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卒業研究で使った機械式計算機 [雑感]

電卓がわずか100円で売られているのを見て、技術が進歩する速さのすさまじさを思った。それなりに高機能の電卓であれば、高度の技術や理論の計算に使えるわけだが、今から60年前には、研究や開発業務の計算で苦労することが多かった。


大学での卒業研究で使ったのは、ハンドルを回す機械式計算機だった(タイガー計算機)。加減乗除の計算を行うにしても、騒音を発しながら、場合によっては数十回もハンドルを回さねばならなかった。そうであろうと、紙と鉛筆を使うよりも効率がよかった。今更ではあるが、そのような機械の発明者に敬意を表したいと思う。

計算に用いられる昔の器具で思い出されるのは、実に巧妙に作られた計算尺である。大学の3年次にすすめられるままに買ったのだが、結局のところ、宝の持ち腐れになった。その巧妙な仕組みは、高度の数学的知識を有す技術者が、執念を燃やして完成したものであろう、と思わせられる。


私が初めて買った電卓は液晶表示ではなく、数字が青く光る表示管式だった。性能は良かったと思うが、電池が消耗しやすい欠点があった。手回し式計算機を使っていた学生時代から、わずか10数年後のことである。その頃の電卓は高価だったが、今ではかなりの機能をもつ電卓を、千円以下で買える時代になっている。


電卓が世に出てから何年か経つとパソコンが現れた。この記事を書いているのはノートパソコンだが、東芝製ノートパソコンのダイナブックが、世界に先駆けて衝撃的にデビューしたのは、昭和60年頃だった。今ではデスクトップ型よりも、ノートパソコンの方が多く使われているのではなかろうか。いま使っているこのノートパソコンは、比較的に安価な製品ながら、私が初めて買ったデスクトップ型パソコンよりも、桁違いに勝れた性能であり、比較のしようがない程である。


手回し計算機が世界中で活躍していた時代から、まだ60年しか経っていない。かなり以前の本ブログに書いたように、私の小学生時代に、友人のひとりが言った、「発明家になりたいのだが、必要なものは全て発明されてしまったので、発明家になれなくて残念だ」と。それから70年が経つ間に、驚くほど多くのものが発明されている。100年後の世界はどんな時代になっているのだろか。これまでに幾度も書いてきたように(付記参照)、霊魂の実在を識っているので、おそらくあの世からでも、将来のこの世を見ることができるはず、と期待している。


付記

30代の中頃までの私は唯物論者のひとりであった。とはいえ、心は脳内の化学反応によるのだろうと思いつつ、そうとは言い切れないような気がしていた。そんな私は不思議な体験を繰り返し、霊魂の実在を識るに至ったのだが、今でも、科学では説明できない霊魂の存在が不思議なものに思える。とはいえ、霊魂が実在することを実証することは、実はさほどに難しいことではない。そのことを知ってもらいたいがために、霊に関わる記事の投稿を繰り返してきた。その幾つかを以下に列挙しておくので、眼を通して頂けるよう願っている。、
           
           
           
           
           


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