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寿命を迎えるまでになすべきことは [人生]

8月23日に「親の恩・・・・・・グライダー事故を振り返って思うこと」なる記事を投稿したが、その事故は60年前の10月13日であった。忘れがたい10月13日とはいえ、事故に関する記事は先ごろ投稿したので、きょうは寿命について書こうと思う。グライダー事故のほかにも、命に関わる体験を幾度もしてきたからである。


振り返ってみると、私はそのような体験を小学生時代から繰り返している。小学生時代の感電事故(その事故については、2015年7月6日の記事「電気は怖い・・・・・・感電事故の体験」と、2018年9月7日の記事「安全教育としての理科教育」に書いている)と溺れかけたこと。小学生時代に患った肝臓病(その病気のことは、2015年9月24日に投稿した「子供を学習塾に通わせるより、読書の楽しみを教える方が良さそうだ」に書いてある)も、成人後にその体験を伝えた医師からは、「よく助かりましたね」と言われことがある。


結核に感染したのも小学生時代で、父に連れられてしばしば保健所に行き、X線検査を幾度も受けた。両親からも医師からも、感染のレベルは知らされなかったのだが、微熱を意識することが多かったから、きわどい状況にあったと思われる。その当時の結核は不治の病と呼ばれ、私の村でも肺結核で命を失う者が少なくはない時代であった。


そのような体験を持つ私は、特攻隊員を主人公とする小説「造花の香り」(本ブログの左サイドバー参照)の中に、次のような一節を加えた。出撃基地で待機中の主人公が、仲間の隊員と話し合う場面である。


「造花の香り第六章 若葉の季節」より引用

   ・・・・・・吉田と並んで歩きだすと、校舎の中からオルガンの音が聞こえた。音楽に素養のある隊員が弾いているのか、聴きなれた文部省唱歌の旋律が、少しも滞ることなく流れた。
「ところで森山、貴様は自分の寿命について考えたことがあるか」と吉田が言った。
「考えたことはないな、そんなことは」
「俺はモーツァルトが三十五歳で死んだことを知って、せめてそこまでは生きたいと思ったよ。その頃の俺は、二十歳までには死ぬと思っていたからな。中学に入ったばかりの頃だった」
「何かあったのか」
「肺浸潤になったんだ。残りの人生が数年しか残っていないような気がして、三十五まで生きたモーツァルトを羨ましく思った。三十五年も生きたなら、自分なりに何かをやれるだろうに、このまま死ぬのは悔しいという気持ちになったんだ。まだ十二だったからな」
「悔しいよな、たしかに。俺たちは日本のためどころか、人類全体のために役立つことができるかも知れない。そんな気持にもなるじゃないか。今の俺たちは死んで役に立つことしかできないが、この特攻がほんとに役に立ってほしいもんだよな」
「俺たちは実を結ぶどころか、花も咲かせずに散るんだ。俺たちの特攻が何の役にも立たないなんてこと、そんなことがあってたまるか」    ・・・・・・(引用おわり)


命に関わる病気の最たるものはガンだが、私はそのなかでも危険な肺ガンを患い、手術を受けたことがある。ある女医さんの勘によって比較的早期に見つけてもらい、今に至るまで元気に過ごすことになった。その経緯を書いたのが、2015年11月3日の記事「肺ガンが見つかった経緯」である。


命に関わるような状況を幾度もくぐり抜け、長寿に達する人がいる一方で、本人には何らの落ち度がないにも拘わらず、若い命を失う人がいる。中には戦争犠牲者のように、政治の過ちによって犠牲にされる人もいる。病気で亡くなった人には「それが寿命だったのだ」と言えるけれども、不慮の事故などで亡くなった人については、「運が悪かったのだ」としか言えないような気がするのだが、スピリチュアルリズムに関わる人の中には、「それもやはり寿命なのだ」という見方をする人がいる。


スピリチュアルリズム的な解釈によれば、人がこの世に生をうけるのは、生きる過程を通じて霊的に成長し、魂を磨くことにあるらしい(注1)。若くして世を去る人がいるのは、「生まれた目的をすでに果たしたからである」ということらしい。私が幾度も危ういところを助かってきたのは(助けられてきた?)、この世で果たすべきことが残っていたためなのか、魂がまだ未熟に過ぎるゆえに死んではならなかったのか。「この世で果たすべき最も重要なことのひとつが、自らの魂を磨くこと」であるなら、元気で81歳を迎えようとしている私には、まだまだ未熟なところが多いということかも知れない。


未熟なところが多々あると自覚し、やり残していることも多々あるという気持がある私は、寿命を迎えるもう少し先までに、生まれる前にたてた目標レベルを目指して、魂を磨くべく努めたいものである。とはいえ怠惰で惰性に流されやすい私ゆえ、努力を怠る可能性がある。もしかすると、「怠惰で惰性に流されやすい弱点を克服すること」も、私がこの世に生をうけた目的のひとつかも知れないのだが。


(注1

この考え方は生まれ変わり(転生)を前提にしている。生まれ変わりに関する学術的な調査が行われ、現在の科学では説明できないものの、その真実性が確認されている。


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