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「内閣法第1条と政権の自省」なる記事を読んで [政治および社会]

朝日新聞に「経済気象台」なるコラムがある。幾人かの執筆者はいずれも、朝日新聞社外のひとであり、第一線で活躍している経済人や学者だという。


4月11日の記事は「内閣法第1条と政権の自省」と題され、執筆者は呉田となっている。その記事は次のように書き出されている。


  読者諸兄は、内閣法という法律の第1条をご存じだろうか。「内閣は、行政権の行使について、全国民を代表する議員からなる国会に対し連帯して責任を負う」
  国会の野党も国政選挙で数千万人の国民=主権者に支持された「国民の代表」。ゆえに内閣は自分を支持しない野党にも等しく行政権の執行に責任を負う。当たり前だが、国民主権・議員内閣制のもとで政権を担うのはそういうことだ。
  権力とはどこまでも行っても主権者たる国民からの「預かりもの」。国民は主権者であって「統治の対象」でも「支配の対象」でもない。選挙に勝ったから思い通りに何でもやっていいわけではない。・・・・・・・・
  民主国家の為政者には「権力の負託」の重みに思いを致し、真摯に主権者=国民に向き合って批判を甘んじて受ける謙虚さ、権力の執行のあり方を常に自省する義務がある。にもかかわらず昨今は野党を罵倒し、霞が関の人事を私物化し、マスコミを恫喝し、一切の批判を許さず従わぬ者は力でねじ伏せる。そんなことが白昼堂々まかり通っている。・・・・・・


この記事は次の文章で終わっている。


  日本の民主主義は本当に大丈夫なのか。これは「いつか来た道」ではないか。これから日本がどこに向かうのか、とても心配である。


愛国心に富む日本人なら、上記の文章に同意するのではないか。小泉純一郎は「自民党をぶっこわす」と言ったが、将来の日本で、「安倍政権によって民主主義がこわされた」と呼ばれるようなことにしてはならない。


先の敗戦に至るまでの戦争の期間は、一部に異論はあるようだが15年戦争の時代と呼ばれる。発端となった満州事変は昭和6年に始まったのだが、それより10年前の大正時代は、後に大正デモクラシー時代と呼ばれるように、15年戦争の時代には想像できない時代であった。昭和時代に入った日本は急速に変容し、思想や言論の自由を奪われた息苦しい社会になり、政治を担うことになった軍部主導のもとで破滅に向かう結果になった。


歴史家の中には、「日本の現状は昭和初期の状況に類似したところがある」と指摘する人がいる。破滅的な敗戦後に民主国家として復活した日本が、昭和初期とは大きく異なっていることを前提にしながらも、そのように指摘したくなる現状があるということである。自民党政府のマスコミへの介入や独善的な政治手法を見せられると、歴史家ではない私にも、このままでいいのだろうか、との不安を覚える。自民党政府に関わる問題以上に危惧すべきは、そのような政府を支持し続ける国民が多いことである。若い世代の多くはあの戦争について学ぼうとしないのだろうか。若い世代の自民党支持率が高齢者のそれより高いことに、私は強い不安を覚える。






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