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身体と健康に関わる記事 [身体と健康]

先ほど投稿した記事「健康な歯を維持するために」を書いたら、これまでに投稿してきた「身体と健康」カテゴリーの記事が思い出されました。
                                                   
読んでくださる人の参考になると思われる記事(私の主観的な判断によるものですが)を、ここに列挙することにします。ブログ内でリンクを張っておきますので、クリックすれば読むことができます。                                        


適正な体重とは(2015.6.26)

嗅覚の喪失と復活(2015.7.13)
























老化現象の改善(201810.20)





健康長寿と薬(2019.12.27)














                                         

ブログ内の記事を検索できるので、選び出すのは容易ですが、「身体と健康」カテゴリーに投稿した記事が61件もあり、かなりの時間を要しました。これらの記事が役に立ってくれるよう願っています。

                                            









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健康な歯を維持するために [身体と健康]

幾度も投稿してきたように、私には健康な歯が32本あります。以前の私はそのことに無関心でしたが、歯科医の言葉を聞いてから、自分の歯に興味を持つようになりました。歯科医によれば、私の歯は珍しいほどに良い状態にあるとのこと。というわけで、ブログを開設してから、読んでくださる人の参考に供すべく、歯に関わる記事を投稿してきました。
最初に投稿した「80歳になっても丈夫な歯を持つことができる」には、「寝る前までには必ず歯を磨いているが、歯磨き剤を使うのは一週間に1度ほどであり、通常は水だけで磨く。歯周病を予防するため、週に2回か3回は、歯を磨いた後で抗菌剤入りのリンス剤を使い、もういちど歯の根元を軽く磨く。このようにして歯を磨くようになったのは10年ほど前からで、それまでは毎回のように練り歯磨きを使っていた。」なる文章がありますが、最近は抗菌剤入りのリンス剤を使うこともなく、水だけで磨いております。
                                                   
歯に異常を感じないので、歯科医を訪ねないままに5年以上が過ぎました。コロナ騒ぎが落ち着いたなら、歯の健康診断を受けるべく、数年ぶりに歯科医を訪ねようと思っています。85歳が近付いたいま、歯科医はどんな言葉をかけてくれるでしょうか。


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家庭での調髪 [雑感]

自宅で散髪するようになってから、すでに20年あまりになる。
                                                                                                                                               
定年退職して間もない頃、たまたま目にした広告で、ヘアカッターなる商品があることを知った。当時は散髪代金が高かったので、節約を期待して買うことにした。
                                                                                                                                                
操作に自信がないという妻を説得し、失敗してもやり直せるよう、少し長めに刈ってもらった。鏡で観察するかぎりでは、ほぼ満足できる結果になったので、それから20年あまりを、妻が私の理容師を勤めてくれることになった。
                                                                                                                                                
これまでにヘアカッターは2個使い、今は電動バリカンを使っている。それらを合計しても、5000円程度の出費だったはずである。最近は散髪代金が安くなっているらしいが、そうだとしても、これまでに20万円以上を節約できたはず。妻の労に応えるべく、望めばいつでも美容院へ行くように、と勧めている。20年間の美容院代金は、20万円をはるかに超えているはずだが、妻をして気兼ねなく美容院へ行けるようにしたはずだから、この製品には感謝すべきであろう。
                                         
さきほど妻に調髪してもらい、さっぱりした気分でこの記事を書いた。


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日本国憲法の基になった日本人作成になる試案 [政治および社会]

改憲論者は主張する「現憲法はアメリカに押しつけられたものゆえ、日本人の手による憲法に改正すべきである」と。
                                                   
現憲法はGHQから提示された案を基に作成されたのだが、GHQ作成になる原案(マッカーサー案)は、日本人による試案を参考に作成されたようである。
                                                   
敗戦4ヶ月後の昭和20年12月に、憲法研究会(東大教授や政治評論家などの民間人による研究会)が「憲法改正要綱」を公表したという。
                                                   
国会図書館の「日本国憲法の誕生」は、現憲法が成立するまでの過程をまとめたものである(「日本国憲法の誕生」で検索すれば見ることができる)。その概説の第2章に「さまざまな民間草案」なる項があり、民間で作成された幾つもの草案が紹介されているのだが、そこにはこのような文章がある。
・・・・・・政府側が秘密裏に改正草案作りを進めていたころ、民間有識者のあいだでも憲法改正草案の作成が進行し、1945年末から翌春にかけて次々と公表された。その代表例が、1945年12月26日に発表された 憲法研究会の「憲法草案要綱」であった。これは、天皇の権限を国家的儀礼のみに限定し、主権在民、生存権、男女平等など、のちの日本国憲法の根幹となる基本原則を先取りするものであった。その内容には、GHQ内部で憲法改正の予備的研究を進めていたスタッフも強い関心を寄せた。
 1946年になると、各政党ともあいついで改正草案を発表した。自由党案と進歩党案はともに、明治憲法の根本は変えずに多少の変更を加えるものであったのに対して、共産党案は天皇制の廃止と人民主権を主張し、社会党案は国民の生存権を打ちだした点に特徴があった。
                                                   
連合国軍総司令部(GHQ)で憲法草案に関わった担当者は、日本の有識者が独自に作成した憲法草案「憲法草案要綱」に強い関心を寄せたとのこと。なお、「日本国憲法の誕生」の「さまざまな民間草案」の項には、公表された草案が15件ほど掲載されている。
                                                   
たとえ草案であろうと、憲法案をゼロから作成するにはかなりの期間を要すはずだが、マッカーサー草案はわずか9日間で作成されたことが知られている。その事実が、「マッカーサー草案は日本人作成になる憲法草案要綱をもとに作成された」とする説の根拠のひとつになっているようである。「憲法草案要綱」は現憲法に比べて条項が少ないものの、現憲法に類似したところが多いのだから、「憲法草案要綱」が現憲法の基になっているとする説には説得力がある。
                                                   
Wikipediaの「憲法草案要綱」の項には、興味深い記事が記されている。Wikipediaの記事が真実とはかぎらないけれども、国会図書館の「日本国憲法の誕生」とつきあわせて考えれば、どうやらやはり、「マッカーサー案は「憲法草案要綱」をもとに作成された」と言えそうである。マッカーサーから提示されたその案を参考に、日本の担当者たちは長い時間をかけて、いまの平和憲法を作りあげた。そうだとすれば、「現憲法はアメリカに押しつけられたものではない」と言ってよさそうである。私にはそう思えるのだが、憲法学者と呼ばれる人たちの見解はどうであろうか。

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エアコンが壊れた・・・・・・・・原因はゴキブリ [雑感]

エアコンの一台が動作しなくなった。エラーメッセージが基盤不良を示しているので、すぐに修理を依頼した。

                                                   


依頼してから3日後の修理作業に、LEDライトを持って立ち会った。手際よく作業していた作業者が、驚いたような声で「原因がわかりました」と言い、はずした基板を渡してくれた。大きなゴキブリが、しっかり基板に張り付いていた。めったに見かけないゴキブリが、こともあろうに、エアコン室内機の基板に。ゴキブリが感電して動けなくなったのは、エアコンの動作がおかしくなった直前だろう。

                                                   


インターネットで調べてみると、エアコンや給湯器など、屋外に設置される機器の基板に虫が入りこみ、故障の原因になったり、さらには火災の原因になったりすることがあるという。私の家では室内機に侵入されたのだが、屋外の設備に進入されることが多いらしい。

                                                   


基板にはりついたゴキブリを見て、私はインターホンの中にいた蟻を思い出した。というわけで、「インターホンが雨の夜に鳴る……原因は侵入した蟻(2016.4.8)」を、参考にしていただくために再掲する。



「インターホンが雨の夜に鳴る……原因は侵入した蟻(2016.4.8)」を再掲



先頃の深夜に、インターホンが繰り返しては鳴り、妻が眼を覚ますというできごとがあった。朝になってもそれが続いていたので、インターホンの子機を取り外すため、前夜来の雨の中、ドライバーを手にして門を出た。

取り外した子機の裏蓋をあけると、中には数匹の蟻がいて、基板の隙間を出入りしていた。ためしにドライバーでケースを叩いてみると、たくさんの蟻が現れただけでなく、白い卵をくわえた蟻まで現れた。どうやら、インターホンの室外子機の中に蟻が巣を作っていたらしい。しみ込んだ水は周辺にとどまっており、基板を濡らしてはいなかったが、濡れた蟻が内部で動きまわれば、誤動作を引きおこす可能性がある。

蟻にはかわいそうだが、掃除機を使って20匹以上の蟻を吸い取り、同居していた蜘蛛にも退去してもらった。

内部が乾燥するのを待って取り付けると、予想通りに誤動作がとまり、正常に使えるようになった。それだけでなく、しばらく前から低下していた音量まで復活するに至った。

使おうと思えばこのまま使えそうだが、20年近くも使ってきて、子機のスピーカーが痛んでもいるので、新しいものに替えることにした。候補に選んだ機種について不明な点を確かめるべく、メーカーに問い合わせたのだが、ついでに蟻のことを話してみた。それに対する相談員の言は、「門外などに設置するインターホンには、蟻が入り込むことが多く、当社での懸案事項になっております。近くに植え込みがある場合には、蟻への対策をしてください」とのこと。そう言われてみれば、門の近くのシャリンバイには、アブラムシと共存する蟻が集まっているから、対策を要す状況にあったことになる。

インターホンに蟻が入り込むのは普通のことらしい。インターホンに雑音が入ったり、雨天に際して誤動作したりする場合には、故障を疑うよりさきに、蟻の侵入を疑った方がよさそうである。メーカーがそのことを知っているのであれば、取り扱い説明書にそのことを記して、注意を喚起すべきではないのか。このブログを読んでくださるひとは少ないものの、きょうの記事が役立つようにと願っている。


最近の基盤には、虫による被害を防ぐ措置を講じたものもあるらしい。屋外用の基盤だけでなく、屋内の機器に使用される基盤にも、対策を講じてもらいたいものである。なにはともあれ私の家では、ゴキブリ対策を徹底的に進めようと思う。めったに姿を見せねども、どこかに潜んでいるに違いないので。


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非武装の平和国家を想定していた石橋湛山 [政治および社会]

「かつての自民党には石橋湛山がいた(2022.8.6)」と  「「靖国神社廃止の議」の真意(2022.8.10)」に関連する記事です。
                                                                                                                                             
石橋湛山は、終戦直後の東洋経済新報に、「靖国神社廃止の議 難きを忍んで敢えて提言す」と題した社論を載せたのだが、その中に「我々はここで全く心を新にし、真に無武装の平和日本を実現するとともに、ひいてはその功徳を世界に及ぼすの大悲願を立てるを要する。」なる文章がある。
                                                                                                                                              
憲法改正論者は、アメリカから押しつけられた現憲法は改正されてしかるべきと主張する。憲法改正の要となるのは9条だが、その条項は時の首相幣原喜重郎によって起案されている。その日本国憲法が公布されるより1年前に、石橋湛山が「我々はここで全く心を新にし、真に無武装の平和日本を実現するとともに、ひいてはその功徳を世界に及ぼすの大悲願を立てるを要する。」なる文章を公表している。敗戦直後の日本で、無武装の平和日本に思いを巡らせたのは、石橋湛山や幣原喜重郎に限らなかったことだろう。9条に関するかぎり、アメリカに押しつけられたものではないことになる。
                                                                                                                                                
9条に関わる議論だけでなく、現憲法の基本的なところは日本人によって構想されたものゆえ、アメリカから押しつけられたものではない、とする説がある。GHQ(連合国軍総司令部)作成になる所謂マッカーサー案は、憲法研究会作成になる「憲法改正要綱」(1945年12月26日)がもとになっているという。
                                                                                                                                                
憲法研究会と「憲法改正要綱」については、日を改めて投稿したいと思う。


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思わぬ所で知人と出会うことの不思議さ [人生]

私が幾度も体験してきたことに、「思わぬところで知人と出会う体験」がある。本ブログにその体験を8回も投稿している(付記参照)。
 7月30日の投稿記事「『人生の暗号』なる興味深い書物」で紹介した、筑波大学名誉教授村上和雄氏の著作「人生の暗号」の中に、次のような体験が記されている。
                                                   
村上氏がドイツの学究都市ハイデルベルクを訪れたときのことだという。学生街にある酒場の片隅でビールを飲んでいたら、偶然にも、顔見知りの中西重忠京都大学教授が入ってきたとのこと。その部分を読んで、私はドイツのノイシュバンシュタイン城で知人と出会ったことを思い出した。2019年7月20日に投稿した記事「村上春樹の新作を読んで」の後半に、ドイツでの体験が記されている。その部分は次のような文章である。
                                                   
「村上春樹の新作を読んで(2019.7.20)」の後半を再掲
                                                   
 ・・・・・・そして、もっとも不思議な偶然の出会いは、平成5年の夏に、妻と2人でヨーロッパを訪れたときのことである。11日間のパックツアーで、フランスとスイスおよびドイツを観光する旅行だった。
 ドイツの有名なノイシュバンシュタイン城を訪れ、城の1階で内部に入れてもらう順番を待っていたときである。辺りを見回してみたら、少し離れたところに知人の姿があった。同じ大学の学長であり、御夫妻で並んでおられた。周りのほとんどが日本人だったということもあり、学長は私から声をかけられてはじめて私に気づかれたようである。学長はずいぶん驚かれたが、ありえないほど不思議な邂逅に、私も驚愕と呼べるほどの境地にいた。私たちはお互いに、相手がヨーロッパにいることを知らなかったのだが、そのことが、私たちの驚きをより大きなものにしたと言えるだろう。
 私と妻はパックツアーだったが、学長夫妻はレンタカーでヨーロッパ各地を回っているとのこと。車を駆って自由に旅行できるのは、国際学会に幾度も参加して外国の国情にも慣れ、語学にも堪能だからできること。自分の語学力の不足を思うとともに、うらやましく思ったものである。私が初めて書いた小説「防風林の松」(本ブログの左サイドバーに、その小説の概要を紹介している)の序章に、「主人公の友人がヨーロッパをレンタカーで観光した」ことが書かれている。小説を書き進めているうちに、学長のレンタカー旅行が思い出されて、そのような文章を加えることになった。
 それにしてもである、ヨーロッパを旅行中の旧知の人同士が、同じ場所で出会う確率はどれほどのものであろうか。私と妻の見学が1時間ほど早かったなら、あるいは学長たちの到着がもう少しだけ遅かったなら、出会うことはなかったはずである。私たちがその場所で出会う確率は、宝くじに当選する確率よりはるかに低いはずである。
 ヨーロッパでのその邂逅は不思議なできごとと言えるが、先に記した東京での2度の邂逅も、めったに起こらない珍しいできごとだと思える。そのような体験を繰り返してきたことは、私にとってどんな意味があるのだろうか。そのような体験もまた、霊魂の実在を識るに至った経緯とともに(付記参照)、私には何らかの意味がありそうな気がするのである。
 村上春樹の長編小説「国境の南太陽の西」の後半に、主人公がかつて捨てた恋人と偶然に顔を合わせる場面が描かれている。「主人公の目の前に赤信号でタクシーが止まると、車内から主人公を見つめている元恋人の姿があった」とされる場面である。もしかすると、「ウイズ・ザ・ビートルズ」に描かれた体験以外にも、村上春樹は不思議な邂逅を経験しているのかも知れない、という気がする。私が3度も体験したのだから、そんな体験を繰り返すひとがいても不思議ではない、という気がしないでもない。確率的には極めてまれなことだが。
 
私は不思議な邂逅を繰り返しているが(付記参照・・・・・・上記の「村上春樹の新作を読んで」を書いたことがきっかけになり、過去に体験した偶然の出会いの数々が思い出された結果、投稿したものである)、ネットで調べてみると、そのような体験をしている人は少なくないらしい。確率的には極めて起こりがたいことが、思いの外に頻出しているのは、ユング提唱になる「意味のある偶然の一致(シンクロニシティ)」には、どうやらやはり意味があるらしい、と言えそうである。
                                                  
付記 偶然の出会いに関わる投稿記事


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ダーウインの進化論に代わる理論 [雑感]

7月30日の投稿記事「『人生の暗号』なる興味深い書物で紹介した書物「人生の暗号(村上和雄著)」の中に、ダーウインの進化論がもたらした弊害について論じた文章がある。
                                                                                                                                               
「弱肉強食」「適者生存」を前提にしたダーウインの進化論には、2つの誤りがあり、ひとつは動物と人間を一緒に並べて考えたこと、もうひとつは動物や植物の営みを一面からしかとらえなかった点だという。遺伝子には3%の相違しかないのに、人間と猿の間には天と地ほどの開きがあるところに、村上和雄氏はサムシング・グレートの意図を感じるという。そして、弱いけれども知性を与えられ、文明や文化をもって生きのびてきた人間は、ダーウインの進化論から外れた存在であると言う。
                                                                                                                                                
「弱肉強食の世界を自然界の支配原理とする進化論は、産業革命以来の資本主義の発達にはまことに都合の良い考え方であり、多くの人間をその原理で圧迫しながら、効率的な発展を遂げて、便利で快適な利器を作りだしてきた。その便利さと快適さは、一部の人間の強力なエゴを許した結果であり、助け合いの精神に乏しく、「自分だけよければ・・・・・・・・」の発想で生産力を高めたことが、公害や環境破壊を引き起こし、地球人口の約3分の1が極貧にあえぐという不幸な世界を作った。」と村上氏。科学が進歩して生命の仕組みが解明されるにつれて、ダーウインの進化論(弱肉強食、適者生存)とは違った考え方が浮上してきたとのこと。そのひとつは共生的進化論だという。

                                                                                                                                                
共生的進化論は、「人間にかぎらず生物は、お互いに助け合いながら進化した」という考え方だという。村上氏は「人生の暗号」の中で、共生的進化論の概要を説明しているのだが、本ブログでの紹介はここまでにする。インターネットで検索すれば、「共生的進化論」に関わる記事が見つかる。


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「靖国神社廃止の議」の真意 [政治および社会]

8月6日の投稿記事「かつての自民党には石橋湛山がいた」に関連する記事です。
                                                                                                                                                 
朝日新聞に掲載された政治学者原武史氏による署名記事「石橋湛山と身延山」には、石橋湛山が書いた社論「靖国神社廃止の議 難きを忍んで敢えて提言す」から、「我々はここで全く心を新にし、真に無武装の平和日本を実現するとともに、ひいてはその功徳を世界に及ぼすの大悲願を立てるを要する。それにはこの際国民に永く怨みを残すが如き記念物はたといいかに大切のものといえども、これを一掃し去ることが必要であろう」なる文章が引用されている。「国民に永く怨みを残すが如き記念物」は靖国神社をさしている。
                                                                                                                                                
身内に戦没者をもつ人たちは、崇敬するにしろ呪詛するにしろ、靖国神社に対して特別な感情を抱いているはずである。特攻隊員が遺子に遺した遺書に「お前が大きくなってから父に会いたくなったなら、靖国神社を訪ねなさい。父はそこに居るのだから」と記したものがある。戦没者と遺族をつなぐ存在として、靖国神社にはそれなりの存在意義があると言うべきだろう。その一方で、靖国神社に憎しみをもつ遺族も少なからず存在したようである。
                                                                                                                                                
石橋湛山は次男を戦死で失っていながら、靖国神社は廃止されるべきだと主張した。「靖国神社廃止の議 難きを忍んで敢えて提言す」を読んでみると、靖国神社を廃止すべき理由が幾つも記されているのだが、私が最も引きつけられたのは、社論を締めくくる数行の文章である。
                                                                                                                                               
「靖国神社廃止の議 難きを忍んで敢えて提言す」は、次のような文章で終わっている。
                                                   
首相宮殿下(終戦直後に7週間ほど首相を勤めた東久邇宮稔彦王)の説かれた如く、この戦争は国民全体の責任である。併し亦世に既に論議の存する如く、国民等しく罪ありとするも、其の中には自ずから軽重の差が無ければならぬ。少なくとも満州事変以来軍官民の指導的責任の位地に居った者は、其の内心は何うあったにしても重罪人たることを免れない。然るに其等の者が、依然政府の重要の位地を占め或は官民中に指導者顔して平然たる如き事は、仮令連合国の干渉なきも、許し難い。靖国神社の廃止は決して単に神社の廃止に終わるべきことではない。
                                                   
湛山が社論で最も主張したかったのは、「少なくとも満州事変以来軍官民の指導的責任の位地に居った者は、其の内心は何うあったにしても重罪人たることを免れない。然るに其等の者が、依然政府の重要の位地を占め或は官民中に指導者顔して平然たる如き事は、仮令連合国の干渉なきも、許し難い。」ということであろう。湛山と同じ思いを抱く人も多かったはずだが、この国は「重罪人たち」を罰することがなく、連合国によって、一部の者たちが戦犯として処罰されるにまかせた。責任を問われるべき者たちの多くは処罰されることなく、戦後の日本で羽をのばした。「重罪人たち」の罪をあいまいなものにしたのは、東久邇内閣が発した「一億総懺悔」の声明に影響されたためだったのか、あるいは、断罪することに後ろめたさがあったためであろうか。全体主義国家であって言論の自由もなかった戦前の日本で、石橋湛山は身の危険を顧みず、軍部や政府の非を責めたのだが、国民の多くは軍部や政府の有り様を熱狂的に支持していたのだから。
                                                   
アメリカではトランプを強く支持する国民が少なくはないという。この国では堕落した自民党が支持され続けている。アメリカではときおり政権交代があるからまだしも、この国では、多くの不祥事をかかえた自民党政権が続いてゆく。いつまで待てばよいのだろうか、まともな野党が育つのを。それとも、未熟であろうと野党に政権を移して、政権交代による政治の向上を促すべきか。政権がときおり交代するようになったなら、この国の政治もまともなものになるだろう。

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かつての自民党には石橋湛山がいた [政治および社会]

石橋湛山という尊敬すべき政治家がいたのだが、その名前を記憶している人は少ないだろう。発病したことにより、首相に就任してから65日で退任した政治家である。没後50年にもなるその石橋湛山に関わる記事が、8月6日の朝日新聞に掲載されている。政治学者原武史氏による署名記事「石橋湛山と身延山」である。
                                                                                                                                                
その記事によれば、戦後すぐの昭和20年9月下旬、身延山を訪れた石橋湛山は、旅館の一室で、「東洋経済新報」の社論の原稿を書いたという。その社論は10月13日の東洋経済新報に、「靖国神社廃止の議 難きを忍んで敢えて提言す」と題して掲載されたという。原武史氏はその社論を引用し、次のように書いている。
                                                                                                                                                
<「我々はここで全く心を新にし、真に無武装の平和日本を実現するとともに、ひいてはその功徳を世界に及ぼすの大悲願を立てるを要する。それにはこの際国民に永く怨みを残すが如き記念物はたといいかに大切のものといえども、これを一掃し去ることが必要であろう
 敗戦から間もないこの時期に、石橋は靖国神社を「国民に永く怨みを残すが如き記念物」と断罪したのだ。「功徳」や「悲願」といった仏教用語に、身延山という土地の磁力がうかがえる。

                                                                                                                                                
ウィキペディア(Wikipedia)での「石橋湛山」は次のように書き出されている。
                                                                                                                                                
 石橋 湛山(いしばし たんざん、1884年〈明治17年〉9月25日 - 1973年〈昭和48年〉4月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家、教育者(立正大学学長)。階級は陸軍少尉(陸軍在籍時)。位階は従二位。勲等は勲一等。大蔵大臣(第50代)、通商産業大臣(第12・13・14代)、内閣総理大臣(第55代)、郵政大臣(第9代)などを歴任した。内閣総理大臣在任期間は65日であり、日本国憲法下では羽田孜に次いで2番目に短く、日本の憲政史上でも4番目の短さである。早稲田大学から法学の名誉博士(Doctor of Laws)を贈られた。
 戦前は『東洋経済新報』により、一貫して日本の植民地政策を批判して加工貿易立国論を唱え、戦後は「日中米ソ平和同盟」を主張して政界で活躍した。保守合同後初めて本格的に実施された自民党総裁選挙を制して総理総裁となったが、在任2ヵ月弱で発病し、退陣した。退陣後は中華人民共和国との国交正常化に力を尽くした。
 実父は身延山久遠寺第81世法主杉田日布である。その関係で、立正大学学長に就任した。

                                                                                                                                                
自民党草創期に重要な役割を果たした石橋湛山だが、今の自民党政治家たちとは異質であり、まともな政治家である。アメリカ追従を主張する岸信介(安倍元首相の祖父)に対して、石橋湛山は対米自主外交を目指したため、アメリカに嫌われたというが、石橋政権が数年ほど続いていたら、その後の日本はもっとましな国になったのではと思う。
                                                                                                                                                 
言論の自由が失われた戦前の日本で、湛山は植民地の放棄を主張し、軍国主義を批判した。石橋湛山が今の政界に居たならば、自民党ではなく立憲民主党か社会民主党に移って、政道ををはずれた自民党を責めたてることだろう。


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人生100年時代を元気で過ごしたい! [人生]

最近はしばしば「人生100年時代」なる文字を目にします。そのような記事の多くに、「健康寿命」なる言葉が出てきます。
                                                   
私の母は百歳に近づいた頃てあっても、私が帰省すると自分で料理を作ってくれました。102歳で亡くなった頃には、ゆっくりとしか歩けなくても自分でトイレに行くことができたから、典型的な健康長寿者のひとりだったと思います。90代の半ばになっても、野菜栽培に関わろうとしていたから、そのような生活が健康維持に役立っていたのでしょう。                                                  
                                                   
大学時代の友人たちには、元気で日々を送っている者が多い。新年会などの懇親会は、コロナのせいでZOOMでの会合になりましたが、そこでの話題のひとつは健康に関わることです。仲間たちはいずれも80代の半ばですが、それぞれ健康に気をくばり、散歩などをしているようです。かく言う私は怠惰に流されるまま、健康に配慮したことはほとんどしていないけれども、どうにか元気で過ごしています。典型的な運動不足者ですが、歯の健康には充分に配慮しているので、今でも歯がぐらつくことはなく、硬いものでも噛み砕くことができます。もしかすると、健全な歯を維持していることが、私の健康の源になっているのかもしれない。参考にしてもらえるよう願って、これまでに幾度も、本ブログで歯に関わる記事を投稿しています。(付記参照)   
                                                   
歯科医に歯を点検してもらおうとしていた矢先にコロナ禍がひろがり、歯科医を訪ねないままに5年が過ぎました。歯にはまったく異常はないが、今年は歯科医を訪ねて歯を点検してもらうつもりです。
                                                   
私は散歩もしない運動不足者ですが、歩く際にはかなりの速歩きです。もしかすると、早足で歩くそのくせが運動不足を補い、私の健康維持に役立っているのかもしれません。ここまで書いたら気づいたことがあります。早足で歩けるのは、手足の筋肉を維持するための動作を続けているために、足の筋肉がさほどに衰えていないからではなかろうか。
                                                   
70代のある日、足の筋肉が衰えていることを知りました。走ろうとしたら足がもつれたからです。筋肉に負担をかけない日常生活を繰り返していたなら、日常生活に必要な筋肉にとどまり、筋力不足ゆえに走ろうとすれば足がもつれる。たとえ短時間であろうと、筋肉に強い負担をかけたなら、筋肉は強化されるのではないか。そう思った私は、入浴に際して筋肉に負担をかける動作をすることにしました。足首を互いにからめ、両手を握り合わせ、手足を突っ張る。力を加える向きを変えながら行っても、要する時間はせいぜい1分ほどです。まいにち実施しているわけではないが、予想通りの効果が得られており、80代であっても少しは走ることができます。
                                                   
私の小学生時代には、70歳の人はずいぶん高齢に思われました。その頃はおそらく、まだ「人生70年」の時代だったのでしょう。人生100年時代が現実味を帯びてきたいま、私にはまだ15年が残っている可能性があります。とはいえ、散歩すらもせずに健康長寿を願うとは、いささか甘い期待に過ぎていないか。さて、どうしたものやら。
                                         
付記 歯に関わる投稿記事
                                                   
 
                                          
                                          

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