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日本国憲法の基になった日本人作成になる試案 [政治および社会]

改憲論者は主張する「現憲法はアメリカに押しつけられたものゆえ、日本人の手による憲法に改正すべきである」と。
                                                   
現憲法はGHQから提示された案を基に作成されたのだが、GHQ作成になる原案(マッカーサー案)は、日本人による試案を参考に作成されたようである。
                                                   
敗戦4ヶ月後の昭和20年12月に、憲法研究会(東大教授や政治評論家などの民間人による研究会)が「憲法改正要綱」を公表したという。
                                                   
国会図書館の「日本国憲法の誕生」は、現憲法が成立するまでの過程をまとめたものである(「日本国憲法の誕生」で検索すれば見ることができる)。その概説の第2章に「さまざまな民間草案」なる項があり、民間で作成された幾つもの草案が紹介されているのだが、そこにはこのような文章がある。
・・・・・・政府側が秘密裏に改正草案作りを進めていたころ、民間有識者のあいだでも憲法改正草案の作成が進行し、1945年末から翌春にかけて次々と公表された。その代表例が、1945年12月26日に発表された 憲法研究会の「憲法草案要綱」であった。これは、天皇の権限を国家的儀礼のみに限定し、主権在民、生存権、男女平等など、のちの日本国憲法の根幹となる基本原則を先取りするものであった。その内容には、GHQ内部で憲法改正の予備的研究を進めていたスタッフも強い関心を寄せた。
 1946年になると、各政党ともあいついで改正草案を発表した。自由党案と進歩党案はともに、明治憲法の根本は変えずに多少の変更を加えるものであったのに対して、共産党案は天皇制の廃止と人民主権を主張し、社会党案は国民の生存権を打ちだした点に特徴があった。
                                                   
連合国軍総司令部(GHQ)で憲法草案に関わった担当者は、日本の有識者が独自に作成した憲法草案「憲法草案要綱」に強い関心を寄せたとのこと。なお、「日本国憲法の誕生」の「さまざまな民間草案」の項には、公表された草案が15件ほど掲載されている。
                                                   
たとえ草案であろうと、憲法案をゼロから作成するにはかなりの期間を要すはずだが、マッカーサー草案はわずか9日間で作成されたことが知られている。その事実が、「マッカーサー草案は日本人作成になる憲法草案要綱をもとに作成された」とする説の根拠のひとつになっているようである。「憲法草案要綱」は現憲法に比べて条項が少ないものの、現憲法に類似したところが多いのだから、「憲法草案要綱」が現憲法の基になっているとする説には説得力がある。
                                                   
Wikipediaの「憲法草案要綱」の項には、興味深い記事が記されている。Wikipediaの記事が真実とはかぎらないけれども、国会図書館の「日本国憲法の誕生」とつきあわせて考えれば、どうやらやはり、「マッカーサー案は「憲法草案要綱」をもとに作成された」と言えそうである。マッカーサーから提示されたその案を参考に、日本の担当者たちは長い時間をかけて、いまの平和憲法を作りあげた。そうだとすれば、「現憲法はアメリカに押しつけられたものではない」と言ってよさそうである。私にはそう思えるのだが、憲法学者と呼ばれる人たちの見解はどうであろうか。

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