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ダム偏重の治水対策がもたらした災害 [政治および社会]

11月16日のMSNニュースに、ハーバービジネスオンラインの記事「肱川大水害で最大級の被害地域で見た、無治水の惨状。ダム偏重による行政の倒錯と怠慢が生んだ人災」が転載されている。筆者は牧田寛氏(著述家・工学博士とのこと)である。


この記事によれば、本年7月の西日本豪雨により、肱川(愛媛県)が氾濫して大きな被害がもたらされたのは、「ダム偏重による行政の倒錯と怠慢が生んだ人災」だという。暴れ川として有名な肱川でありながら、ダムに偏重した治水対策がおこなわれ、堤防がなおざりにされてきたことが、今回の災害をもたらしたという。記事の一部をここに引用させてもらう。


ハーバービジネスオンラインの記事「肱川大水害で最大級の被害地域で見た、無治水の惨状。ダム偏重による行政の倒錯と怠慢が生んだ人災」より一部を引用


・・・・・・肱川左岸を望むと、なんと堤防がありません。堤防の代わりに土饅頭(土を盛っただけのもの)が並んでいる箇所があります。堤防が破堤したとしてもここまで破壊されることはまずありませんので、この土饅頭は堤防の残骸ではありません。
  ・・・・・・肱川は暴れ川として有名な一級河川です。しかも治水機能を持つ多目的ダムが上流に二箇所あり、さらに支流に一箇所建設中です。そのような河川に無堤箇所などある訳がないのです。ダムを建設しても下流に近代的な大規模堤防が建設されていなければ、ダムは治水機能をまともに発揮できません。むしろ最悪の場合、ダム自身を守るための緊急放水によって下流は見殺しにされます。
・・・・・・ 度重なる中規模氾濫のために地元との同意の上で鹿野川ダムと野村ダムが、中規模洪水に対応した操作手順となり、大規模洪水への対応が限定的となっていることは広く報じられているとおりです。過去60年間、鹿野川ダム下流域の少なくとも20km近い区間で治水事業をまともに行ってきていない以上、ダムの治水機能は十分には発揮できません。極端なダム偏重治水事業の結果としてダム下流域の無治水状態が60年経っても解消されず、結果として本来ダムが担当すべき大規模洪水への対応を放棄したところに起きたのが平成30年7月7日水害すなわち肱川大水害と言えます。
 運悪く堤防完成が間に合わなかったのではなく、ダム建設のための治水事業という本末転倒によって菅田地区堤防完成が平成45年予定だったという行政の倒錯と著しい怠慢が原因と言って良いです。(参照:おおず市議会だより 2015年2月)
 しかも、平成23年9月水害だけでなく、過去に多数回、堤防治水などの不備による中規模氾濫が鹿野川ダム完成後に起きており、堤防、水門、排水施設の整備が火急の課題であることはわかりきっていたことです。
 にもかかわらず堤防、水門、排水施設の整備を怠り、治水のためのダム建設でなく、ダム建設のための治水と断じてよいほどの本末転倒なダム偏重治水行政を行っていたことについて、国土交通省、愛媛県の責任は極めて重大というほかありません。また、そのようなきわめて異常な肱川独特の治水事業にお墨付きを与えてきた「有識者」「学識者」の存在にも注目すべきでしょう。  (引用おわり)


ダムを作る代わりに堤防を作っておいたなら、9人もの死者をだした7月の災害は防げたはずである。


民主党政権が八ッ場ダムの建設を中止しようとした頃、最も有効な治水は堤防の整備であってダム方式ではない、との議論があった。その論拠には充分な説得力があると思ったのだが、極めて強力な建設推進派の力に押され、民主党政権の建設中止案は撤回される結果になった。


この国では公共工事が着手されると、多くの場合、それが無駄なものとわかっても中止されない。その例外と言えるのが、膨大な費用を費やしたあげくに、着工から37年が経過した2000年に中止された中海干拓事業(国営中海土地改良事業)である。あきらかに無駄なものと見なされるに至っても、工事は国によって押し進められ、膨大な費用を無駄にしてから中止された。


牧田寛氏は「本末転倒なダム偏重治水行政を行っていたことについて、国土交通省、愛媛県の責任は極めて重大というほかありません。また、そのようなきわめて異常な肱川独特の治水事業にお墨付きを与えてきた「有識者」「学識者」の存在にも注目すべきでしょう。」と書いたが、さらに言葉を加えてほしいと思う。「肱川のことにかぎらず、国は多くの過ちを犯してきた。そのような過ちを防ぐためにも、国民はまともな政治家を選び、政治をしっかり見張っていなければならない」

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