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子供の学力が向上するとき [教育]

私が理系人間を自認したのは高校時代でした。小学生時代から電気に興味を抱き、中学時代には独学でラジオの勉強に励んだものです。好きなことに熱中したからでしょうか、中学1年生まで成績の悪かった私は、3年生になった頃には、むしろ成績優秀者のひとりになっていました。


高齢者の仲間に入ってからブログを開設し、その中のカテゴリーのひとつに「教育」を置きました。中学時代に急激に成績が向上した自分の体験が、読んでくださる誰かに役立つはずだ、と思ったからです。「教育カテゴリー」に投稿した記事には次のようなものがあります。

・「必要は発明の母なり」に付け加える言葉(2015年8月19日)                                                   


 ラジオについての独学が、私の学力向上を促したと思いますが、読書に慣れていたことも、大いに役立ったと思います。そのことを書いたのが次の記事です。


塾に通わせるよりも有効な学力向上対策(2017年2月2日)                                                 


中学生になるまで、私は自分の成績をさほどに気にしていませんでした。戦後間もない頃であったし、偏差値教育もなされていなかった頃でした。親から責められたこともなく、周囲にも成績で悩む友達はありませんでした。ラジオの勉強に取り組むことができたのは、悪い暗示(自分は頭が悪い、自分には才能が無いなど)による催眠にかかっていなかったからでしょう。小説「防風林の松」(左のサイドバーにて概要を紹介)の99%は創作ですが、その中に、私の体験(成績劣等生からの脱却)を書き込みました。主人公が友人との会食中に交わす会話です。


小説「防風林の松」より

   ・・・・・・・・・・僕は自分自身の体験を語った。中学一年生まではまったくの成績劣等生だったこと。オーディオに対する興味におされて始めた電気の勉強が、僕に自信をもたらす結果になったこと。

 僕の話を聞いて坂田は言った。「今の日本では、小学校や中学校で落ちこぼされたら、そこから這い上がるのに苦労するわけだが、落ちこぼされている子供の中には、お前みたいなのがたくさんいるのかも知れないぞ。先生の話をろくに聞かずに、自分が興味を持っていることだけを考え続けているような子供が。そんな子供はほんとうは普通以上に集中力があっても、勉強する気も能力もないと決めつけられるんじゃないのかな、いまのような偏差値教育の中では」

「長岡半太郎や本多光太郎も、小学校時代には勉強ができなかったそうだから、今の日本に生まれていたら、世界的な学者にはなれなかっただろうな」

「今の日本では、小学校でつまずいた子供は催眠にかかってしまって、自分には能力がないと思い込むようになると思うな。そうなると、たとえ努力をしたところで、催眠にかかっているために勉強は身につかないわけだ。お前の場合には運が良かったんだよ。オーディオ装置に興味を持ったおかげで、うまい具合に催眠から醒めることができたんだからな。電子回路を勉強したきっかけが音楽というのは、お前だけかも知れないけどな」

「詳しいんだな、教育のことに」と僕は言った。

「本を一冊読んだだけだよ。偏差値教育と詰込み教育の問題をとりあげた本を」

 その言葉を聞いて、坂田はずいぶんレベルの高い読書家だと思った。僕が読むのはおもに科学雑誌や週刊誌で、教養のための書物はほとんど読まなかった。

 坂田はさらに続けた。「こんなことも書いてあったな。小学校の低学年では理科好きな子供が多いのに、高学年になると理科嫌いが多くなるというんだ。好奇心を満たすことより、知識を詰め込むことが重視されたり、友達と成績を競わされたりするんだからな、そんな理科がおもしろいはずがないよ」

                                                                                                                                               

私の小学生時代に偏差値教育がなされていたら、私は落ちこぼれのままだった可能性があります。本ブログで幾度も、偏差値教育に対する疑問を書いてきました。つぎの記事はそのうちの2つです。




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