八十路にて詠む歌 34 [吾が詠みし歌]
春過ぎて夏来にけらし半袖の姿いつしか町に増えたり
4月20日は小林一茶の句を借り、4月25日は与謝蕪村の句を利用したのですが、今日は万葉集の持統天皇の歌「春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」の本歌取りです。中学や高校時代の私は国語に興味を覚えなかったのですが、そして、さほどに記憶力に優れているわけでもないのですが、こうして古い俳句や歌を利用した歌を詠み、ブログに投稿することになりました。特に意識はしなかったけれども、俳句や短歌に惹かれていたのでしょうか。
本ブログに「父の歌集より」なるカテゴリーを設け、父の歌を26回にわたって紹介したことを契機に、いまではカテゴリー「吾が詠みし歌」に「八十路にて詠む歌」を載せております。とはいえ、去年の8月に開始してから8ヶ月の間に34回しか投稿していないのですが。
ここまで書いたら歌を追加したくなりました。というわけで、本歌取りにてもう一首詠みました。持統天皇の歌と同様に体言止めにしました。
春過ぎて夏来にけらし白シャツの姿増したり町なかの道
八十路にて詠む歌 33 [吾が詠みし歌]
父と母の法事を行いました。故郷で暮らす弟が一切を手配してくれたので、とどこおりなく進行しました。弟たちに感謝しつつ故郷を後にしました。
いつになく父を思い母思う同胞たちと法要にのぞみて
いつしかに父の齢を超えたれど母の齢は仰ぎ見るさき
長寿を全うした母は102歳まで生きました。ずいぶんと長生きしてくれたと思いますが、その年齢まで生きたとしても、私には17年しか残っていないことになります。これから先を真に意義あらしめたいと願っていますが、さて、どのような人生になってゆくことでしょう。為すべきことを為して成るように成ればと願っているのですが。
八十路にて詠む歌 32 [吾が詠みし歌]
私の故郷は出雲大社の南西10Kmにあります。今では田圃や畑の間を通る道も舗装され、私の子ども時代とは様変わりしております。道路にかぎらず様々な生活環境も変わっているわけですが、住宅が少なく街灯もないので、夜空の景観は昔と変わりません。私が住んでいる土地は名古屋の都心から離れているのですが、家々の灯りや街灯などのため、ベランダから眺める夜空にはわづかな星しか見えません。
故郷の夏の夜空ぞ懐かしき数多の星と星のなす川
八十路にて詠む歌 31 [吾が詠みし歌]
俳句には関心がなく、記憶力が強いわけでもない私ですが、著名な俳句や歌の幾つかを知っております。おそらく、高校時代の国語教科書で出会ったものでしょう。
「 八十路にて詠む歌 30」に、小林一茶の「やれ撲つな蠅が手をする足をする」なる句を引用したのですが、そのことを思い出したら、一茶とは異質な俳人である与謝蕪村の句が浮かんできました。「春の海ひねもすのたりのたりかな」です。というわけで、きょうはその句を使った歌を詠んでみました。
春の日をひねもすのたりと過ごしたり為すべきことを為さぬままにて
惰性に流されるままに時間を無駄にしたことを悔い、反省の気持ちを読んだ歌です。こんな歌を読んだところで、怠惰な性格が改められるとは思えないのですが。
八十路にて詠む歌 30 [吾が詠みし歌]
庭に植えたサツマイモが、どうやら根付いたらしく、しなびていた葉が元気を取り戻してきました。近付いて見たら、苗のまわりに多数のダンゴムシがいました。黒いマルチシートが格好の繁殖場所になったようです。
サツマイモの根をかじられたなら、かんじんの薯ができなくなるかもしれない。というわけで、ホームセンターでダンゴムシ用の殺虫剤を購入しました。その効果はてきめんで、使った次の日に調べてみたら、500匹を越えると思えるほどのダンゴムシが丸まっていました。
一茶なら如何になすやら菜園に群がる虫の多きを観たら
小林一茶に「やれ撲つな蠅が手をする足をする」なる句があります。その句を知る人にしか理解してもらえそうにない歌です。
八十路にて詠む歌 29 [吾が詠みし歌]
庭にブルーベリーの木が2本あります。ラビットアイ系のパウダーブルーとブライトウェルです。今年もたくさんの花をつけていますが、受粉を助けるはずの蜂が来ません。蜂どころか、蝶や蠅すら姿を見せません。こんな状況ですから、今年の収穫は微々たるものになりそうです。
庭の果樹訪い来る虫を待ちたれどむなしく暮れる春の一日
この歌を詠んだら思い出しました。父が17歳時に読んだつぎの歌です。(2021年8月27日投稿の「父の歌集より 1」参照 )
秋まけて咲く夕顔の花あはれ訪い来る虫もあらぬと思へば
虫が訪れない晩秋の花と同様に、春でありながら虫を待ち続ける花にも、同情せざるをえません。果実を期待できないのではと、人間は虫の不在に不満をおぼえるのですが。
八十路にて詠む歌 28 [吾が詠みし歌]
出征していた父が復員したのは、私が小学校3年生の初夏でしたから(2022年5月3日に投稿した「 父の歌集より 26」参照)、それまでの数年、小学生の私も働き手として、母を助けておりました。
昨日は庭のささやかな菜園にサツマイモの苗を植えました。母と並んで苗を植えた昔が思い出されます。
甘藷苗植えつつ想う遠き日の畑に励む母の姿を
八十路にて詠む歌 27 [吾が詠みし歌]
ブルーベリーのひこばえが枝を伸ばして、明るい緑の葉をまとっています。数年が経った頃には、そのひこばえが多くの実をつけるはずです。
ひこばえの果樹の若木の若緑実を結ぶ日を思う春の日
八十路にて詠む歌 26 [吾が詠みし歌]
妹の1人が誕生日を迎えたので、例年通りに電話で祝意を伝えました。かなり以前から続けている、5人の弟妹たちに贈るささやかな贈り物です。受話器から聞こえる妹の声に、母の声を思い出しました。
妹の誕生日をば祝す日の電話の声に母の声想う
八十路にて詠む歌 25 [吾が詠みし歌]
家の近くを歩いてみたら、満開の桜が風に散っていました。私の小学生時代には、桜は入学式の時期が満開だったと記憶していますが、温暖化によって卒業式の時期に咲いております。
幼き日桜の花は入学時温暖化にて卒業の花
八十路にて詠む歌 24 [吾が詠みし歌]
サツマイモの畆を作るために庭の土を掘り返していると、地中で冬を過ごしている虫が出てきます。冬にはほとんど動けないはずの虫ですが、生き残るためでしょう、意外なほどに動きまわります。
掘り返す庭の土より出でし虫そろりと土に戻す冬の日
八十路にて詠む歌 23 [吾が詠みし歌]
日本が連合国を相手に戦争をしていた頃、「 米英撃滅」「鬼畜米英」などの標語が流布されて、敵国への憎しみをあおり、戦意の高揚がはかられました。敗戦によって戦争が終わると、憎む対象は戦争になり、戦争放棄の現憲法につながったのでしょう。反戦と平和のために最も役立つことのひとつは、戦争を憎む感情だと思います。
憎しみもときに価値あり戦争を憎む気持ちと反戦平和
八十路にて詠む歌 22 [吾が詠みし歌]
今年も庭でサツマイモを作ります。苗を植えるまでに地温を上げておくため、早めに畆を作ってマルチシートで覆うことにしました。というわけで、まだ3月ですがほぼ準備を終えております。
庭土に籾殻加え畆づくり甘藷の秋を想う3月
八十路にて詠む歌 21 [吾が詠みし歌]
東日本大震災から12年になります。関東大震災がいまでも言及されるように、東日本大震災も同様に、長きにわたって語られることでしょう。
大震災よりもはるかに悲惨なできごとが、3月10日に起こったことを、どれほどの人が知っているいるのでしょうか。1夜に10万人もの人が犠牲にされた、昭和20年3月10日の東京大空襲です。地震は天災ですが、空襲は人災であり、その咎を神に責められてしかるべき者たちがいます。
忘れまじ3月10日と11日空襲被害と地震災害
八十路にて詠む歌 20 [吾が詠みし歌]
先日の寒かった日に、窓ガラスの外側に蠅がとまっていました。一匹の虫とはいえ、こんな時期の虫には憐れみをおぼえます。異常な高温が続く夏のせいでしょうか、近年は蝶や蜂などの昆虫が減りました。冬の屋外に蠅が居るのも、もしかすると異常気象がもたらした結果かも知れません。
いずこより来たりしものか厳寒の庭に迷える虫ひとつあり
この歌を詠んだら父が17歳時に読んだ歌を思い出しました。2021年8月27日に投稿した、「父の歌集より 1」にあるこの歌です。
秋まけて咲く夕顔の花あはれ訪い来る虫もあらぬと思へば
85歳の私ですが、17歳の父が詠んだ歌にも及ばない、という気がします。はたして、肩を並べうるときが来るのでしょうか。
八十路にて詠む歌 19 [吾が詠みし歌]
新しい年を迎えるたびに、学生時代に暮らした寮の仲間と新年会で会っていたのですが、コロナ禍のもとではZOOM方式になりました。オンラインということもあり、昨年はカナダ在住の友人と60年ぶりに再会できました。
八十路にて相見えたる古き友姿変われど声なつかしき
きょうは皇居での歌会始があり、テレビで中継されました。今年のお題である「友」にあわせて、上記の歌を詠んでみました。
歌を詠むために要する時間 [吾が詠みし歌]
「カンガルー革の靴(2022.11.9)」に書いたように、靴や衣服を買うに際して時間をかけない私ですが、これまでは、歌を詠む場合にも時間をかけませんでした。
「八十路にて詠む歌」に歌を投稿しようと思ったとき、思い浮かんだことをそのまま歌の形にしているのですが、安易に過ぎるのではないか、という気がしてきました。才能に恵まれた歌人は、ひらめくままに勝れた歌を詠むのかもしれないのですが、私はまったくの初心者です。歌詠みの仲間に加わりたいのであれば、もっと努力すべきではないか、と思います。
というわけで、「八十路にて詠む歌」に投稿する歌を、できれば10分程度は時間をかけて練りたいと思います。そのように努力したとて、良い歌を詠めるとはかぎらず、「即興で詠んだものと変わらない」かも知れないのですが。
八十路にて詠む歌 18 [吾が詠みし歌]
私自身にも家族にも、身内の者にも友人にとっても、日本と世界にとっても、様々なことがあったこの年ですが、数十時間先には新しい年を迎えます。
12月も後半になり、新年を迎える準備として賀状を書いていたら、蒙ってきた様々な恩義が思い出されました。心のうちに感謝の念を抱きながらも、その気持ちを伝えないままに過ごした人に対して、申し訳ないという気持ちになります。そんな思いを抱かなくてすむように、きちんとした生き方をしなければ、と反省を促された次第です。
親の恩同胞の恩種々の恩胸に謝しつつ書く年賀状
八十路にて詠む歌 17 [吾が詠みし歌]
故郷で暮らす弟妹たちとはたまにしか会えないのですが、ときおり電話で話すことがあります。高齢になったためでしょうか、ときにはずいぶんと長い電話になり、気がついたら一時間も話していたことがあります。たんなる無駄話とも言えるのですが、気持ちのうえでは無駄とは思えず、むしろ満足感が残ります。高齢者に限らず経験することかもしれないのですが。
電話にて長く続ける無駄話その後に残るやすらぐ心
八十路にて詠む歌 16 [吾が詠みし歌]
キンモクセイの枝を切ろうとしたら、葉にくっついた蝉の抜け殻がありました。以前はうるさいほどの蝉しぐれを聴いたものですが、この数年は聞こえません。蝶や蜂にトンボなど、虫もずいぶん少なくなりました。今現れる蝉は数年前から地中にいたはずです。羽化する蝉が少ないということは、かなり以前から蝉も少なくなっていたということでしょう。10年以上も前のことでしょうか、猛暑日が増え始めたのは。
蟬時雨耳にせぬ夏過ごせしに庭木に残る抜け殻ふたつ