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戦争犠牲者慰霊碑が果たす役割 [戦争犠牲者追悼施設]

令和になって最初の全国戦没者追悼式が行われ、式場の日本武道館には5300人の遺族が参加したという。朝日新聞夕刊の1面には、会場に向かう高齢の参加者たちの写真が載っているのだが、参列した遺族の30%は戦後産まれだという。それにしてもである、このような式典が追悼施設ではなく、武道館のような会場で行われる状態がいつまで続くのだろうか。


きょうは本ブログを開設してから5回目の終戦記念日になる。8月15日に投稿してきた記事は、ほとんどが戦争犠牲者のための慰霊に関わる記事であり、当然ながら靖国神社にも触れている。2019年2月6日に投稿した記事「靖国神社と仏壇・・・・・・霊魂の居場所について」の末尾には、それらの記事が列挙され、クリックすればもとの記事を読んでもらえるようにしてある。きょうの記事の末尾にも、それらの記事を列挙しておく。



戦争に勝った側が戦勝記念碑を作るのは、凱旋門のようにいくつも例がある。敗戦した側が作るのは、敗戦記念碑ではなく慰霊碑であり、原爆に被災した広島と長崎や、大空襲で一夜に10万人以上も犠牲にされた東京には、慰霊と平和を祈念する施設がある。本来ならば、国によって建立されるべきはずの慰霊と平和祈念のための国立施設は、不思議なことに未だに存在しない。


史上空前の第二次世界大戦に関わり、原爆被災を含む空前の痛苦と災害を蒙ったこの国でありながら、国によって建立されるべき慰霊碑がない。そのような施設の建立に執拗に反対する者たちは、靖国神社があれば充分だと主張しているのだが、靖国神社は戦死した兵士を祀る神社であって、原爆を含む空襲による犠牲者などには関わりのない施設である。にもかかわらず国立の追悼施設に反対する者たちは、異常なほどに狭量な人間としか思えないのだが、多くの国民がそのことに言及しないのはなぜであろうか。



国立の追悼施設が作られたなら、それは慰霊碑を超えた存在になるだろう。将来の日本人は、日本史を学ぶ過程であの戦争を知ることになるわけだが、首都のどこかに建立された大きな慰霊碑は、学校教育にもまして、反戦の思想を如実に伝えるだろう。その慰霊碑に刻まれる言葉によって、その碑は戦争犠牲者の慰霊碑にとどまらず、あの戦争を悔いる記念碑となり、反戦平和を願う祈念碑となり、ひいては、世界中に平和の尊さを訴える象徴的な存在にもなり得るだろう。あの戦争を歴史の中に閉じ込めることなく、戦争を憎む感情を永続的に、そして眼に見える形で遺してこそ、あの戦争によって犠牲になった、国内外の膨大な犠牲者を真に慰め、その犠牲を無駄にしないことになるはずである。


付記

戦争犠牲者の追悼施設に関わる過去の投稿記事



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