扶けられて生きる人生 [人生]
10月13日は、64年前にグライダー事故に遭遇した日である。私の人生で、数時間ほどの記憶が失われた日でもある。仙台市郊外の霞の目飛行場に着いた朝から、事故が発生した時刻(昼前?)までと、事故後に意識を回復するまでの数時間の記憶がない。もしかすると、飛行場に着いた際の記憶は、一週間まえの記憶だったのかもしれないのだが。航空部の部長は医学部の学生だったが、その人によれば逆行性健忘症と呼ばれる現象とのこと。怪我をしてから病院のベッドで気がつくまでの時間は、意識を失っていただけであり、記憶喪失ではない。
いまでも、眼の周囲を触ると骨が折れた痕がわかる。頭を打って脳内に出血したようだが、医学部生だった部長によれば、その出血はやがて吸収されて消えるとのことだった。眼窩の変形によって視神経が圧迫されたため、左眼の視力が低下したのだが、それ以外の後遺症は遺らなかった。大学病院に入院して一月後には院内を歩けるようになったが、結果的には2ヶ月ほど入院することになった。
グライダー事故にかぎらず、私は幾度も危険な目に遭ってきたのだが、誰かに助けられたかのように生き延びてきた。そのことを書いたのが「命に関わる危機に幾度も遭遇しながら生きのびる人(2019.10.13)」である。その記事はこんな文章で終わっている。
私よりも多くの危機を体験しながら、それを通り抜けて生きる人もいることだろう。そのような人には、その危機で命を失ってはならない理由があったのではなかろうか。そのような人のひとりかも知れない私には、事故や病気を切り抜けるべき、どんな理由があったのだろうか(あるのだろうか)。偶然の出会いを繰り返した理由がわからないのと同様に、考えたところで答はでそうにないのだが。
人は魂を向上すべく転生を繰り返すという。もしかすると、あの世に還るには私の魂が未熟に過ぎたため、幾度も危険な状況に陥りながらも助かってきた(助けられた)のかも知れない。グライダー事故からさらに10数年が経った頃から、私は幾度も不思議な体験をして、結果的には霊魂の実在を識ることになった。幾度も助けられながらも目覚めなかった私を目覚めさせるために、不思議な体験をさせられたのだろうか。そうだとすれば、危機から私を救い、霊魂の存在を知らしめてくださった誰かに、私は深く感謝しなければならない。
今の私は、どんな人にもその人を扶け導く存在がある、ということを知っている。私は感謝の気持をこめて、霊魂の実在に関わる記事を書き続けてきた。その幾つかを付記2に列挙しておく。
上記の文章に「偶然の出会いを繰り返した」なる言葉がある。私は偶然の出会いを幾度も経験してきたのだが、その体験を本ブログに投稿している。
・旅先で知人と邂逅することの不思議さ・・・・・・その高い頻度を科学では説明できない(2019.7.27)
・共時性あるいは同時性と呼ばれる現象について(2019.8.18 )
・偶然の出会いに関わるある思い出(2019.9.4 )
・偶然の出会いに関わるさらなる思い出(2019.9.8)
・偶然の出会に関する忘れがたいもうひとつの思い出(2019.9.22)
・結婚する相手は運命的に決まっているのかもしれない(2019.9.24)
・偶然の出会いに関わる思い出はまだあった(2021.4.16 )
今日の記事に「私は感謝の気持をこめて、霊魂の実在に関わる記事を書き続けてきた」とある。次に列挙するのはその幾つかである。
・浅田次郎の小説「降霊会の夜」を読んで(2015.10.8)
・霊魂が実在していることを知る簡単な方法がある(2015.12.7)
・予知夢の実在を実証する方法(2016.3.14)
・霊魂の実在を信じない人たち(2017.5.3)
・キリスト教会で聴いたある牧師の言葉(2017.8.4)
・霊魂が実在することの証明(2017.11.29)
・霊魂が実在していることを知る簡単な方法がある(2015.12.7)
・予知夢の実在を実証する方法(2016.3.14)
・霊魂の実在を信じない人たち(2017.5.3)
・キリスト教会で聴いたある牧師の言葉(2017.8.4)
・霊魂が実在することの証明(2017.11.29)
・寿命を迎えるまでになすべきことは(2018.10.13)
・日本心霊科学協会で行われる心霊治療(2018.12.11)
・靖国神社と仏壇・・・・・・霊魂の居場所について(2019.2.6)
きょうの記事を書きながら、家族と航空部関係者に不安と迷惑をかけたことを思った。64年前の事故を振り返るのは、おそらく、私だけであろうが。
2022-10-13 12:12
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