にして成る」という言葉を読んで、自分はどうであろうかと思った。すでに平均寿命を超えた年齢にありながら、「成った」とはとても言えず、まだ途上に居るのだと思える。そのように自覚する理由は多々あるのだが、読書から教えられることが未だに多いことも、理由のひとつである。
 この数年、高橋佳子という方の著作を読んでいる。「魂主義という生き方」「自分を知る力」「ゴールデンパス」等々。書店に並んでいる「ゴールデンパス」の帯には、俳優の加山雄三氏の写真と推薦の言葉が記されているから、眼にした人も多いはずである。それらの書物を読むと、人の生き方について学ぶべきことが、私にはまだ多いことを気付かされ、学ぶことの喜びを知らされる。
 「ゴールデンパス」を読んで私は思う、「八十にして未だ成らず」の自分が目指すべき目標のひとつは「九十にして成る」であろう、と。
                                                   
私は褒められざる高齢者を自認していることになりますが、「未熟な自分を認め、さらなる成長を願っているのだから、気持ちにはまだ若さが残っている」とも言えそうです。楽観的にそう思おうとも、そのためには怠惰な自分に克たねばなりません。90歳に到達したとき、私はどんな自分に会えることだろう。

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