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麻生財務相は新聞を読まない? [政治および社会]

昨日6月25日の朝日新聞朝刊に、「麻生氏『新聞読まない人は、前部自民党』」なる見出しの記事が掲載されている。奇妙なこの言葉は、新潟県新発田市で行われた講演での発言だという。短いその記事をここに引用させてもらう。


6月25日の朝日新聞より「麻生氏『新聞読まない人は、前部自民党』」を引用

  麻生太郎・副総理兼財務相は24日、新潟県新発田市で講演し、自民党支持候補が勝利した10日の同県知事選を引き合いに、自民党支持が高いのは10代~30代として、「一番新聞を読まない世代だ。新聞読まない人は、前部自民党なんだ」と持論を展開した。
    麻生派議員の政治資金パーティで語った。麻生氏は「新聞とるのに協力なんかしない方がいい。新聞販売店の人には悪いが、つくづくそう思った」とも述べた。自身や政権に対する新聞報道への不満を漏らした格好だ。(引用おわり)


念のために調べてみると、25日の新潟日報にも同様の記事が掲載されていた。「麻生氏『新聞読まぬ人は自民支持』  新発田市で発言」と題された記事を全文引用してみよう。

  麻生太郎副総理兼財務相は24日、新発田市で講演し、昨年の衆院選では30代前半までの若い有権者層で自民党支持率が高かったとした上で、「よく分析すると、一番新聞を読まない世代だ。新聞を読まない人は全部自民党(の支持)だ」と持論を展開した。安倍政権に批判的な記事がある新聞報道への不満を漏らした発言とみられる。麻生派の斎藤洋明衆院議員(比例北信越)の政治資金パーティーで述べた。
  講演で麻生氏は、約900人の出席者に対し「自民党は若い人の票が弱い政党だったが、投票行動が変わってきた」と指摘した。さらに知事選で自民党が支持した花角英世氏が当選した背景にも、若い世代の得票率が高かったことがあるとして、「新聞を取るのに協力なんてしない方がいい。つくづくそう思った」と語った。(引用おわり)


25日に投稿したこのブログの記事「自民党には江戸時代の名残?」に、自民党議員たちの失言について触れたが、政治家らしからぬ失言を繰り返し、その資質を最も疑われているひとりが麻生氏である。麻生氏の場合、問題とされた発言の全てが失言とされてきたわけだが、それらの言葉は麻生氏の本心から発せられたものに違いなく、失言として聞き流せるものではない。


政権に寄り添う姿勢を示す新聞がないわけではないが、そうであろうと、印刷される新聞の記事は、ネットに流れる情報よりも信頼度が高い。発行された新聞の記事は、だれにも知られることなく改竄することはできない。若い世代が新聞から離れ、ネットの情報にのみ関心をもつことになったなら、実に嘆かわしい時代になることだろう。選挙のたびに劇場型選挙が話題になるが、主な情報源がネットになったなら、そして付和雷同しやすい国民性を思えば、極端な劇場型選挙とその弊害が、顕著に表れる時代になる可能性がある。まともな政治家であるなら、若い世代に新聞を読む価値を説くべきであろうに、麻生太郎なる政治家は前記のような言葉を口にした。選挙で自党を有利にするためには、日本にとってマイナスになることを望む政治家。麻生太郎が落選し、政界から引退させられる日が待ち遠しい。


かつてある首相(むろん自民党)が言った。「新聞は信用できないから、私はスポーツ新聞しか読まない」と。自分たちに批判的な声にも耳を傾け、反省の糧にするどころか、安易にそれを否定し、敵視する。そんな自民党議員には、麻生氏にかぎらず政界から去ってもらいたいものである。

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自民党には江戸時代の名残? [政治および社会]

昨日6月24日の朝日新聞「天声人語」は、次のような文章で始まっている。


「福沢諭吉が世襲身分制度をいかに憎んでいたかが伝わってくる。『門閥制度は親の敵でござる』。門閥すなわち家柄ですべてが決まった幕藩時代を振り返り、残した言葉だ。もっとも門閥は今も健在のようだ。・・・・・・もう長いこと、世襲でない自民党総裁を見ていない。」


天声人語によれば、衆院小選挙区で当選した自民党の世襲議員が3割を超えているいま、自民党の若手国会議員たちが、世襲を抑えるための提言作りを進めているという。提言作りにあたる大岡敏孝衆院議員(46歳)は語ったとのこと。「世襲議員が半分を超えたら、もはや国民政党ではなく、何とか家、何とか家・・・・・・の党になってしまう。特定の家が地域の人びとを代弁するなんて、まるで江戸時代です」


世襲の問題点は「優れた人材の政治への参加を阻む」ところにある。自民党の内部から世襲問題に向き合う動きが出ているのは好ましいことだが、そうであろうと、天声人語子は一抹の不安を覚えているらしい。優れた人材の登用が好ましいとはいえ、公募による立候補で当選した自民党議員たちの失言や不祥事が目立つからである。自民党はどんな基準で候補者を選んでいるのだろうか。自民党的な物差しに曇りがなければよいのだが。


たとえ世襲議員がいまより減ったにしても、日本の政治には江戸時代の名残が存続し続けそうな気がする。国会議員を選ぶ国民の側の意識が変わらないかぎりは。

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週刊誌がたれ流す害毒 [政治および社会]

武本昌三氏のホームページ「ともしび」に、「テレビやスマホに心を蝕まれる子供たち」なる記事が投稿されている(2018.05.09)。携帯電話やスマホがもたらした負の側面を論じたあとで、テレビに関わる問題に触れている。その部分をここに引用させてもらうことにした。

武本昌三氏のホームページ「ともしび」より、「テレビやスマホに心を蝕まれる子供たち(2018.05.09)」の一部を引用


・・・・・・・・  一方、テレビを覗いてみると、特に一部の民放などでは、刺激的な、見るに耐えないようなドタバタ劇が繰り返されているのがしばしばである。もう半世紀も前に、社会評論家の大宅壮一氏が、「テレビというメディアは非常に低俗で、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させ一億総白痴になる」と述べて、「一億総白痴」という言葉が流行語になったことがあった。いまでは、その深刻度は当時の比ではない。かつての家族が顔を合わせて親しく語り合う「一家団欒」もテレビの雑音にかき消されて、ほとんど死語になってしまった。特に子供は、脳がまだ十分に発達しておらず、快感や刺激を求める欲求が理性に勝る傾向が強いといわれている。言語知能などをつかさどる脳の前頭葉に悪影響を与えるとする研究結果などもすでに出ているらしい。その上に、スマートフォンなどの依存症などが加わると、純真無垢であるはずの子供の精神面は、いったい、どういうことになってしまうのか。子供たちの将来に対して危惧の念を抑えきれないでいるのは、おそらく、私だけではないであろう。(引用おわり)


大宅壮一が「一億総白痴化」をもって警告したとき、念頭にあったのは民放テレビの番組ではなかったろうか。高い視聴率を求める民放テレビには、大宅壮一ならずとも、警鐘を鳴らしたくなりそうな番組が多々ある。


大宅壮一はテレビのマイナス面を危惧したわけだが、週刊誌などがもたらす害毒については言及しなかったのだろうか。有名人の個人的な事柄をあばきだし、興味本位の記事を垂れ流すマスコミは、低俗な番組を流すテレビにまして有害な存在ではなかろうか。私は以前からそのことが気になり、このブログに幾度か記事を投稿している(注)。


きょう報道されたニュースによれば、宮内庁は22日に、皇太子ご夫妻の銀婚式に関して週刊誌2誌に抗議したという。抗議の対象になった記事にかぎらず、週刊誌はしばしば、皇室に関して眉を顰めたくなるような記事を掲載している(新聞に掲載された週刊誌の広告から判断すれば)。売り上げ至上主義の一部週刊誌は、政治家や芸能人のみならず、皇室をも「のぞき見興味」の対象にしている。


週刊誌にも存在意義があるわけだし、言論の自由によってその立場も安泰なわけだが、興味本位にプライバシーを犯すような記事を掲載し続けるならば、保守勢力に口実を与えるかもしれない、「野放しの言論の自由は規制されるべきである」と。そんなことになる前に、世論によって糾弾できればよいのだが、「プライバシーをあばくような記事を掲載してはならない」と。


(注)

マスコミによる著名人の不倫報道(2017年9月8日)


小室哲哉の存在価値と週刊誌の存在価値(2018年1月21日) 


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超高額報酬を得る経営者たちと元経団連会長土光敏夫の相違点 [政治および社会]

新聞の報道によれば(6月20日朝日新聞)、ソニーの平井一夫社長の報酬総額は27億円だという。ソフトバンクの孫正義氏など、平井氏以上の莫大な報酬を受け取る経営者も少なくはない。格差社会が問題になっているこの国を思えば、経営者の高額報酬に疑問を感じる人も多いはずである。


安倍政権は物価を安定的に上昇させ、デフレからの脱却を目指しているが、数年を経ても達成できないままである。安倍政権が好景気を自賛していようと、実質賃金はむしろ低下しているのだから、国民の購買意欲が上昇するはずがない。


厚生労働省が実施した就業形態に関する実態調査によれば、パートや派遣などの非正規社員が占める割合が40%になっているという。人件費削減手段として非正規社員を増やし、日本の賃金水準を引き下げる企業。安倍自民党はかつてトリクルダウン説を唱えていたが、そのような妄説を口にする政治家たちが、企業に寄り添う政治を行ってきた。企業税や所得税に関わる法律を改定し、企業と金持ちたちを優遇する一方で、多くの国民に苦労を強いている。


かつてカリスマ経営者と呼ばれた土光敏夫(石川島重工業や東芝の元社長であり、経団連の第4代会長を務めた)だが、今の若い人の多くはその名を知らないことだろう。東芝の再建を託されて社長になった土光敏夫は、「 諸君にはこれから3倍働いてもらう。役員は10倍働け。俺はそれ以上に働く」と言い、率先垂範すべく毎朝7時半には出社したという。経営者として高く評価された土光敏夫だが、その生活は世間が驚くほどに質素であったという。自らは少ない生活費で暮らし、給与の多くを寄付していたと伝えられている。


孫正義がいかに優秀な経営者であろうと、ソフトバンクの利益の源をなすのは、携帯電話やスマホの利用者とソフトバンクの社員たちである。経営者としていかに有能であろうと、社員たちの数百倍に及ぶ報酬が正当とは思えない。土光敏夫が存命ならば、どんな言葉を発するであろうか。

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超能力の存在と霊魂の実在 [超常現象]

NHKのBS放送で「超能力は解明された?公開!米軍極秘研究」なる番組が放映された(6月7日)。番組の一部しか見ていないので、内容に対する感想は書けないのだが、超能力や霊魂についての記事を書きたくなった。


透視能力や念写能力などの超能力は、その有無を実験によって確認できるはずである。日本でも、明治から大正にかけて実験を繰り返した人がいる。東京帝国大学の助教授だった福来友吉博士である。


福来博士は透視能力者とともに実験を行い、その能力が実在することを確かめた。その結果が学会で報告されると、山川健次郎理学博士(東京帝国大学や京都帝国大学などで総長を務めた)の興味を惹くことになり、公開実験が行われることになった。公開実験に参加した透視能力者は、福来博士が信頼する御船千鶴子であった。


厳重に管理された条件のもとで行われた実験により、御船千鶴子の透視能力は実証されたはずだったが(御船千鶴子あるいは千里眼事件で検索すれば、今でも多くの情報が得られる)、透視は物理学的に不可能と考える者たちは、その結果を受け入れようとしなかった。


早稲田大学の名誉教授である大槻義彦氏は、超常現象や超能力の否定論者として著名である。超能力者とされる人が示す超常現象らしき現象を、大槻氏は「・・・・・・の方法によってそれと同等の現象を引き起こすことが可能ゆえ、あれは超常現象ではない」と主張する。大槻氏が言う「・・・・・・なる手段」は、衆人環視の舞台上では実施不可能なものが多い。そうであろうと、科学万能主義に洗脳された人の多くは、大槻氏の主張を受け入れて、超能力は存在しないと思うことだろう。著名な科学者たちにその能力を否定されたことにより、御船千鶴子は世間から厳しい眼を向けられることになった。そのためであろうか、御船千鶴子は自殺するに至ったという。「非科学的なことがらに関わっただけでなく、それを正当であると主張し続けた者」として、福来博士は大学を追われることになった。


有能な手品師が宣伝手段として、その技を超能力と称す可能性はある。とはいえ、透視や念力などの超能力を疑い難い人が存在するので、世界中で学術的な調査が行われている。厳密な調査によって、真実としか考えられない結果が多々得られているが、そうであろうと、大槻氏とその仲間たちは主張することだろう。「そのようなことは科学的にあり得ないゆえ、その実験結果を受け入れることはできない」


大槻義彦氏にかぎらず、超常現象や霊魂の実在はあり得ないと考える人は多く、福来博士や御船千鶴子に対しても、今なお批判的な記事を書いている人がいる。過去にあれほどの事件を引き起こしたオウム真理教でありながら、未だにかなりの信者が存在しているという。オカルトにしろ科学万能主義にしろ、洗脳された者はそこから抜け出しにくいのであろう。かく言う私は科学信奉者ながらも、霊魂の実在を識る者のひとりゆえ、霊魂に関わる記事を幾度もこのブログに投稿している。このブログを訪ねる人はまだ少ないのだが、少しでも多くの人に読んでもらいたいので、その幾つかをここにあげておく。




クリックすればその記事を読むことができます。

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子育てに励む雀の姿 [小鳥たち]

冬の雀に餌を与えるようになってから、すでに10年以上になります。最初の数年は冬の間だけにして、4月になればやめていたのですが、4月のある日、巣に餌を運ぶ雀に気づいてからは、雀の子育てが終わるまで餌を与えることにしました。


今年も例年通りに、5月の連休が終わると巣立ったばかりの雛が姿を見せました。雛鳥は親鳥とともに行動し、しばらくの間は親鳥から口移しに餌をもらいます。見ておりますと、親鳥と並んで地面におりる雛と、木の繁みから出ないで、親鳥が運んでくる餌を待つ雛がいます。雛が隣にいれば効率よく餌を与えることができるのに、そうしないのはなぜでしょうか。親鳥が選んだやり方なのか、雛鳥が地面に降りることを拒んでいるためなのか、興味のあるところです。
  
雀の子育て時期は5月の中頃には終わっていたのですが、昨年の7月20日に投稿した記事「猛暑の時期に巣立った雀」に書いたように、昨年は7月頃に雛を育てている雀がいました。今年も6月に入ったいま、かなりの親雀が巣に餌を運んでいます。


餌やりをしばらく忘れていると、親雀たちがずらりと並んで待つのですが、そのうちの数羽が窓辺に来て催促します。


庭に餌を撒きますと、雀たちはけたたましい声で仲間に報せ、いっせいに餌をついばみ、巣に運びます。7回ほどついばむなり巣に向かう雀もあれば、30回以上ついばんでから巣に向かう雀もいます。巣で待つ雛の事情によるものなのか、親鳥の個性によるものなのか、興味あるところです。


このブログもきょうから4年目に入ります。最近は「政治および社会」の項に投稿することが多いのですが、開設直後に投稿した記事は、10回のうちの4回が「小鳥たち」になっております。というわけで、4年目に入るきょうは雀について書くことにしました。

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