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冤罪事件が頻発する日本という国 [政治および社会]

冤罪で服役していた滋賀県の元看護助手に、再審で無罪が言い渡された。この元看護助手は、入院患者の人工呼吸器を外して殺害したとされ、12年も服役したという。


朝日新聞に、この冤罪事件に関わる特集記事が載っていた。それによれば、無罪とすべき証拠を警察が検察に提示しなかったため、有罪判決に至ったという。警察は重要な証拠を隠したことにより、一人の人間に過酷な運命をもたらしたことになる。


その記事には次のような文章がある。


警察による証拠隠しは、過去の冤罪事件でも問題視されてきた。それでも、検察側はこれまで「故意に隠したわけではなく、必要性や重要性がないと判断した」との説明を繰り返している。渡辺修甲南大学法科大学院教授は「検察は証拠をみて真相を解明できる力は自分たちにしかないと思っているのではないか。弁護側への全面的な証拠開示を保証する仕組みを早急につくる必要がある」と話す。


新聞で報道された記事が事実とすれば、冤罪は引き起こされるべくして生じたことがわかる。不当な警察での取り調べ、検察のずさんな点検、先入観にとらわれた判決。警察と検察あるいは裁判のどこかで、まともな判断がなされていたなら、この冤罪は生じなかったはずである。本ブログに投稿した記事「冤罪をもたらした警察・検察・司法の罪(2019.4.24 )」や「 犯罪者としての警察と検察そして司法(2018.5.27)」に書いたように、これまで明らかになった冤罪のすべてが、不当な警察での取り調べ、検察のずさんな点検、先入観にとらわれた判決によって引き起こされている。冤罪とわかって死刑の淵から救われた人が幾人もいるのだから、冤罪を訴えながらも処刑された無実の人がいた可能性は充分にある。


人の運命を決定づけるような任務についておりながら、ずさんな関わり方をした者たち。その結果として冤罪を引き起こした者たちは、単なる過失ではなく、人道上の重大な罪を犯していることになる。にもかかわらず、彼らはその罪を問われていない。


冤罪防止策が考えられているようだが、有効な方法の一つは、不当捜査や怠惰な審査と裁判によって冤罪を作った者を、適切に罰することであろう。それが理にかなったやり方であり、冤罪を防止するうえでも役立つことになる。

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食品の安全性は本当に確保されているのか [政治および社会]

公文書すら改竄する政府であり、数々の疑惑がありながらも、野党の質問にはまともに答えず、ごまかしたりはぐらかしたりしている。輸入食品の安全性を確保すべく、残留農薬などはしっかり検査している、と政府は保証しているのだが、果たして本当だろうか。


薬害エイズ事件は、政官業癒着がもたらした薬害事件の例だが、この国では類似の事件が幾つも発生してきた。業者寄りの行政が行われるかぎり、これからも国民が犠牲にされる事態は起こりえる。


公文書の改竄が幾つも露見している現実を思えば、輸入食品にかぎらず、流通している食品は本当に安全なものであろうか、との不安をおぼえる。世界には、国民が政府を信頼していない国は少なくないが、安倍政権のような政権が続くのであれば、日本もその仲間に入るかも知れない。


政治不信が社会の混乱をもたらしている国は世界のあちこちにある。ブラジルやエクアドルの現状を、遠い国のできごとだと思っているうちに、この国にも社会不安が拡がるときが来ないとはかぎらない。今もなお、政党支持率のトップは自民党だという。不思議な国であるとしか言いようがない。

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特攻隊に関わる小説を読んで [小説]

私は特攻隊員を主人公とする小説「造花の香り」(左サイドバーにて概要を紹介)を書いている。その小説を書くに至った経緯を、2015年10月16日の投稿記事「特攻隊要員の搭乗機を見送った日のこと」に書いた。私はその小説を書くべくして書いたような気がするのだが、若い書き手の中にも、特攻隊に関わる小説を書く人がいる。


幾つかの小説投稿サイトに、「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」なる小説が投稿されている。特攻隊に関わる小説とあるので、かなり長いその作品に目を通してみた。若い世代を対象に書かれたものと思われるが、読んで良かったと思える小説である。


この小説は恋愛小説の形をとりながら、反戦平和・反軍国主義・政治批判に関わる小説であり(私が書いた「造花の香り」にも言えるのだが)、中学・高校生に対しては、勉学の意義を説く小説にもなっている。女子中学生を語り手とする小説であり、対象とする読み手に若い世代を想定していると思われるが、高齢の私も、一気に読み終えることになった。


作者の汐見夏衛さん(ペンネーム)は、愛知県の高校で国語を教えている女教師とのことだが、まだ30代前半の人らしい。幾つもの小説投稿サイトに、多くの小説を投稿しており、その幾つかは書籍化されているようである。作家として成長されるよう期待している。


小説投稿サイトには、世間的には知られないままに、多くの勝れた作品が埋もれている可能性がある。投稿された作品があまりにも多いため、読みたいものを選び出さねばならないのだが。

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小説投稿サイトに投稿された作品を読んで [雑感]

小説投稿サイトを眺めていたら、幾つかのサイトに、「国彩化時代のニホンゴ」なる作品が投稿されています。著者名は投稿サイトによって異なり、大淵幸始あるいは岬 龍三郎となっていますが、書かれている内容はまったく同じです。


小説投稿サイトには、同じ著者による作品が幾つも掲載されていますが(アマゾンを覘いてみたら、中には出版されているものがある)、私が読んだのは「国彩化時代のニホンゴ」だけです。


著者が記した「国彩化時代のニホンゴ」の書籍紹介文(アマゾンに記載)を、ここに引用させてもらうことにします。


 著者がコピーライターや編集者としての経験をもとに80年代後半から唱え始めた<意匠ことば学>。その見地から著したニホンジンの言語生理に関する論考である。この本が出版されるやすぐに兵庫教育大学大学院・学校教育研究科言語系コースの入試問題に採用された。それからおよそ四半世紀以上を経たいま、2019年までの補追論考を加えて発表するニホンゴ分析論。
 ニホンジンと西洋人、その間に潜む彼我のギャップが国際化時代の歪みを生む。ニホン独特の島国ことばの言語生理を克服しなければ誤解を生む可能性大。ランゲージデザインの視点に立ち、ニホンゴ学者やニホン文化論者の言語資料をふんだんに用い、その誤謬を読み解く。
 なお、この手の「評論系」のものは、出版された書籍や論集などの印刷物からOCRで文字をスキャンしたものなので、ところどころ誤字・脱字の類いが散見されると思う。筆者なりにアップしたあと、チェックはしているが、それでも1話につき数箇所にマチガイがあるときがある。自分で読んでいては気づかない場合が多いので、もしお気づきになった場合はご指摘いただければ幸い。


現在70代前半だという著者は、コピーライターや編集者として働いていたとのこと。投稿された作品を読むと、国文学・英文学・史学・社会学の分野で大学教授が勤まったのでは、と思わせられます。


小説投稿サイトには小説だけでなく、上記のような作品も掲載されております。小説も幾つか読んでみたところ、読んで良かったと思える作品がありましたので、これからもときには訪れようと思います。

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健康な歯を保持できていることに感謝 [身体と健康]

市内に暮らす高齢者からかなりの人数が選ばれ、年齢に伴って健康度がどのように推移するのか調査されている。被験者のひとりに私も選ばれており、先頃も検査を受けた。記憶力や運動能力など幾つかの項目があり、その中に、歯の現状調査がある。


本ブログで幾度か書いてきたように(付記参照)、私には丈夫な歯が32本あり、若い頃と同じように食事が摂れる。先日の調査で行われた歯の検査では、歯の状況と噛む力が調べられたのだが、当然ながら全て良好と判定された。


30年ほど前に始まった「8020運動」は、旧厚生省と日本医科医師会によって提唱されたものである。80歳になっても、食事に使える自分の歯を20本は維持しようとするものである。30年が経過した最近の実情はどうであろうかと、例によってネットで調べてみた。


30年前には80歳で20本の歯を持つひとは10%ほどだったが、今では50%を超えているという。「8020運動」が寄与した可能性もあろうが、それ以外の要因も多々あるはずである。かく言う私が「8020運動」を知ったのは、せいぜい10年前であり、その恩恵は全く受けていない。私は自分の歯が良いことに、誰に感謝すべきだろうか。両親と、2015年11月23日に投稿した記事「80歳になっても丈夫な歯を持つことができる」に書いた歯科医、そして、気づかないでいる誰か。もしかすると、歯を保持すべく努めてきた自分自身も、少しは褒めてよいのかもしれない。


付記 歯について投稿した記事




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カタカナ語を多用する政治家たち [政治および社会]

4月6日の NEWSポストセブン に、「首相や小池知事の『カタカナ語濫用』の根底にあるものは何か」なる記事が掲載されている。評論家の呉智英(くれ・ともふさ)氏 によるその記事には、次のような文章がある。


 三月二十三日付朝日新聞夕刊の「素粒子」欄に、こうあった。
「カタカナ解説に戸惑う。オーバーシュート、ロックダウン、クラスターって、何だ。」
 全く同感だ。このうちクラスターだけは統計学や分子科学の用語でもあるので、これを使うのはやむをえないとして、あとの二つは何でこんなカタカナ語を使うのだろう。コロナ感染者の爆発的増加を表現する言葉が必要なら、オーバーシュート(度を越す)などと言わず「爆増」とでも造語すればいいではないか。ロックダウンも、これでは岩rockが落ちてくるみたいだ。錠lockを下ろすのだから「都市封鎖」でいいだろう。
 これらのカタカナ語を得意気に使ったのは小池百合子東京都知事と安倍晋三首相である。安倍首相はさらに二十七日の参院で、東京五輪を二年も長期延期すると「モメンタムが失われる」と発言している。各紙は「勢い」と説明を付けた。政治家はよほど英語が得意で、つい英語が口に出るらしい。
 では、日本語はどうか。小池知事は措くとして、安倍首相の国語力は高校生以下だ。『AERA』昨年五月二十日号は、同四月三十日の先帝「退位礼正殿の儀」での安倍大失言を報じている。
 「両陛下には末永くお健やかであらせられますことを願っていません」
 戦前なら政権崩壊だ。緊張のあまり舌がもつれたというわけではない。「国民代表の辞」を読んでの失態である。否、読めなかったのだ。当然、文書には「願って已みません」とあった。文書を作成した高級官僚は、真逆ここに振り仮名が必要だとは思わなかったのだろう。「真逆(まさか)」なら必要かもしれないが。ああ、已(や)んぬるかな。
 カタカナ語濫用の根底には、英語や仏・独語は高級な言語で日本語は劣った言語だという卑屈で歪んだ欧米崇拝意識がある。差別語認定された言葉をカタカナ語に言い換えるのは、その好例である。差別語認定されたらその愚を徹底的に批判してやるのが本筋だろう。同じ意味の英語に言い換えて「良い言葉でしょ」と得意がっても何の意味もない。・・・・・・
 三月二十三日付朝日新聞は、コロナ禍で静まり返ったニューヨークをこう描く。
「警備員の男性が嘆くようにこうつぶやいた。クレージーだ」
 クレージーを日本語で表現できない方がクレージーだろう。


まったく同感である。タイトルは「カタカナ語を多用する政治家たち」だが、安倍首相が読む原稿を書くのは、担当部署の官僚である。「退位礼正殿の儀」で安倍首相が読み間違えたのも、官僚作成になる文章だった。あの失態で責められるべきは、安倍首相の国語力云々よりも、事前にしっかり下読みし、確認しなかったことであろう。退位する天皇に対して、国民を代表しての言葉を述べる役割でありながら、無責任極まりない態度だったと言うべきである。


呉氏が新聞記事の例で指摘しているように、カタカナ語を使いたがるのは、政治家や官僚にかぎらない。会社の名前や店の名前にも、わけのわからないカタカナ文字やローマ字表記があふれている。


繰り返すが、呉氏の意見に全く同感である。まともな官僚や政治家ならば、国民が理解できる日本語で語るはずである。

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事の重大さに気が付くタイミングのおかしさ……「論座」の記事より [政治および社会]

4月1日の朝日新聞社の言論サイト「論座」に、「志村けん氏のコロナ死去で事の重大さに気が付く人たちが怖い」と題した記事が載っている。筆者はコラムニストの勝部元気氏である。その記事に次のような文章がある。


  ………志村氏はおそらく日本(ダイヤモンド・プリンセス号を除く)で五十数人目の新型コロナウイルスによる死亡者ですが、志村氏が亡くなる前後で、新型コロナウイルスの危険性は何か大きく変わったのでしょうか? もちろん何も変わっていません。………
「一般人五十数名死亡」よりも「志村けん1名死亡」の情報で事の重大さに気が付くというのは、ウイルス被害の重大さという、本来合理的に判断されるべきものを計測するのに、数字ではなく、著名な、あるいは思い入れのある人物であるか否かという非合理的な情報、感情をベースに判断をしているわけで、とても危険なことではないでしょうか。


その記事の続きは、「著名人のニュースで右往左往するイナゴたち」なる見出しをつけた次のような文章になっている。


 このように、日本人の「自分の置かれた状況を把握するのに著名人の状況に依存する」傾向は強すぎると思います。
 たとえば、がん予防啓発の現場で、いかに定期健診が重要であるかのデータを見せて啓蒙しても、なかなか健診に出向く人は増えません。ところが、著名人ががんに罹ったというニュースがテレビやネットを駆け巡ると、イナゴのように一気に検診に訪れる人が増えるという類の話は少なくありません。
 「それでも検診に行ったのなら結果オーライじゃないか」と思うかもしれませんが、残念ながら素直に受け止めることはできません。というのも、ヘルスリテラシーに欠ける人々は事の重大さを本質的には理解できていないので、ほとぼりが冷めると(≒その芸能人のがん罹患の話がニュースで触れられなくなると)、結局また定期的な検診に行かなくなってしまいがちだからです。………
 「著名人イナゴ」の多くは、良い情報も悪い情報もどちらも鵜呑みにしてしまう人が少なくなく、決して褒められたものではありません。
 このように、日本人の「イナゴ気質」は強く、著名人の動向に振り回され過ぎる傾向はもっと指摘されるべきでしょう。
 たまたま今回の新型コロナウイルスによる死者は2020年3月末現在、爆発的に感染が拡大している国よりも少なく済んでいるものの、この「イナゴ気質」と対をなすヘルスリテラシーの欠如が、我が国に莫大なダメージを与えても不思議ではないと思います。たとえば、感染拡大でパニックを起こした著名人に釣られて、トンデモ医療(既に市中で出回っている)に手を出す人が続出することもあり得るのです。
 しばらく志村氏死亡のニュースについて話題になる場面も多いでしょう。その時には、一人でも多くの人が「著名人が関係しないと事の重大さを知ることができないのはとても危険だよ!」「著名人の動向に振り回されるよりも専門家の話に耳を傾けようよ!」という話をぜひ周りの人々にして欲しいと思います。


記事中の文章「『著名人イナゴ』の多くは、良い情報も悪い情報もどちらも鵜呑みにしてしまう人が少なくなく、決して褒められたものではありません」は、政治においても言えるのではないか。選挙で有利に作用するのは、政治家としての資質よりも知名度である。与党野党を問わず、候補者として有名人を擁立しようとする。有名人ではない新人候補者の知名度をあげるうえでは、大きな資金力を持つ自民党が圧倒的に有利である。


選挙違反容疑で捜査を受けている河井案里参院議員だが、その選挙に際して、自民党は1億5千万円もの資金を提供したという。その自民党にカネを出しているのは、膨大な内部留保を積み上げている企業である。本来ならば、そのカネを従業員の給与に回すべきものだが、それが自民党の選挙資金になり、悪政に助力している。


日本人がイナゴ気質から解放されるときが来るとすれば、もしかするとそのきっかけは、イナゴ気質によってもたらされるのでは、という気がする。

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小泉元首相「安倍首相は辞めざるを得ない」……週刊朝日の記事より [政治および社会]

今日4月2日の朝日新聞に、「小泉元首相『首相は辞めざるを得ない』」なる記事が掲載されている。週刊朝日(4月10日号)に載るインタビュー記事を紹介したものである。


森友学園をめぐる公文書改竄問題について、小泉元首相は次のように語ったという。


小泉氏はそのインタビューで、「(公文書の改竄について)安倍首相には十分な責任がある。責任を取って辞めざるを得ない」「(改竄を苦に自殺した近畿財務局職員の手記について)財務省、ひどいじゃないか」「(公文書が改竄された理由は)安倍さんが『自分や妻が関わっていたら総理も国会議員も辞める』と国会で言ったことから始まっている」「誰が見たって(森友学園問題に首相が)関わっていたのはわかる」と言い切ったという。


安倍首相に苦言を呈する自民党員は、小泉氏のように引退した長老たちと、石破茂議員だけである。党内からは安倍批判の声がわき起こらない。かように政治を劣化させたことにも、安倍政権は責任を負うべきであろう。

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安倍首相と比較すれば褒めたくなる田中角栄 [政治および社会]

金権政治と揶揄されたあげくに、ロッキード事件で逮捕された元首相の田中角栄だが、その後の政治の有り様を思うと、振り返ってむしろ褒めたくなる政治家である。


田中角栄の大きな功績として、日中国交回復があげられるが、政策綱領として掲げた「日本列島改造論」も、衰退しつつある山陰地方出身の私には魅力的なものに思える。とはいえ、カネまみれの政治家に見えていたその当時には、尊敬すべき政治家とは思えなかった。それだけでなく、田中角栄自身の責任ではないにしろ、列島改造論に便乗した輩によって地価が高騰し、社会は多大な迷惑を蒙った。


日本列島改造論は、田中角栄が自民党総裁を目指した際に発表した政策綱領であり(1972年6月11日)、後に同じ題名の書籍も出している。学歴のない田中角栄が首相になると、今太閤などと持ち上げられ、その書物はベストセラーになった。


日本列島改造論の骨子は「東京などの大都市に集中している人とカネと物を地方に逆流させるべく、交通や情報通信の全国的ネットワークを再構築し、工業も地方に再配置しよう」とするものだったようである。


今の時点で日本列島改造論を見直し、改めて政策綱領化したものが実行されたなら、どんな結果になるのだろうか。日本が衰退するに先立って地方が衰退し、日本から元気が失われつつある現状を思えば、日本列島改造論は魅力的な政策と思われるのだが。安倍政権は地方創生を掲げているけれども、アベノミクス同様に、見せかけだけの政策に終わりそうである。自民党であっても、小泉純一郎とは別のやり方で、本当に「自民党をぶっ壊す」ような政治家が表れ、政治を担ってほしいものである。そうなれば、その政権を自民党政権とは呼べないのだが。


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