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小説「防風林の松」をカクヨムに投稿 [小説]

小説投稿サイト「カクヨム」に、小説「防風林の松」を投稿しました。


本ブログの左側サイドバーで紹介しているように、「防風林の松」は私が書いた最初の小説です。典型的な理系人間だった私ですが、ある日いきなり小説を書こうと思い立ちました。その経緯と書き上げるに至る様子が、そのあとがきに書かれています。


「防風林の松」を書いた経験は、小説「造花の香り」(本ブログの左側サイドバーにて紹介。カクヨムに掲載中)を書くうえで役立ちました。とはいえ、「造花の香り」を書くためには多くの参考資料に眼を通さねばならず、「防風林の松」より多くの時間を要しました。


ある出版社に原稿を送ったところ、ふたつの作品に眼を通した編集者から感想が届きました。「造花の香り」に期待していた私がその編集者に電話をかけたところ、その編集者氏はむしろ「防風林の松」に惹かれたとのことで、第7章「防風林の松」の終盤に出ている手紙のことが話題になり、しばらく話し合いました。新人賞を受賞しないかぎり、素人の作品は出版できないとのことで、出版には至りませんでしたが、読んでくださった編集者氏には感謝しています。


投稿サイトの小説は、スマホで読まれることが多いようです。連載形式にして、1話を5分程度で読めるようにしたのですが、はたしてどれだけの人に読んでもらえるのでしょうか。投稿サイト向きの短編小説を書いてみたい、という気持ちにもなります。82歳になったとはいえ、創作意欲はありますので、良い作品が書けたらとは思うのですが。

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宮城まりこについて書かれた武本昌三氏による記事 [教育]

武本昌三氏のホームページ「ともしび」に、「肢体不自由児たちの教育について考える」なる記事が投稿された。本日30日に投稿されたその記事を、ここに引用させてもらうことにした。


武本昌三氏のホームページ「ともしび」の記事「肢体不自由児たちの教育について考える」を紹介


 肢体不自由児の養護施設「ねむの木学園」を設立した宮城まり子さんが、先日、悪性リンパ腫のために亡くなった。彼女は1927年3月21日生まれだが、亡くなった日は彼女の93歳の誕生日でもあった。この宮城まり子さんを偲んで、元中学校教員の藤原孝弘氏が、朝日新聞の「声」欄(2020.03.27)に、「教育とは まり子さんに教わった」と題する一文を寄せている。そのなかで氏は、こう書いている。

 《40年ほど前、教員を志していた学生時代、ゼミの仲間とねむの木学園に見学に行った。まり子さんの音楽の授業はすさまじいものだった。
 障害のある身体のリハビリも兼ねて、楽器をたたかせたり、踊らせたりしようとまり子さんがリードするのだが、全身から「あなたたちはそのままで素晴らしい」「私はあなたたちを心の底から愛している」という思いがほとばしる。その心に応えて生徒さんたちが動かない身体を必死に動かそうとする。少しでも出来ると、全身で喜びを爆発させる。
 見ていた僕らは泣けて泣けて仕方がなかった。人が人を信じ、愛することのすごさと、それは必ず相手に伝わるという絶対の信頼とを教えて頂いたのだと思う・・・・・・》

 肢体不自由の教え子たちを愛し信じ切っているまり子さんの姿勢、すさまじい音楽の授業、少しでも出来ると全身で喜びを爆発させている子どもたち、そして、それを見て、人が人を信じ愛することのすごさに、「泣けて泣けて仕方がなかった」という見学者たち、――教育とは何か、そして特に、肢体不自由児たちにはどう向き合うべきかという人間のあり方の原点を深く考えさせられるような一場面である。
     

 私も、この藤原氏と同じように、40年ほど前、「泣けて泣けて仕方がなかった」体験をしたことがある。札幌駅前のデパートの会場で肢体不自由児たちの絵の展覧会を見た時のことであった。何気なくふと入った展覧会場であったが、画用紙の上に鮮やかな原色で力いっぱいに描き出されている絵の一枚一枚を見ているうちに、涙が止めどもなく流れ出してきた。自分でも意外であった。まわりの人々のなかでは恥ずかしい気持ちもあって、一度絵の前から離れて少し気を落ち着かせてからまた絵を見始めたのだが、どういうものかすぐに涙がはらはらと落ちてしまう。一枚一枚の絵から生命が躍動する強力な磁力が迫ってくるようで、それに圧倒されて、感動というよりもただ涙だけが流れ出るのである。

 私は、それまで、国内だけではなく、アメリカやヨーロッパのいろいろな美術館で数多くの名画にも接していたが、感動することはあっても、涙を流したことは一度もなかった。この投書の「泣けて泣けて仕方がなかった」というのを読んで、そのことを改めて思い出した。肢体不自由児たちは、肢体の一部に不自由があるかもしれないが、人の本性である魂はあくまでも健全・無瑕疵で、決して不自由ではない。奮い立てば奇跡のような才能も発揮する。あの絵を描いた肢体不自由児たちも、おそらく、宮城まり子さんのように、「あなたたちはそのままで素晴らしい」「私はあなたたちを心の底から愛している」という愛の人たちに囲まれていたのであろう。だからこそ、あの子たちは、むしろ「肢体自由児」以上に、のびのびと力強く、純粋無垢な命の輝きを画用紙の上に散りばめることが出来たのではなかったかと、いまの私は、当時の体験を振り返っている。


できることなら「ともしび」を訪れ、高邁とも呼べる多くの記事に眼を通してもらいたいものである。




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富裕層増税案を主張するZOZO創業者前澤友作氏 [政治および社会]

3月25日のMSNに、ZOZO創業者前澤友作氏に関わるデイリースポーツの記事が引用されている。記事のタイトルは「前澤社長 富裕層から臨時徴税を提案 故郷に恩返しできない人『日本から出ていけばいい』」となっている。その記事をここに引用させてもらうことにする。


デイリースポーツの記事「前澤社長 富裕層から臨時徴税を提案 故郷に恩返しできない人『日本から出ていけばいい』」を引用


  ZOZO創業者でスタートトゥデイ社長の前澤友作氏が、ツイッター投稿で、新型コロナウイルス問題に対する政府の経済対策について、富裕層からの税金の臨時徴収を提案した。
 「政府が予定する全国民への現金給付の対象から富裕層が外れるそうだけど」と切り出し、「仕分けるのも面倒で時間かかるだろうから」と指摘。「いったん全員に無条件で現金配って、コロナイヤーでも余力のあった富裕層からは、何らかの税金を臨時徴収する方が効率良いのではと思った」と提案した。「もちろん僕は応じます」とした。
 「儲かった人の税率はどんどん上げればいい。特に今回みたいに有事の時は臨時でもやったらいい」と提起。「税率上げると富裕層が日本から出て行っちゃう、ってよく言うけど、儲けさせてもらった生まれ故郷に恩返しできないような人はとっとと日本から出ていけばいい」と記した。(引用おわり)
                                                  
日本の所得税は当然ながら累進課税だが、高額所得者に対する今の税率は、以前と比較してずいぶん低くなっている。会社の利益は社員たちが働いた結果もたらされる。経営能力に勝れていたのかもしれないのだが(経営改善の中身は、日本人経営者にはできないような、情け容赦のないリストラや、資材調達方法の変更などだったらしいが)、カルロス・ゴーンの給与は異常であった。そのような高額所得に対しては、たとえば80%程度の税率にしてもよいのではないか。


前澤氏は「税率上げると富裕層が日本から出て行っちゃう、ってよく言うけど・・・・・・・・」と言っているが、そう主張して累進税率を上げることに反対しているのは、企業や富裕層から寄付を受けている自民党である。


自民党は消費税を導入し、その税率を徐々に引き上げてきたわけだが、その一方で、法人税は引き下げるのみならず、大企業に対する優遇税制を推し進めている。その企業は利益を膨大な内部留保として蓄え、従業員の給与を抑制する一方で、経営幹部には巨額の報酬を出している。


富裕層に属す前澤氏による上記の主張に敬意をおぼえるのだが、本来ならば、犠牲にされている多くの国民が主張すべきであろう。所得税のあり方を大きく改善するのが正義に叶っていると思うが、その場合に日本から逃げ出すような輩は、遠慮なく出て行ってもらえばいい。儲けさせてもらっていることに感謝することなく、自分の利益のために節税に励む輩は、現代の守銭奴と呼ぶべきである。

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軍部を支持した戦前の日本人と自民党を支持する今の日本人 [政治および社会]

軍部を支持する国民が少なかったなら、戦前の軍部があれほどまでに横暴にはなれなかったのではなかろうか。軍を支持する国民が多かった一方で、軍に批判的な日本人も少なからずいたことは、遺されている資料などから明らかである。反軍的な言動をなせば非国民扱いされるような社会だったのだが。


日本の幸福度ランキングは、先進国の中では長らく最低のままである。不公平な社会環境が放置されたままであり、格差社会の弊害が顕著であり、政治は正道を逸脱しており・・・・・・と、この国の政治のありようは困ったものだが、多くの国民は自民党の一党独裁政治を受け入れている。


安倍晋三は民主党政権の時代を「悪夢のような時代」だったと言う。民主党政権に未熟なところは多々あったと思われるが、政治の正道を踏み外していたわけでも、邪道を進んでいたわけでもなかった。日本を衰退への道に導いた自民党政治の時代こそが、後世に悪夢の時代と呼ばれるのではなかろうか。


戦前の日本は軍事政権のもとで地獄の苦しみを味わったのだが、その責を負うべきは、軍に加えて軍に荷担した国民というべきだろう。めざましい復興を遂げた日本を衰退に導きつつあるのは、自民党に政権を委ね続けた国民である、と言えはしないだろうか。

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マッカーサー顕彰施設が計画倒れになったいきさつ [政治および社会]



戦後の日本を統治したGHQ(敗戦後の日本を占領統治するために置かれた組織「連合国軍最高司令官総司令部」の略称。昭和27年4月、日本の主権回復に伴い解散された)のマッカーサー総司令官に対して、多くの日本人が感謝と敬意の念を抱いた。そのマッカーサーはトルーマン大統領によって解任され、アメリカに帰ったのだが、日本人の彼に対する感謝と敬意の念は変わらなかった。その結果、マッカーサー記念館やマッカーサー灯台、あるいはマッカーサーの銅像などの建設が計画されて、募金活動が行われたという。


マッカーサーに対する感謝の念はそれほどまでに強かったのだが、マッカーサーが「日本人はまだ12歳の少年だ」と語ったことが伝わると、その真意が曲解されて、日本でのマッカーサー人気は急降下した。それにともない、マッカーサーを顕彰すべく計画されていた企画の全てが取りやめになった。


「日本人はまだ12歳の少年だ」なる言葉は、アメリカ議会での質疑応答に際して発せられたのだが、それを伝えたマスコミが、その言葉の前後のやりとりをも伝えていたら、日本での受け取られ方は異なっていたはずである。それはともかくとして、その言葉が伝えられたとき、マッカーサーに対する見方が逆転したことに、付和雷同しやすい日本人の傾向が顕著に表れているように思える。戦前には軍部の言葉に踊らされ、戦後の民主主義社会になって久しい今でも、選挙では深く考えないまま、政治家が口にする言葉に操られている。小泉純一郎のワンフレーズ「自民党をぶっ壊す」「骨太の方針」。安倍晋三の「アベノミクス」「骨太の方針」「3本の矢」。


将来にわたって国民の政治意識が変わらないままに、現在の自民党が主導する形で憲法が改変されたなら、いつの日か、国民が後悔する事態に導かれるかもしれない。


3月17日に投稿した「田中角栄元首相が危惧した戦争の記憶を持たない政治家」で紹介した田中角栄元首相の言葉「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が政治の中枢となったときはとても危ない」なる言葉が真実味をもってきた今、そのことに意を向ける政治家がどれほどいるのだろうか。自民党内でその言葉を気にかけているのは、ごく一部の議員と、引退した高齢の元議員だけのようである。


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森友学園問題は日本の検察に関わる問題でもある [政治および社会]

森友学園問題は、それ自体が大きな問題なのだが、それにおとらず問題となるのは、心ならずも文書の改竄に関与させられ、検察に責められたあげくに自殺した 職員がいたことである。


あの戦争が終わった後で、戦犯とされた多くの軍人が死刑に処せられている。その多くはB級あるいはC級戦犯であり、命令に従って捕虜を殺したりした兵士たちである。本来ならば、罪を責められるべきは 作戦を指導し、命令した者たちのはずだが、その者たちは生きながらえただけでなく、戦後の社会で活躍した者も多い。その典型的な存在が、陸軍の参謀だった辻正信である。


3月15日の投稿記事「小林多喜二に関わる俳句を読んで」に書いたように、戦前の日本には思想や言論の自由がなく、思想犯の疑いによって逮捕された者たちには残虐な拷問が行われ、多くの者が殺された。作家の小林多喜二はそのひとりである。


戦後になっても多くの冤罪事件が発生しているのだが、警察や検察の体質には、戦前と変わらない血が流れているようである。森友事件そのものと同等以上に、検察のありようが問われる必要がある。それを問うのは国民であるべきだが、不思議なことに、国民の側から大きな声が聞こえない。つくづく思うのだが、この国の国民には愛国心がないのだろうか。

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作曲家大友良英氏の言葉 [政治および社会]

朝日新聞朝刊のコラム「折々の言葉」は、作曲家大友良英氏の「感動で一つになるって、心底嫌な言葉だなあ。そこから外れた人のことは勘定に入ってなさそうだし」を紹介している。(3.22)


コラムの文章は次のように続いている。


そもそも一つにならなくてもそれぞれが生きていける世界のほうが、いいと思うんだけどなあ」と、音楽家は続ける。感動は、みなと同じ感情の渦に巻き込まれ、唱和することではなく、各人の内にふとざわめきが立ち起こり、それが何か判らないまま、深い眠りから醒めるるような動きとなること。大友のツイッター(2月18日)から。


大友氏の言葉は思想に関わるものではないが、この記事を読んでネトウヨと一部の左翼のことを思い、さらに安倍晋三首相のことを思った。「お友達」を重用し、自分を受け入れない人たちを敵視して「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と叫ぶ。政治の正道を踏み外し、ごまかし答弁で説明責任を果たさない。「こんな首相に首相で居続けてほしくない」と思わざるをえない。

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「日本人はまだ12歳の少年である」なるマッカーサー元帥の言葉 [政治および社会]

戦後の日本を統治したGHQ(敗戦後の日本を占領統治するために置かれた組織「連合国軍最高司令官総司令部」の略称。昭和27年4月、日本の主権回復に伴い解散された)の最高司令官だったマッカーサーが遺した有名な言葉に、「日本人はまだ12歳の少年である」がある。


戦後日本の統治者だったマッカーサー元帥に対して、日本人は感謝と親しみを抱いていたようである。「戦争に負けたなら、アメリカ占領軍によって日本人は苦難にさらされる」と思わされていたのに、占領軍は思いの外に善政を行った。戦前の全体主義国家から民主主義国家に変わったのは、マッカーサー個人の業績とはいえないものの、結果的にはマッカーサー人気を高めたと思われる。思想と言論の自由を奪われ、抑圧されつつ生きた国民の眼には、戦後の民主主義社会とマッカーサーが結びついて見えたのかも知れない。


そのマッカーサーがトルーマン大統領によって解任されて帰国する際には、その車列が通る沿道に20万人もの日本人が並んで、感謝の念をもって見送ったという。その情景が撮された写真は、いまでもネットで見ることができる。


マッカーサーが解任された昭和26年4月は、私が中学校の2年生になったときである。日本を去るマッカーサー一家の様子を、私はラジオの実況放送で聞いたと記憶しているのだが、あるいは録音放送だったのかも知れない(その当時に録音放送があったかどうか、まだ調べていない)。マッカーサー一家が飛行機に搭乗する前の様子が放送されていたのだが、長男であるアーサーの姿を伝えるアナウンサーの声が印象に残っている(アナウンサーはアーサー君と呼んでいたと記憶している)。


アメリカに帰ったマッカーサーは、アメリカの議会で演説や証言をしているのだが、その中で、「日本はまだ12歳の少年である」という言葉を口にした。その前後の言葉を思えば、日本を侮辱する意図はないと思われるのだが、その言葉が日本に伝えられると、その言葉自体がひとり歩きして、マッカーサー人気は急降下したという。マスコミがまともに機能していたならば、そのような結果にはならなかったろうに、と残念に思える。マッカーサーに対して格別の尊敬の念も感謝の念もない私だが、歴史に関わる記録に偽りがあってはならないと思うからである。この国の現実はといえば、公文書すら改竄し、憲法を蔑ろにし、国会を軽視し、公私混同の政治を行う政権が、政権の座から追放されることなく、依然として支持されている。この国の将来が思いやられる。


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朝日新聞の社説に思う……日本に遺すべき最重要遺構は何か [政治および社会]

3月20日の朝日新聞の社説「震災の遺構 二つの思いの葛藤抱え」は、次のような文章で書き始められている。


 悲惨な出来事を思い出したくない。だが忘れることはできないし、忘れて欲しくない。
 この9年間、東日本大震災の被災者は二つの思いの中で葛藤を重ねてきた。いわゆる震災遺構をめぐる議論はその象徴だ。


津波で被災して廃校になった校舎を、これまでに多くの人が訪れているという。津波の脅威を後世に伝える遺構であるが、被災者にはつらい記憶を呼び起こす存在でもある。その遺構を保存すべきか解体すべきかをめぐり、住民の意見が割れたが、解体を望む意見が半数を超えたため、解体することにした自治体があるという。その一方で、かなり先まで結論を先送りにすることにした自治体もあるとのこと。社説に記されている、「判断を急がず、次の世代に委ねるのは一つの知恵かもしれない。広島の原爆ドームも保存が決まったのは、被爆から20年以上が過ぎてからだ」が、おそらく正解であろう。


社説はつぎの文章で終わっている。


地震に限らない。噴火や風水害でも、何を、どうやって次代に引き継ぐかは、今を生きる世代の責務だ。東日本大震災の被災地の悩みや試行錯誤もまた、将来への大切な教訓となる。


この社説を読んで思った、「この国にとって最も重要な遺すべき遺稿は、この国に史上最大の災厄をもたらしたあの戦争に関わるものであるはずだ」と。それにもかかわらず、戦後も70数年になりながら、原爆ドームしか存在していない。本ブログで幾度も主張してきたように、本来ならば、膨大な犠牲者のための慰霊碑を建立すべきである。その慰霊碑は、あの戦争を忘れないための記念碑でもあり、反戦平和を祈る祈念碑でもある。投稿してきたそれらの記事の幾つかを、ここに列挙しておく。





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内閣支持率の不思議さ [政治および社会]

桜を観る会問題で下がった安倍内閣の支持率だが、コロナウイルスが猛威を奮っている最近に至って向上しているらしい。


数々の疑惑にまみれ、悪政をほしいままにしておりながら、安倍政権は存続し続け、その支持率は下がらない。この国の国民には愛国心がないのだろうか、と思わずにはいられない現象である。


戦前の政治を支配した軍部によって、この国は壊滅的な状況に至ったのだが、その軍事政権を支持する国民は多かったようである。その理由のひとつに、付和雷同しやすい国民性があったと指摘する識者がいる。小泉内閣時の総選挙は劇場型選挙とよばれ、自民党は大勝したのだが、付和雷同する国民性は昔と変わらないようである。若い世代が新聞を読まなくなり、ネットに流れる風評の影響を受けやすい時代であるだけに、これからの日本に不安をおぼえる。


イギリスはEU離脱の是非を問う国民投票をした結果、離脱するに至ったのだが、選挙が終わった後になると、離脱を選んだことを後悔した国民も多かったという。一時的な風潮に影響されて、判断を誤ったということであろう。


財界からの寄付によって豊富な資金を持つ自民党だから、憲法改正に関わる国民投票が実施されるなら、自民党は国民の支持を得るために、巨額をつかって様々な手をうつに違いない。このまま安倍政権が継続し、憲法改正法案が提出されたなら、それを支持する国民は意外に多いのかもしれない。その改正案が真に理想的なものであれば良いのだが、独善的な今の自民党には期待できそうにない。憲法改正案が提示される前に、正道をはずれた安倍政権に退場してもらいたいものである。

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田中角栄元首相が危惧した戦争の記憶を持たない政治家 [政治および社会]

今日の投稿記事は、16日の「東京大空襲を歴史の彼方に押しやらないために」と、2018年1月25日に投稿した「安倍首相を危惧するあの世の田中角栄」に関連する記事です。


「東京大空襲を歴史の彼方に押しやらないために」で紹介した朝日新聞「声」への投稿者は、その文末に、「母の死後、東京大空襲の慰霊祭に一緒に参加した兄も今は亡くなり、私もいつまで行けるか。この思いを子供や孫たちにさせてはなりません。今の世を思う時、この年寄りでもなんとかできないかと思います。」と書いている。「今の世を思う時、この年寄りでもなんとかできないかと思います。」とあるのは、世界情勢だけでなく、安倍政権に対しても危惧しているからではなかろうか。


「安倍首相を危惧するあの世の田中角栄(2018-01-25)」で紹介した田中角栄の言葉は、「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が政治の中枢となったときはとても危ない」であった。


3月10日は東京大空襲があった日である。その日の朝日新聞「声」に、「父失い母は苦労 東京大空襲」を投稿した人は86歳だという。戦争の惨禍と恐怖が身に滲みているその人は、「今の世を思う時、この年寄りでもなんとかできないかと思います。」と書いた。戦後世代の政治家たち、ことに悪政をほしいままにしている安倍内閣に、強い危惧の念を抱いているのかも知れない。安倍内閣のありようは、田中角栄が危惧したことに他ならないのだから。憲法を無視する安倍内閣。国会を軽視し、閣議決定でことを進める安倍内閣。国会での質問には答をはぐらかし、ごまかす安倍首相。その安倍首相の最たる目標が憲法の改正であり、9条の改変である。憲法の改正を支持する国民は少なくないであろうが、改正するのであれば、安倍政権以外の政権で行ってほしい、と思う国民が多いのではなかろうか。そうであってほしいものだが。

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東京大空襲を歴史の彼方に押しやらないために [雑感]

昭和20年3月10日は、アメリカによる東京の無差別大空襲が行われた日であり、3月11日の東北大震災とともに歴史に刻まれる日である。一夜にして、広島や長崎の原爆を上回る犠牲者を出した日であり、歴史的な大虐殺が行われた日である。


日本の都市に対する無差別爆撃を主導したカーチス・ルメイ将軍に、佐藤栄作首相は勲一等旭日大綬章を贈った。航空自衛隊の育成に協力してくれたのが理由というが、人道に対する犯罪者への授章と言うべきだろう。


3月10日の朝日新聞の投稿欄「声」には、その大空襲の被災者である作家の早乙女勝元氏が、毎年のように投稿していたのだが、今年は投稿されなかったようである。例年通りなら複数の投稿があるはずだが、今年の「声」に掲載されたのは、86歳の主婦による「父失い母は苦労 東京大空襲」だけである。その記事は「あの3月10日から75年経ちました。私にとって一生忘れられない日です」と書き始められている。


その空襲で父親を失った家族は生活に苦しみ、一家心中を考えるほどに追い詰められたという。投稿記事はこのような文章で終わっている。「母の死後、東京大空襲の慰霊祭に一緒に参加した兄も今は亡くなり、私もいつまで行けるか。この思いを子供や孫たちにさせてはなりません。今の世を思う時、この年寄りでもなんとかできないかと思います。」


あの戦争で苦しんだ人は、20年先にはほとんどいないはずである。戦争の悲劇を繰り返さないために、戦争で苦しみ、戦争を憎んだ人の思いを遺さねばならない。そのように考えて本ブログに投稿した記事が、「戦争を憎む感情を失いつつある日本人(2019-09-16)」である。その記事の付記に記した「戦争犠牲者の追悼について……慰霊碑・記念碑・そして祈念碑」を、少しでも多くの人に読んでもらえるよう願っている。

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小林多喜二に関わる俳句を読んで [政治および社会]

3月15日の朝日新聞文化欄の「俳壇」に、「多喜二忌の帝国ホテルロビーかな」(野上 卓)が載っている。選者4人のうちのふたりが、この句を入選作に選んでいる。


小林多喜二が特高警察の残虐な拷問により、29歳の若さで亡くなったのは、昭和8年(1933年)2月20日であり、その2月20日は多喜二忌とされているらしい。90年に近い歳月が流れておりながら、ネットの世界を眺めてみると、多喜二に関わる情報はいくらでも見つかる。その幾つかを読んで思うのは、小林多喜二の勝れた人間性と、それを認めて多喜二に関わった人たちの存在である。多喜二に関わったことが特高に知られたならば、検挙されるだけでなく、拷問を受ける危険すらあった時代である。世間から身を隠して暮らしていた多喜二には、密かに結婚した妻がいた。


多喜二の遺体に取りすがって泣いたその妻は、後に政治マンガなどで著名な森熊猛と再婚したという。愛妻家だった森熊猛は妻が亡くなったあと、妻が保管していた小林多喜二の分骨を、妻の遺骨に加えたという。このエピソードは、森熊猛に関わる記事を検索すればいくらでも見つかるのだが、その記事を読んだ私は、自分が書いた小説「造花の香り」(本ブログの左サイドバー参照。3月4日の投稿記事「カクヨムに小説「造花の香り」を連載」に書いたように、小説投稿サイトであるカクヨムで読むことができる)の文章を思い出した。


 「造花の香り」のプロローグには、このような文章がある。戦後も60年が経った頃、特攻隊員良太の婚約者だった千鶴が、良太の無二の親友だった忠之に出した手紙の一部である。

〈・・・・・・夫から結婚を申し込まれましたとき、婚約者が特攻隊で戦死したので、私には結婚する意思がないと伝えました。縁があったと申しましょうか、それでも結婚した私たちですが、結婚してからも良太さんのことが幾度か話題になりました。そのようないきさつがあってのことと思いますが、自分の病気が不治と知った夫は、病院のベッドでこのように申しました。私があの世に行ったなら、私とともに森山という人の冥福も祈ってあげなさい。千鶴にはそのようにしてもらいたいし、千鶴はそうすべきだという気がするのだと、夫は言い遺すかのように語りました。・・・・・・もうひとつお願いがございます。長い間お預けしてまいりましたが、良太さんが私に遺されたノートや手紙は、やはり私が処分すべきだと思いますので、今になって甚だ勝手なお願いではございますが、あれを引き取らせて頂きとう存じます。・・・・・・〉


70年あまり以前の日本は、今の北朝鮮や中国のように、思想や言論の自由がなく、権力に逆らう者は弾圧された。弾圧の主対象だった共産党員たちが、命の危険にさらされながら生きた時代である。共産主義国家の過去と現状が、1党支配の国は非人間性国家になることを教えているが、戦前の共産党員たちはひたすらに、より良い社会を目指して戦ったのであろう。真の理想主義者だった彼らを、この国の官憲は国賊として弾圧し、拷問によって多くの犠牲者を作った。真の国賊は、戦争による惨害をもたらした者たちだったのだが。


悪逆非道な拷問を行った特高警察官は、戦後の社会でむしろ出世したという。非道な取り調べによって冤罪を作る警察や検察の底には、戦前と同じような思想が流れているのかもしれない。戦前の日本に回帰したがるような印象を与える政治家に、不安と危惧を覚える今日この頃である。

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安倍政権が反社会的勢力の仲間だったと呼ばれる日 [政治および社会]

2019年12月26日に投稿した記事「カジノ解禁法がもたらす国家的損失」で紹介したように、カジノを解禁した韓国では2兆円の経済効果があったけれども、カジノ依存症対策に7.7兆円もの経費を要す結果になったという。


自民党の歴代内閣は、「憲法を変えないかぎり、集団的自衛権は行使できない」としてきたのだが、安倍政権は一方的に9条の解釈を変更してしまった。今度は国会の権限を簒奪する形で、東京高検検事長の定年を勝手に延長しようとしている。国会での審議によって法を改定しなければできないことを、国会を無視して行う安倍政権。このような政権によって推進されたカジノ解禁法。


カジノ解禁法をごり押しした自民党は、それによる経済効果を導入の目的にする一方で、依存症対策には万全を期すという。いかに手をつくそうと、依存症患者は増えるはずだし、それによる負の効果は甚大なものとなりそうである。にもかかわらずゴリ押ししたのは、それによって利益を得ようとする者が自民党内にいるからではないのか。中心になって動いた自民党議員が、中国のカジノ業者から賄賂を得ていたことも判明している。利権によって動く傾向がある自民党だから、他にもあやしい議員がいる可能性がある。賭博というものは、洋の東西を問わず、昔から反社会的勢力と結びついてきた。安倍政権がいつの日か、「結果的には反社会的勢力の仲間だったことになる」と呼ばれなければいいのだが。


自衛隊の活動に関わる日報の隠蔽、森友学園に関わる文書改竄、加計学園に関わる疑惑、国会にはからず閣議決定にてなされた自衛隊の派遣、憲法無視の立法、憲法無視の国会運営、カジノ法のごり押し立法、桜を観る会の異常な運用。3権分立を脅かす所業。この国の国民は、いつまで政権を委ねるのだろうか、欺瞞に満ちた安倍政権に。

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エアコンのリサイクル料金に疑問あり [政治および社会]

昨秋にエアコンを付け替えたとき、不要になった古いエアコンは、取り付け業者に無料で引き取ってもらった。これまでに数台のエアコンを交換しているのだが、いつもそのようにして、廃棄するエアコンは引き取ってもらっていたのだが、ネットで調べてみたら、エアコンの処分には1000円ほどのリサイクル料金が必要だという。


エアコンにはアルミや銅に鉄などのほか、レアメタルなども使われているので、廃エアコンは貴重な再生資源となる。そのために、特定家庭用機器再商品化法=家電リサイクル法で、処分方法が厳しく決められているとのこと。エアコンの場合には、正規に処分すると1000円ほどのリサイクル料を必要とする。


さらに調べてみたら、廃エアコンには資源価値があるために、数千円で売れるとのこと。取り付け業者は古いエアコンを引き取る際に、「ありがとうございます」とお礼の言葉を口にしたのだが、もしかすると、屑金属業者に売って儲けるのかもしれない。


エアコンを取り替えるひとのほとんどが、古いエアコンを取り付け業者に渡していると思われる。エアコンの持ち主には1000円の出費が減る一方で、国あるいは自治体に入るべき利益は業者に渡ることになる。そうだとすれば、エアコンを廃棄する国民にリサイクル料を支出させる家電リサイクル法は、まったくの悪法ということになる。資源として価値のあるものを放出するのだから、資源ゴミとして、無料で回収すべきではなかろうか。

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チョイ乗りに適した車 [車]

1月7日に投稿した記事「車の燃費改善案」の続きです。


私が乗っているデミオは燃費が良いのだが(30Km程度を走るなら、二人乗りでも18Km/L程度となり、信号の少ないバイパス道路を走りつづけると、20Km/Lを超えることがある)、それはエンジンが暖まってからである。5Km程度以上の距離を走らなければ、本来の勝れた燃費は発揮できない。


私はいわゆるチョイ乗りを繰り返しているので(ときおり15Km以上を走るのだが)、前回の給油時には、437Kmほど走って給油量が37.6Lだから、平均燃費11.6Km/Lである。


1月7日に投稿した記事「車の燃費改善案」で、空冷式の水平対向4気筒エンジンならば、チョイ乗り用の車の燃費に有利ではないかと書いた。そのようなエンジンならば、空冷式の欠点である冷却むら対策は可能と思われるし、冷却フィンの外側から断熱材で囲むことにより(冷却ファンを装備する空冷式であれば、囲ってある方が冷却効果が改善されるはずである)、エンジンを止めておいても、しばらくは余熱の効果が得られるのではなかろうか。数Kmほどの距離にあるスーパーなどにでかけた先で、一時間程度駐車しておくような使い方が多い場合には、実質的に大きな燃費改善効果が得られないだろうか。


チョイ乗りを繰り返す車の燃費が16Km/L程度になれば、地球規模での省エネ効果は膨大なものとなる。安価な燃料電池自動車が開発できればより好ましいのだが、それが実現されるのは、どうやらかなり先のことらしい。チョイ乗りでの燃費を改善した車は、それまでのつなぎとして、充分に存在価値がありそうに思える。エンジンの改良に執念を燃やしている技術者たちに、さらなる高みを目指すよう声援を送りたい。

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働き方改革も笛吹けど踊らず [政治および社会]

3月4日のNEWSポストセブン(小学館が運営するニュースサイト)に、諏訪中央病院名誉院長鎌田實医師による「鎌田實医師、不条理絵本から考える日本の凋落や不倫叩き」なる記事が載っている。その記事の一部をここに引用させてもらうことにした。


  ……… ちょうどこのころから、ぼくたちの国は世界の流れの中心から置いてけぼりにされるようになっていった。特に、今の政権になってからは、かろうじて株価を維持しているものの、世界の流れから取り残されているように思う。
 世界競争力ランキングで、日本がナンバーワンだったのは1980年代のこと。今は30位まで低下してしまった。30年前には、世界企業トップ50のうち、32社が日本企業だった。今は1社だけ。
 かつて2位だった一人当たりGDPも2018年に26位に転落。28位の韓国に追い抜かれる日も近い。世界幸福度ランキングも毎年下がり続けており、58位にまで凋落している。なのに、日本のトップは世界の勢いに追いつこうとするよりも、憲法を改正して“普通の国”になることにしか関心がないように思う。
 それ以外は、ほとんど口先だけだ。「地方創生」と言いながら、地方は疲弊したまま。「女性活躍」という看板も掲げたが、女性議員も、会社の女性幹部の数も、先進国のなかで圧倒的に低い。
   「働き方改革」も、笛吹けど踊らず。医師の働き方改革も、教師の働き方改革も、つまずいている。
 デフレからの脱却もできていない。それどころか消費税を10%に上げたことで、経済は腰折れしかけている。「少子化」に歯止めをかけるはずが、女性も若者も大事にしていないために結婚も出産も難しくなっている。家族の機能が小さくなるなかで、「介護離職」への対策も急務。今となっては「一億総活躍」という言葉が、懐かしくさえある。………


鎌田實医師にかぎらず、上記のように感じている国民は多いに違いない。にもかかわらず、安倍政権は記録的長期政権であり続けている。この国を衰退させてきたのは、そんな自民党を支持してきた国民である。眼に余る悪政ぶりが目立ってきて、ようやくにして支持率が下がり始めたようだが、これまでのように、数ヶ月も経てば支持率は上がるのかも知れない。この国に真の愛国者が増えるとよいのだが。

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学校の一斉臨時休校は愚策か? [政治および社会]

コロナウイルス対策としての臨時休校だが、今朝のテレビニュースによれば、高校生のなかには、臨時の長期休暇のように受け取り、町に出かけている者がいる。小学生や中学生たちにも、長期にわたって外出できない生活は苦痛であろう。


安倍首相は「私の責任で」実施したというが、この施策に効果があるのだろうか。体調不良の家族がいる家の子供の登校を自粛させるとともに、登校時間を通勤時間とずらすなどした方が、むしろ良さそうに思えるのだが。教師に子供たちとその家族の健康状態を聞き取り調査させれば、感染者の早期発見にも役立つだろう。


私が暮らす名古屋付近にも、コロナウイルスはかなり侵入しているらしい。しばらくは、電車や地下鉄を利用せず、混雑する場所にも出かけないとしよう。元気で過ごしているとはいえ、80代の高齢者なのだから。

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庭で栽培するナガイモ [雑感]

庭でナガイモを作って3年になります。ナガイモは連作を嫌うとのことですが、庭の一角で作るので、土を充分に入れ替えることができません。昨年の春に種芋を植えた土は、ほとんど前年の土でしたが、連作障害はなかったようで、およそ20本ほど収穫できました。とはいえ、長さ60cmのものや、数本の細い芋に枝分かれしたものなど、大きさや形はさまざまでした。


庭の一画に深さ40cm程度の穴(幅50cmで長さは2m程度)を掘り、JAの営農センターでもらった籾殻(無料)を混ぜた土(庭の土は粘土ですが、落ち葉や生ゴミを埋めているので、野菜に適した土になっています)で埋め戻し、その上に40cmあまりの高さに土を盛り上げます。土の周囲は古くなったスダレで囲い、崩れないようにしてあります。


過去3年は秋の収穫までに、重さで土がかなり沈み込んでいました。芋の多くが枝分かれしたのは、成長の過程で土が下がったためらしい。というわけで、今年は植え付けまで2ヶ月ほどの2月中に、栽培場所を整えました。4年続けての連作がどんな結果になるのか、秋の収穫を楽しみにしています。

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カクヨム(小説投稿サイト)に小説「造花の香り」を連載 [小説]

主人公が特攻隊員となり、出撃するに至る小説「造花の香り」(本ブログの左サイドバーに概要を表示)を、小説投稿サイトであるカクヨム(投稿された小説を自由に読むことができます)に投稿しています。


インターネットで読みやすくするために、10分程度で読める分量ごとに分割し、連載の形式で公開することにしました。つい先ほど第6話の投稿を終えたところです。1話ごとに細切れになっておりますが、<次への矢印>をクリックすれば、連続して読むことができます。


カクヨム」を検索すれば、まっさきに、「カクヨム: 無料で小説を書ける、読める、伝えられる」なるサイトが見つかります。そのサイトの上辺にある「小説・ユーザーを検索」をクリックし、左側に現れるキーワード検索欄に「造花の香り」と入力して検索すれば、「造花の香り」のタイトルが表示されます。そのタイトルをクリックすれば、第1話から順番に表示されますので、読みたい部分を読むことができます。


カクヨムに投稿している人の多くは(もしかするとほとんどが)、若い人ではないかと思います。私は80代ですから、最も高齢の投稿者かもしれません。まったくの素人でありながら、どうしても書きたくて書いた小説です。この記事を読んでくださった方々がカクヨムを訪れ、「造花の香り」を読んでくださるよう願っております。できますれば、知人の方々にお勧め願いたく、どうか宜しくお願い致します。


カクヨムの小説紹介欄には、本ブログの左サイドバーに記した文章をそのまま載せました。


カクヨムに掲載した「造花の香り」の紹介記事


特攻隊に関わる小説である。ベストセラーになった「永遠のゼロ」とは異質な恋愛小説であり、テーマも大きく異なっている。

〈小説の概要〉 東京の大学で学ぶ主人公が恋と友情に恵まれ、戦時ながらも充実した学生生活を送る様子が前半に描かれ、後半では、徴兵された主人公の海軍航空隊での生活と、訓練の合間になされる婚約者との交流、および、特攻隊要員に指名されてから出撃に至るまでが描かれる。序章と終章は戦後における後日談であり、この小説のテーマを集約的に表している。

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