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憲法9条と聖徳太子による十七条憲法 [政治および社会]

聖徳太子が作ったと伝わる憲法十七条の第一条は、「和を以って貴しと為す」となっている。最初にこのような言葉が記されたのは、骨肉相争う時代を生きた聖徳太子の、「和」に対する思いがこめられているからだという。ある書物でそのような記述に出会い、今の日本国憲法が成立した当時の社会情勢を想った。


日本は軍国主義と全体主義のもとで無謀な戦争を行い、この国はもとより周辺諸国や対戦国の国民に、空前絶後の痛苦と悲劇をもたらした。今の憲法が公布されたのは昭和21年11月(施行されたのは昭和22年5月3日)だから、日本の敗戦からわずか1年あまりが経った頃である。その憲法が平和憲法と称されるのは、言うまでもなく第9条の存在にある。原案がGHQ(敗戦後の日本を占領統治するために置かれた組織「連合国軍最高司令官総司令部」の略称。昭和27年4月、日本の主権回復に伴い解散された)によって作られたのは確かだが、日本政府はそれを参考に新憲法案を作成し、国会に諮った。


GHQから提示された原案は、当時の日本人には思い及ばなかったであろう先進的なものだったと想像されるが、それを見た政治家や官僚たちは、基本的人権や民主的な考え方に、感銘と共感を覚えたのではなかろうか。無謀な戦争に突き進んだあげくに、極限の痛苦と悲しみを与えられた過去を悔い、戦争を憎む感情が国中に満ちていた時代である。現憲法が起案されたのはそのような時代である。


GHQの総司令官だったマッカーサーの回顧録に、次のような文章があるという。


(マッカーサーの執務室を訪れた)幣原首相は私に言った、「憲法に戦争放棄と軍備を持たないとする条項を加えたい」と。そうすれば、いつの日か、軍部が再び権力を握ることができないようにできるし、日本には戦争を行う意思が決してないことを,世界の諸国は知ることになるだろう、と幣原首相は言った。
 首相はさらに、貧しくて軍備にカネを注ぎ込む余裕のない日本は、残されている資源の全てを経済再建に当てるべきだ、 とつけ加えた。
 私(マッカーサー)は腰が抜けるほど驚いた。私は長い年月の経験により、人を驚かせたり、異常に興奮させたりする事柄に出会っても、動じることはなくなっていたのだが、この時ばかりは息が止まるほどに驚いた。私は、戦争は国際間の紛争解決には時代遅れの手段であり、廃止すべきであると信じていたからである。


マッカーサーは幣原に語ったという、自らの体験を通して、戦争に対する嫌悪感を強く抱くようになったこと、そして、原爆の災害を知ってそれがさらに強まったことを。その話を聞いた幣原首相は大変に驚き、涙を流したという。幣原首相はマッカーサーの事務室を出るとき、涙の顔で振り返り、「世界は私たちを非現実的な夢想家として,あざけり笑うかもしれないけれど、いまから100年後には,私たちは予言者と呼ばれることでしょう」と言ったという。


マッカーサーの回顧録の全てが真実であると言うつもりはないが、日本側の資料でも裏付けられているようだから、憲法起案に関わる記述には真実味があると思う。幣原首相が語ったという言葉には、敗戦直後の日本人の気持ちがこめられている、と私は思う。


原案がGHQから提示されたものとはいえ、日本の政府と官僚たちが充分に検討して起案したはずである。もしかすると、「アメリカから押しつけられた憲法ゆえに改正したい」と主張する者たちは、9条を改正したいがための理由づけとして、それを口にしているのかもしれない。


戦がもたらす悲劇を嘆いたであろう聖徳太子によって作られ、1400年後の今に伝えられる十七条憲法。敗戦後の日本に満ちていた戦争を憎む感情がこめられた今の憲法。その平和憲法の精神を守らねばならない。それは、私が書いた小説「造花の香り」(アマゾンの電子書籍キンドル本になっている。本ブログの左サイドバーに概要を紹介)のテーマのひとつでもある(1月25日の投稿記事「特攻隊員たちの心の内を想う」参照)。とはいえ、現憲法が「不磨の大典」として、永久に不変であるべきものとは思わない。時代の変化と社会の進化に適応すべく、必要であれば改正されてしかるべきだが、自民党主導での改正には危惧をおぼえる。


安倍政権は狭量かつ独善的であり、政治の正道から逸脱している。自民党内から声があがって安倍政権に退場を迫るようなら、自民党にも多少の期待はできるのだが、今の自民党にそのような動きはまったくない。安部に批判的な石破派が冷遇されても、他派閥は傍観しているだけであり、安倍政権に対する危惧を表明している自民党の関係者は、引退した高齢の元議員たちだけである。本来ならば、安倍批判の声が広く国民からあがれば望ましいのだが。

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武本昌三氏のホームページ「ともしび」の記事より [人生]

このブログで幾度も紹介してきた武本昌三氏のホームページ「ともしび」に、「『勝五郎の生まれ変わり』の史実に基づく動画(2020.01.27)」なる記事が掲載されている。人の生まれ変わりが実証された希有な実例として有名な、小谷田勝五郎(1814年(文化11年) - 1869年(明治2年)12月4日)に関わる記事である。武本氏の了承を得てはいないが、そのホームページを紹介する意図をふくめて、その記事をここで紹介させてもらうことにした。


 武本昌三氏のホームページ「ともしび」の記事より


   「勝五郎の生まれ変わり」の史実に基づく動画(2020.01.27)


「勝五郎の生まれ変わり」については、[随想集]No.106(「『勝五郎の生まれ変わり』二つの記録]( 2016.03.01)で取り上げているほか、本欄[寸感・短信]No.92「江戸時代の生まれ変わりの実例」(2015.10.21)、No.95「勝五郎生まれ変わり調査団」(2015.11.18)、No.100「高幡不動尊金剛寺を訪れる」(2016.01.13)でも触れています。これらの小文のなかでも書いていますが、勝五郎が生まれ変わる前の前世の名前は「藤蔵」でした。藤蔵は6歳の時に疱瘡で亡くなり、その 8年後の文化12年(1815年)に生まれ変わって勝五郎になったのです。
 この生まれ変わりは、関係者がすべて実在し、生まれ変わりの前後の両親の名前や時間、場所も明確に証言されている稀有の実例としてよく知られています。江戸時代に平田篤胤の著作によって紹介され、ラフカディオ・ハーンの著作によって、海外でもひろく関心を集めるようになりました。藤蔵の墓も、私もお詣りしたことがありますが、父親の墓と同じく、高幡不動尊に現存しています。生まれ変わった勝五郎は55歳まで生きて、明治2年に亡くなりました。勝五郎のほうの墓は八王子市下柚木の永林寺墓地にあるということです。
 私にも、私の生まれ変わりについては、『天国からの手紙』に付表としてまとめたものがあります。特に、今生と関係が深いといわれている 200年ほど前のイギリスの前世については、複数の霊能者から何度か聞かされてきました。その前世の私の墓も、「ロンドンから北東部の2、30キロ圏内」「30体から50体、あるいは100体ぐらいの規模の墓地」を探してみるようにと、その探し方なども示唆されたりもしました([霊界からのメッセージ]東京ルートNo.13「イギリスにおける私の過去生」など)。そんなこともあって、この「勝五郎の生まれ変わり」の史実については、私は特に強い興味を抱いてきました。
 「関係者がすべて実在し、生まれ変わりの前後の両親の名前や時間、場所も明確に証言されている」というのは大変な事実ですが、その史実は、2006年に亡くなられた俳優で心霊研究家の丹波哲郎さんによって公開されているつぎのような youtubeの動画によってもみることができます(再生時間:約 1時間)。この中には、高幡不動尊にある勝五郎の前世にの時の墓と父親の墓も出てきます。勝五郎が、自分の前世の藤蔵の墓の前で、どのように拝んだらいいのか戸惑っている様子なども描かれています。「生まれ変わり」に関心のある方は、一度ご覧になってみてください。
「丹波哲郎の大霊界(3) 死んだら生まれ変わる」  https://www.youtube.com/watch?v=3HcOu5Wwiuk


霊魂の実在を知る私は、これまでに幾度もそのことをこのブログに投稿してきた。付記に記すそれらの記事にも目を通していただけたらと願っている。


付記





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特攻隊員たちの心の内は [特攻隊]

1月22日の朝日新聞夕刊に、高木俊朗著「陸軍特別攻撃隊」の紹介記事が載っている。新聞の半ページに及ぶ記事だから、書籍の紹介記事というより、特集記事というべきだろう。

その記事に、次のような文章がある。


(高木氏はその著作により) 「悠久の大義に殉じた」という一般的な理解の向こう側にある、生身の特攻隊員とその家族の絶望を克明に記録するとともに、作戦を指揮した軍首脳部の無能や敵前逃亡を徹底的に糾弾する。大本営発表と報道の罪を告発し、虚偽の戦果発表に熱狂した国民も断罪する。全編を怒りが貫く圧倒的な筆致で、特攻の実相に迫った。


新聞記事の終わりには、「高木さんは作品の一つに、『戦争に対する怒りの心があって、はじめて、真実を記録することができよう』と記した」なる文章がある。高木氏には戦争に関わる多くの著作がある。高木氏にそれを書かせたのは、「戦争に対する怒りの心」だったのであろう。


敗戦後の日本には、戦争を憎む感情が充満していたはずである。反戦平和のために最も役立つことのひとつは、人々の多くが「戦争を憎む感情」を持つことだろう。私が書いた小説「造花の香り」(アマゾンの電子書籍であるキンドル本になっている。本ブログの左サイドバーに概要を紹介)は特攻隊員を主人公とする恋愛小説だが、そのテーマのひとつは反戦平和である。その小説には、「戦争を憎む感情」なる言葉が繰り返し出ている。その幾つかをここに引用してみたい。


「造花の香り」の序章より引用。(戦後60年のある日、特攻隊員の元婚約者と特攻隊員の親友が語り合う場面である)


「そんな俺たちは、心の底から戦争を憎んでいるわけだが、将来の日本人どころか、今の若い連中にとっても、あの戦争は歴史上のできごとなんだ。ずいぶん遅くなったが、俺たちがまだ生きているうちに」と忠之は言った。「良太が願った大きな墓標を作らなくちゃな。将来の日本人がいつまでも、反戦と平和を願い続けるうえでの象徴になるわけだから」
「それを眼にするだけで、日本があんな戦争をしたことを思い起こさせますからね。それに」と千鶴が言った。「二度と戦争をしてはいけないという私たちの気持ちを、将来の日本人に伝えてくれますからね。そのように願って作るんですもの」
「いまの憲法には、俺たちのそんな気持ちがこめられていると思うが、憲法がいつか改正されるようなことがあっても、戦争を憎む気持が伝わるようなものにしてほしいよな」
「いつまでも伝えたいわね、戦争を禁止する憲法が公布されたときに感じた、私たちのあの気持を。戦争というものが無くなるようにと祈った、私たちのあの気持を」


上記の文章に「大きな墓標」なる言葉がある。本ブログでも幾度かそのことに触れ、その建立を主張してきた。投稿した記事は「靖国神社の英霊たちは何を望むのか(2015.8.10)」「靖国神社に代わる追悼施設とは(2015.8.15)」「戦争犠牲者の追悼について……慰霊碑・記念碑・そして祈念碑(2015.8.17)」「靖国神社に代わる追悼施設とは その2(2017.8.15)」である。


「造花の香り」の終章より引用。(特攻隊員の元婚約者と妹が、特攻隊員の親友とともに特攻隊出撃基地があった鹿屋を訪れ、飛行場の跡で語り合う場面である)
                      
「・・・・・・あの戦争がどんなものだったのか、それを一番よく知っている俺たちには、戦争を心の底から憎む気持を、歴史の中に残しておくという役割があるんだ。戦争の犠牲者や遺族たちの悲しみも、特攻隊員たちの想いも、歴史のなかにしっかり残しておこうじゃないか、二度と戦争を起こさせないために」
 ほんとうにその通りだ、と千鶴は思った。あの戦争を体験し、戦争がもたらす悲しみを痛切に味わった私たちには、後世の人に対して歴史上の責任があるのだ。岡さんが言われたように、歴史としての造花には、ほんものの香りを持たせなくてはならない。その香りが私たちの今の気持を伝えるはずだ。戦争を心の底から憎んでいる私たちの気持を。


特攻隊に関わる幾つかの書物を読んだ私は、「造花の香り」なる小説を書くに至った。創作を進める過程で、特攻隊員たちが遺した遺稿集など、さらに多くの資料に目を通し、そこに記されている文章を読むだけでなく、書くことが許されなかった、あるいは、書くことをためらったであろう心の内に想いをはせた。ある遺稿集の序文に、「彼らが遺した文章を単に読むだけでなく、行間に隠れている文章を読み取ってほしい」と記されていた。仮に検閲がなかったとしても(中には検閲を免れたものがあるけれども、軍隊内で書かれた遺書などのかなりは、投函される前に検閲を受けている)、愛する家族たちの悲しみを和らげるために、遺書には「悠久の大義に生きる」とか「名誉ある特攻隊に選ばれた喜びをもって出撃する」などの言葉を記したのではなかろうか。そのような言葉を遺して征った特攻隊員たちであろうと、本心から特攻出撃を望んでいたとは思えない。


小説を書きながら、特攻隊を出撃させた日本の精神風土と、そのような精神風土を作り上げた者たちに強い怒りを覚えた。その怒りは、戦争に関わる多くの書籍を遺した高木氏の怒りに通じるものだと思う。


特攻隊は決して美化されてはならないが、彼らの死が無駄なものであったとは思いたくない。「造花の香り」の主人公である良太は、悩んだあげくに特攻隊を志願する(志願させられた)のだが、そこに至る良太の心の内を、私は以下のような文章にした。重い決断をせまられた良太が、特攻隊を志願するに至る心の内を書いた部分である。戦時中の空気を吸っていたとはいえ、まだ幼くて軍国少年にも達していなかった私には、想像して書くことしかできなかったが、特攻隊員たちの死を無駄なものとは思いたくない気持ちが、このような文章を記させたのである。


「造花の香り 第五章 昭和二十年春」より引用


 戦争に負けても日本を残すこと。そのためには、敵国に日本人の愛国心の強さを見せつけなければならない。その役割をはたすものこそ特攻隊ではないか。多くの特攻隊が出撃することによって示せるではないか、日本人は祖国を限りなく愛しているゆえに、国家の危急存亡に臨めば自らの命を捧げ、自分たちの祖国を護りきろうとするのだ、と。
 飛行場をふり返ると、枯れた芝生に腰をおろしている仲間が見えた。冷たい冬の芝生のうえで、二人の仲間は彫像のごとく固まっていた。良太はその姿を見てうしろめたさを覚えた。自分が安易に卑怯な結論を出したような気がした。
 良太は芝生に腰をおろした。仲間のひとりが立ちあがり、建物に向かって歩いていった。良太は膝をかかえて眼をとじた。
 敗戦国としての日本を思えば、特攻隊の出撃には大きな意義がありそうだ。多くの特攻隊が出撃していたならば、戦後の処理にあたる戦勝国とて、日本人の愛国心を無視することはできないだろう。そうであるなら、我々のはたすべき役割は特攻出撃にあるのではないか。特攻機を操縦できるのは、おれたち操縦員しかいないのだ。このことに気がついたからには、おれは特攻隊に志願すべきではないか。隊の仲間たち全てにそれは言えることだが、仲間たちはどのように考えているのだろうか。
 良太は眼をひらき、辺りを見まわした。芝生のうえには良太しか残っていなかった。
 極めてわずかとはいえ、生還できる可能性のある道を選ぶか、それとも敗戦後の日本に再建の芽を残すべく、この国に命をささげる道を選ぶか、俺はいま、それを決めようとしている。死にたくないゆえに特攻隊を志願せず、しかも運よく生き残った場合、俺はどんな人生を送るだろうか。亡国阻止のための出撃を避けたことを悔い、負い目を抱えて生きてゆくような気がする。
 
戦時の日本人のなかには、日本が負けるはずはないと思っていた者もかなりいたようだが、学徒出身の特攻隊員たちのかなりが(もしかするとその多くが)、明確に敗戦を予期していた事実がある。そうであろうと、彼らは命令に従って出撃していった。軍の上層部は敗北は必定なりとわかっていたはずだから(そうでなかったならば、よほどの馬鹿者たちだったことになる)、早急に降伏すべきであった。にもかかわらず、「一億総特攻」や「本土決戦」の檄をとばして、多くの特攻隊を出撃させ、空襲による甚大な被害を受け、そのあげくに原爆の被害を蒙り、ソ連の参戦を招いた。


官僚が自らの本分を忘れたかのように政権に媚び、安倍長期政権は政治の正道から大きくはみだしている。民主主義国家であるはずの日本でありながら、国民は愚劣な政治家に政治をまかせ、それによって犠牲にされている。


教育行政を正常なものにしないと、この国の将来に明るい展望は望めないと思われるのだが、政治を見張ることの重要性を教えようものなら、教師には偏向教育のレッテルが貼られる可能性がある。私が書いた小説「造花の香り」(アマゾンの電子書籍キンドル本になっている。本ブログの左サイドバーに、小説の概要を紹介している)の表紙には、題名の下に「戦争の時代を生きた青年たちの声が聞こえる、幸せな人生を生きたければ政治を見張れ、我らが如き悲劇を繰り返すな」と記されている。


この国の未来のためには、時に応じて政権を交代させる政治風土にしなければならない。この国の国民は、政治の正道から大きくはずれ、むしろ邪道をつき進む自民党に、いつまで政権をゆだねるのだろうか。


2020.3.6 追記

小説「造花の香り」と「防風林の松」を、小説投稿サイトのカクヨム」「小説家になろう」などに投稿しました。


カクヨム」を検索すれば、まっさきに、「カクヨム: 無料で小説を書ける、読める、伝えられる」なるサイトが見つかります。そのサイトの上辺にある「小説・ユーザーを検索」をクリックし、左側に現れるキーワード検索欄に「造花の香り」と入力して検索すれば、「造花の香り」のタイトルが表示されます。そのタイトルをクリックすれば、第1話から順番に表示されますので、読みたい部分を読むことができます。長編小説をネットで読みやすくするため、連載形式にして、1話を10分程度で読めるようにしました。

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地球温暖化対策に寄与するコンパクトカー             [車]

最近は車をほしがらない若者が増えているという。その一方で、高額な高級車に憧れ、乗り回す人がいる。遠いヨーロッパから輸入した車であろうと、日本車より格別に勝れているとは思えないのだが。


こんな記事を思いついたのは、ドライブレコーダーを選ぶため、ネットで情報を得ようとしていたときである。様々なドライブレコーダーに対する使用者の感想を調べていたら、ベンツに安価なドライブレコーダーを設置するため、中国製の製品を選んだ人の投稿記事があった。アウディに中国製の廉価なドライブレコーダーをつけ、結果を報告する記事も見られた。高額な車を買っていながらも、できるだけ出費を抑えたいということであろうか。


私のよく知っている元大学教授は、知り合った当時は古い車に乗っていたのだが、そのボンネットは錆だらけであった。その車に同乗させてもらったときのことである。教授は運転しながら、「この車は友人から譲ってもらったのだが、僕がエアコンつきの車に乗ったのはこれが初めてなんですよ」と言った。その教授は数年後に新車を買ったのだが、買おうと思えば買えたはずの高級車ではなく、大衆車であった。定年退職してからは、省エネ重視の車に替えたと聞かされている。教授の中には外車に乗っている人もいたのだから、車に対する感覚は人によって随分と差があるようである。


かく言う私はデミオ(昨年からは「マツダ2」に車名が変わっている)に乗り換えて2年になろうとしている。以前のワゴン車にくらべると、図書館などの狭い駐車場の利用が便利になったし(車体が小さくなっただけでなく、360度ビューモニターがついている)、ガソリン代は大きく減った。安全装置が充実しているために、安心して乗れるだけでなく、保険料が随分安くなった。ヘッドライトが明るいうえに、オートに設定しておけば、理想的な条件で照らしてくれる。私にとっては申し分のない車だが、おそらく他社のコンパクトカーも、今では同等の性能と機能を持っているのであろう。


かなり以前のことだが、トヨタのセンチュリーに同乗させてもらったことがある。高級車だけあって、騒音や振動はやや少ないと感じたのだが、その程度の利点が価格に見合うだけの価値があるとは思えなかった。その当時としては、安全性は大衆車に比較して格段に勝れていたと思われるが、今では大衆車にもセーフティサポート車と認定される車が多い。私が乗っているデミオの場合、グレードが異なっても安全装備に差別がない。エアバッグも、通常のエアバッグの他に、サイドエアバッグとカーテンエアバッグが装備されている。


ここまで書いたところで、当初につけていたタイトル「高級車に乗りたがる人」から「地球温暖化対策に寄与するコンパクトカー」に替えることにした。コンパクトカーの安全性と省エネ性がさらに高められ、大型車から乗り換える人が増えたなら、温暖化対策に大いに寄与することになる。

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税金が真の布施となる国 [政治および社会]

国民が納める税金は、この国や被援助国で有効につかわれ、人々の幸せな人生に役立つように使われるべきである。そのような使われ方であるならば、納税者たちは立派な布施をしたことになろうが、現実はどうだろう。無駄に費やされる税金はあまりにも多いのが実情である。


アメリカの要求を受け入れてなされる膨大な軍備費の無駄。導入されるF35Bは量産機でありながら、その価格は1機あたり120億円以上だという。安倍首相はそれを100機以上も購入する約束をしたらしい。購入される予定のミサイル防衛システムイージスアショアは、総額5000億円の高額装備だという。


沖縄辺野古の埋め立てによる基地構築費は、当初の見込みをはるかに超えて、1兆円に近い費用になるという。日本政府が努力すべきは、辺野古の海を埋めることではなく、普天間基地のグアムへの移転を促し、沖縄の基地を減らすことだろう。


ここまで書いたら、2017年5月7日に投稿した記事「朝日新聞の記事に想う・・・基地すべて押しつけおかばおのが身は安泰なるか日本(やまと)の国は(中村文子)」が思い出された。朝日新聞の記事に触発されて書いたその記事は、次のような文章で終わっている。


・・・・・・・・辺野古をめぐっては、本土なら起こりえないことが相次いで起きているとして、沖縄県知事翁長氏の「国防のためだったら十和田湖や松島湾、琵琶湖を埋め立てるのか」なる言葉が紹介され、その言葉には、中村さんが唇をかんだ「くやしさ」と地続きの怒りが透けているとしている。安倍政権の強権ぶりが際だっているにしろ、その高圧姿勢を支えているのは、結局のところは自民党に多数の議席を与え、安倍内閣を支持している国民である。沖縄に犠牲を強いるつもりはなくても、「沖縄をあっちの方」と見る意識を持つ「本土の人」に、復興相の罪を責めて石を投げる資格があるのだろうか、と筆者は問いかけている。 
 中村文子さんは熱心な歌詠みでもあったという。詠まれた歌の中から次の一首が紹介されている。「基地すべて押しつけおかばおのが身は安泰なるか日本(やまと)の国は(中村文子)」


民主党政権によって一時中断されていた八ッ場ダムが、この春に完成するという。5000億円をかけたこのダムに、その費用に見合うだけの価値があるのだろうか。「その恩恵を蒙ったのは、業者とそれに関わる自民党議員や一部の官僚だけだった」ということにならなければよいのだが。


この国で大型の公共事業が始められると、それが無駄だとわかっても止められない。唯一の例外は、中海干拓事業が中止されたことだろう。中断したとはいえ、無駄に捨てた金額は1000億円に及んだようである。中海は工事の後遺症として水質が悪化し、特産品の赤貝が育たなくなった。埋められた部分が水の循環に影響を及ぼし、水質や湖底の状況が変化したためだという。無駄な出費をしただけでなく、後世にまで損失をもたらす工事だったことになる。


利権がらみの自民党政治は、これまでに膨大な税金を無駄にしてきた。日本は先進国と自負しているのだが、国民の多くは国による無駄遣いに目を向けていないらしく、自民党による身勝手な政治を続けさせている。税金が真に有効に遣われ、国民が喜んで納税するような日がくるのだろうか。

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アジサイが緑の葉をつけている正月 [雑感]

温暖化による結果であろうか、近年は蝶やトンボに蜂や蝉など、昆虫が急速に少なくなったが、植物の世界にも明らかな影響が現れている。近年は落葉の時期が遅くなっているが、我が家の庭のアジサイは、ついに緑の葉をつけたままに年を越すことになった。とはいえ、さすがに葉の多くは黄ばんでいるが、1割ほどの葉は鮮やかな緑色を保っている。


野菜が不足する真夏のために、我が家では庭でバイアムを育てている。夏ほうれん草あるいはジャワほうれん草なる別名をもつのだから、暖かい地方が原産の植物と思われるのだが、庭の隅に残しておいた数本は、いまだに緑の葉をつけている。高さ1mあまりの茎や枝には、収穫可能な葉(バイアムは葉をちぎり取って収穫する)が残っている。


先ごろ読んだ新聞記事によれば、高温障害による米の収量減少が危惧されているという。緑の葉をつけたままに越年したアジサイは、その危惧が現実になりそうだと思わせる。その一方で、「地球は温暖化していない」と主張する学者や政治家がいる。そのような学者のひとりである中部大学教授武田邦彦氏は、その根拠を幾つもあげているのだが、素人の私にも首を傾げたくなるところがある。「温暖化によって南極の氷が減るどころか、むしろ増えている」ことも論拠のひとにしているのだが、温暖化によって海水温が上昇すれば大気中の水分が増え、南極に降る雪も増えるのだから、温暖化を否定する根拠にはならないのではなかろうか。


海水温の上昇により、サンゴが減少しているという。上昇した海水温が台風の数と強度を増しているという。昆虫が減り、落葉時期が遅くなり、桜の開花時期は早くなる傾向にある。近年は豪雨によろ災害も増えている。温暖化論争がどうであれ、人間が地球の環境に影響を及ぼしていることは事実なのだから、環境汚染対策が声高に語られるような社会でありたいものである。


蜂は少なくなったけれども、昨年もゴーヤは多くの実をつけた。ここ数年ほど作り続けているナガイモだが、昨年はキイロスズメガがごくわづかしか発生しなかったせいか、大きな芋に育った。温暖化で昆虫が弱ったためであるなら、素直には喜べないのだが。

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車の燃費改善案 [車]

厳寒季になってもデミオの燃費はさほどに悪くなっていない。チョイ乗りが多いにもかかわらず、12Km/L程度をたもっている。外気温8℃の状況でも、二人乗りで20Km程度の距離を走ると、17Km/L程度までのびる。


燃費の良いデミオとはいえ、3Km程度のチョイ乗りを繰り返していると、8Km/Lまで低下する。世間にはそのような使い方をする人も多いのだから、メーカーにはさらなる努力を求めたい。


現在用いられているエンジンのほとんどは水冷式である。これを空冷式にしたなら、チョイ乗りでの燃費が改善されるのではなかろうか。たとえば、水平対向4気筒方式にして、各気筒を冷却フィンを介して連結すれば、空冷式であっても冷却むらを防げそうに思える。


空冷式の欠点(冷却むらなど)を解決できないのであれば、温度が上昇するまで冷却水の循環量をしぼる水冷式にするなど、幾つかの方策がありそうに思えるのだが、果たしてどうであろうか。


私は電気に関わる分野の技術者であり、エンジンについては全くの素人なのだが、内燃機関に興味を抱き、関連書物に目を通したことがある。現在の自動車エンジンは、勝れたものであっても熱効率は40%程度とのこと。勝れているとされるそのエンジンも、冷えた状態では低い熱効率で動くことになる。


チョイ乗りを繰り返す車の燃費が16Km/L程度になれば、地球規模での省エネ効果は膨大なものとなる。安価な燃料電池自動車が開発できればより好ましいのだが、それが実現されるのは、どうやらかなり先のことらしい。チョイ乗りでの燃費を改善した車は、それまでのつなぎとして、充分に存在価値があるはずである。エンジンの改良に執念を燃やしている技術者たちに、さらなる高みを目指すよう声援を送りたくなる。

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令和2年のブログ始め [人生]

このブログを読んでくださる皆様、明けましておめでとうございます


ブログを開設してから4年半になります。開始した頃は、ブログに投稿しながら小説も書くつもりでしたが、新しい小説は完成に至らず、ブログにのみ記事を書き続ける結果になりました。


4年あまりも続けておりながら、このブログに注目し、訪問してくださる方はまだ20人程度であり、記事を読んでくださる方のほとんどは、偶然に検索できた記事を読んでくださった方々です。


なかには8700人以上のひとに読んでもらえた記事もありますが(「スピーカーケーブルによって音質が変わる?・・・・・・オーディオの科学と迷信」2017.1.17)、1000人以上に読んでもらえた記事は数えるほどしかありません。多くのひとに訪問してもらい、読んでもらうためには、記事のタイトルに意を用いるより、ブログの質と魅力を高めなければ、と思っています。


読んでくださる方の役に立つよう願って書いておりますが、駄文と受け止められる記事もあるでしょう。それどころか、記事の内容に反発される方もおられることでしょう(「政治および社会」に関わる記事など)。そうであろうと、心をこめて投稿し続けますので、本年も宜しくお願いします。

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