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アベノミクスの失敗と参院選挙 [政治および社会]

3本の矢を掲げてスタートしたアベノミクスだが、どう考えても失敗に終わったとしか思えない。超低金利政策・円安政策により、株と輸出で儲けるもの達は得をしたであろうが、その間の長期衰退で国民の多くは苦労している。経済に疎い私のことゆえ、勘違いに基づく判断かもしれないのだが、ネットの世界を眺めて見たら、「アベノミクスは完全に失敗した」とする記事がいくらでも見つかる。
                                                                                                                                                
アベノミクスがスタートしたころ、それをアホノミクスと揶揄した経済学者がいて、私はその主張に興味を惹かれた。9年前の東洋経済オンラインに、「アホノミクスが5つの悲劇を引き起こす!」なる記事がある。その記事には「浜矩子がアベノミクスに反対する理由」なる副題がつけられている。
                                                                                                                                                 
その記事は次のように書きだされている。
                                                                                                                                                 
  アベノミクスによる株高・円安は勢いを増し、景気回復に対する期待が高まっている。しかし、同志社大学大学院教授の浜矩子氏は、この政策に対して、反対の態度を明確にしている。
  浜氏はアベノミクスを時代に合わない「アホノミクス」とバッサリ。私たち読者が、現在の「好景気」の裏に潜む「罠」について知らぬまま、手放しでこの経済政策を祭り上げることに、強い危機感を示す。
                                                                                                                                                
その記事にはこのような文章がある。<第1の悲劇は「デフレ下のバブル経済化」です。・・・・・・結局のところ、この政策で恩恵を受ける個人は、差し当たり株や不動産を持っている人つまり、ごくごく一部の富裕層だけということになります。
                                                                                                                                                 
記事の全文を読んではいないのだが、上記の太字の文章に私は賛同する。安倍政権のもとで格差社会が拡大し、貧困家庭問題・非正規労働者の待遇・所得格差の拡大・社会に満ちる停滞感など、アベノミクスの失敗を思わせる事態がすこぶる多い。9年前の浜教授の指摘は妥当なものだったと思える。
                                                                                                                                                 
安倍元首相は、失業率の低下もアベノミクスの成果だと主張するのだが、高齢化社会による人手不足と、非正規労働者の比率増加を考慮すれば、失業率の低下がアベノミクスの成果とは思えない。
                                                                                                                                                 
新聞報道によれば、今回の参院選でも自民党が有利な状況にあるという。失敗したはずのアベノミクスの成果を誇示する自民党。停滞感に満ちた国に導いた政党を、多くの国民が支持し続ける国。幸福度ランキングが先進国中で最低の状況が、当分先まで続きそうである。


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参院選はいやな勝負か? [政治および社会]

6月22日の朝日新聞夕刊のマンガ「地球防衛家のヒトビト」を紹介したくなった。


マンガの吹き出しに記された言葉は次のようになっている。


1コマ 「いよいよ選挙だな」

    「この危機になんとも大切な選挙だね」

2コマ 「ここ何十年も失敗をくりかえしてる与党と・・・・・・」

3コマ 「政権をまかせてもなんか失敗しそうな野党の・・・・・・」

4コマ 「いわば実績(失敗の)対可能性(失敗の)の勝負!」

    「いやな勝負だね・・・・・・」



日本を長期衰退に導きながら、未だに政権を維持し続ける自民党。政治が正道をはずれておりながらも、糾弾する声が沸きあがらない日本という国。



まともな政治が行われなかったなら、頼りなさそうであろうと野党に投票し、政権を交代させる。その繰り返しがなければ、日本の政治は良くならないはずだが、来る参院選はどんな結果になることだろう。参院選は政権選択選挙ではなく、そして「いやな勝負」とも言える選挙だが、投票率が高くなり、与党にお灸をすえる結果となるよう願っている。




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高齢者の平均余命を知って思うこと [人生]

日本人の男の平均年齢は82歳だから、私はすでにそれを超えている。日本人の男の平均余命は、84歳の場合およそ7年だという。統計的な数値が個人に当てはまるわけではないが、7年という数値を提示されてみると、その年数を思わざるを得ない。


ここまで書いて、以前に投稿した記事「キリスト教会で聴いた牧師の言葉(2017.8.4)」を思い出した。その記事をここに再掲することにした。                                                

 

「キリスト教会で聴いた牧師の言葉(2017.8.4)」の再掲


50年以上も昔のある日、知人に請われて教会を訪ねたことがあります。クリスチャンのその知人は、私を入信させたいと思って誘ったのですが、私はクリスチャンになる気はまったくありませんでした。入信する気はなかったのですが、多少の好奇心にも押されて、請われるままに教会に入ってみました。


すでに10人あまりの信者が集まっており、まもなく牧師の説教が始まりました。興味深くそれを聴いたのですが、どんな内容であったのか、今では全く思い出せません。とはいえ、この言葉だけは記憶に残っています。「私がキリスト教徒になったのは、死ぬことがこわかったからです。若い頃から死が恐ろしく、その恐怖から逃れたくて、救いを求めていろいろやってみたのですが、その結果、キリスト教によって救われました」


先に投稿した記事「肺結核がガンより恐ろしかった時代」に書いたように、私も人並みに生に執着する気持ちがあったとはいえ、日常的には自分の寿命を気にすることはありませんでした。そんな私には、その牧師の言葉が異様なものに聞こえましたが、一方では、その牧師の気持ちがわかるような気もしました。

                                                   

それから10年ほどが経った頃、私はたて続けに不思議な体験をしました。このブログに書いた「予知夢・・・・・・体験者にとっては真実なれども未体験者には絵空事(2015.6.28)」と「予知夢の実在を実証する方法(2016.3.14)」は、わたしが体験した予知夢に関する記事です。まだ書いてはいませんが、霊に関わる体験もしています。そのような経緯もあって、私は霊に関わる多くの書物に目を通しただけでなく、東京の日本心霊科学協会を訪ねました。日本心霊科学協会を訪ねた日のことは、投稿記事「浅田次郎の小説「降霊会の夜」を読んで(2015.10.8)」と「霊魂が実在していることを知る簡単な方法がある(2015.12.7)」に書いた通りです。


私はいま、自信をもって言うことができます。「霊魂はたしかに実在しており、それを実証することができる」


霊魂の実在を知ることにより、死に対する恐れが軽減されるはずです。死んでも霊魂が存続し、自己の意識が継続するとわかれば、現世での生き方にも影響が現れるでしょう。霊魂の実在が広く認識されるようになれば、犯罪が少なくなる可能性があります。霊魂の実在を識ることには、そのように多くの価値があるので、それを識っている者たちは、そのことを少しでも多くの人に報せたがるのですが、残念ながら耳を傾けようとする人は少ないどころか、頭から否定する人が多いのが実情です。「科学的にありえない」として否定するわけですが、なぜ科学的にありえないのか、それを説明できる人はいません。科学技術の世界に身をおいた者のひとりとして、私はそのように思います。安易に否定することなく、「霊魂が実在していることを知る簡単な方法がある(2015.12.7)」に書いたやり方で、積極的に調べてみてほしい、と私は願っています。


前記の牧師にいま会えたなら、霊魂が実在することを教えてあげたいと思いますが、そのひとはすでに霊界に移って、霊魂が実在することを自ら納得しておられるはずです。(再掲おわり)



どんなに長く生きたにしても、20年以内に私は寿命を迎えることになろう。そうであろうと、くだんの牧師とは異なり、さほどに恐怖感はない。若い頃からさほどに死を意識していなかったが、霊魂の実在を知ってからは、意識の持ちようが変わっている。霊魂の実在を教えてくださった誰かに、私は深く感謝している。




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床ワックスの艶が失われる原因 [雑感]

私の家もそうだが、最近の住宅では和室が減り、フローリング床が多くなっている。
 
家を建てた当初は、フローリングにワックスをかけたものだが、最近は放置したままである。当然ながら、ワックスの光沢はとうに失われている。そうであろうと、部屋の入り口や階段など、足を引きずらずに歩く部分のワックスはいまだに遺っている。
                                                   
足を引きずらない場所のワックスが遺っているということは、ワックスの光沢が失われるのは、足を引きずることが原因ということである。
                                                   
足を引きずって歩いたにしても、硬いワックスがスリッパの底によって削られるとは思えない。それでも削られるのは、おそらく砂埃によるものであろう。砂埃の成分のかなりは、ワックスよりはるかに硬い石英だから、砂埃の上をスリッパで歩けば、ワックスは削られることになる。
                                                   
私の家のまわりには、砂埃の発生源はいくらでもあり、アルミサッシ窓のレールには、風に飛ばされた砂埃がたまっている。窓を開けていれば屋内にも入り込んでいるはず。どうやらやはり、私の家に関しては、砂埃がワックスの艶を失わせているらしい。艶が失われるだけならかまわないのだが、さて、どうしたものか。
 


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日本心霊科学協会について [人生]

本ブログでは幾度も、霊魂の実在に関わる記事を書いている(付記にその幾つかを列記)。その中でしばしば「日本心霊科学協会」に触れている。            
                                                   
2015年10月8日に投稿した記事「浅田次郎の小説『降霊会の夜』を読んで」に、私が初めて日本心霊科学協会を訪ねた日のことが記されている。その当時、日本心霊科学協会の理事長は早稲田大学名誉教授の板谷樹氏だった。理事や役員には、大学教員や医師が名を連ねており、心霊にかかわる団体としては異例な組織であった。
                                                   
日本心霊科学協会のホームページには、理事長以下の役員が表示されている(過去の年度をも含めて)。現在の役員はつぎのように表示されている。
                                                   
理 事 長    瀬尾 育弐  駒澤大学名誉教授(R2.10.18より2年)
常務理事   半田 栄一  大学講師・ホロス文化研究所・ホロスアカデミ
                                     ー主宰  
         対本 宗訓  医師(僧医)                            
理  事   伊藤 憲雄  仙台高等専門学校名誉教授
       三浦 清宏  作家・芥川賞作家
       三上 耕司  本協会福井研究会代表
       綿貫 理明  専修大学名誉教授
                                                   
常務理事の対本宗訓氏は、京都大学を卒業後に僧侶として修行し、その後に医学部で学んで医師になったという。現在は病院の理事長・院長を務めている。(ウィキペディ(Wikipedia)による)
                                                    10年前の役員にも以下のように大学関係者が多い。  
                                                   
理 事 長  大谷 宗司  防衛大学校名誉教授、日本超心理学会会長
常務理事   石井 享子  法政大学教授
       小川 修   弁護士
理  事   井口 博貴  ロンドン大学 教育大学院国際大使
       岡村 庄造  石仏協会理事、本協会高知研究会代表
       佐々木 宏幹 駒澤大学名誉教授
       綿貫 理明  専修大学教授
                                                      
日本心霊科学協会のホームページには、「本協会は昭和21年(1946)に「心霊現象の科学的研究を行い、その成果を人類の福祉に貢献すること」を目的に創立され、その後、昭和24年に「財団法人」、平成24年には「公益財団法人」の認可を受けています。」とある。その目指すところ(目的)として、つぎの3項目が記されている。
                                                   
◎心霊的といわれる諸現象について科学的、哲学的に探究します。
◎日本に古来より根づいている心霊文化についての正しい知識とスピリチ
   ュアリズム思想・哲学を普及します。
◎精神統一により、人格を高め、豊かな人間性を育み、その成果を日々の
   生活の中で実践的に活かしていく道を目指します。
                                                   
ホームページには、協会の主な活動としてつぎの7項目が記されている。
                                                   
1)心霊的といわれる諸現象についての科学的研究、及び、哲学的研究
2)心霊的といわれる諸現象に関して知り得た知識の公開
3)スピリチュアリズム思想・哲学の普及
4)機関誌『心霊研究』の発行、図書、冊子等の刊行
5)講演会/講座/研究発表会等の開催
6)精神統一研修会の開催
7)心霊医療研究会
                                                   
日本心霊科学協会は、「科学的な研究を通して霊魂が実在することを明らかにし、その成果によって人類の福祉に貢献すること」を目的に創立されたという。現代人の多くは、「死んだらその先は無く、全くの無である」と思っていそうだが、その人が霊魂の実在を知ったなら、人生観が大きく変わり、生き方も変わる可能性がある。日本心霊科学協会の目的が達成されて、多くの人が霊に関わる正しい知識を持つに至ってほしい。霊魂の実在を知っている私はそう願っている。
                                          
付記 霊魂の実在について投稿した記事の例                                          


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感電事故からの生還・・・・・・教師やコーチの思い込みが招く事故 [雑感]

小学校6年生の頃、感電事故によって危うく命を失いそうになったことがある。2015年7月6日の投稿記事「電気は怖い・・・・・・感電事故の体験」は、その体験を書いたものである。「教師やコーチの思い込みが、ときには人の命を奪う可能性がある」例として、5年前に投稿したその記事を再掲することにした。

                                                   


「電気は怖い・・・・・・感電事故の体験(2015.7.6)」を再掲


 私はかつて感電事故を起こして、危ういところで助かったという経験がある。小学校6年生の頃であった。何のためであったのか、私は屋根の上にいて、目の前の2本の電線をくぐろうとしていた。左の手で電線を握り、続いて右手で電線に触れたとたんに強い電撃に襲われ、身体を自由に動かすことができなくなった。電柱と家を結ぶ電線は、被覆がすっかり劣化しており、芯線が露出していたのである。
 私は必死になって指を開こうとしたが、筋肉がけいれんして開くことができなかった。助けを求めて声を出そうにも、声は震えて言葉にならず、振り絞るような音を出せただけだった。
 その状態が数秒間ほど続いたであろうか、いきなり手が離れて身体が落ち、瓦の上に尻餅をついた。痛む左手を見ると、3本の指にえぐられたような傷があり、血が滲んでいた。
 左手で握っていた電線の位置が、右手側の電線よりも30cm以上も高かったため、ぶらさがった私の全体重が左手の指にかかり、開けなかった手を開かせたのだった。電線の位置がもう少し低くて身体がぶらさがらなかったなら、そして、左右の電線にかなりの高低差がなかったならば、私は助からなかったはずである。感電中の私の心臓は心室細動により、機能を完全に停止していたはずだから。
 不幸中の幸いと言える形で生還できた私は、70年に近い歳月を経たのちに、このような文章を綴ることになった。
                                                   


 その事故に遭う以前に、私はすでに感電を体験していた。
 4年生だった頃であろうか、私は理科クラブに入っていた。ある日のこと、担当教師は10名ほどの部員を宿直室につれて行き、全員に手をつなぐよう指示した。何が始まるのだろうと思っていると、その先生は電球をはずしながら、「電灯をともすための電気は100ボルトだから、感電しても危ないことはない。いい機会だから皆に感電を体験させてやる」と言い、先頭の生徒に指示して指をソケットに入れさせた。当然ながら、手をつないでいた私たち全員が、感電による異様な感覚を味わうことになった。
 理科クラブの私たちは、そのようにして感電を体験させられたわけだが、そのときの「100ボルトなら感電しても危険はない」という先生の言葉が、私の命を危機に追い込んだのだった。電線の下を通ろうとして片手で電線をにぎったとき、私はすでに感電していたのだが、100ボルトに危険はないと思い込んでいたので、もう片方の手を別の電線に伸ばしたのだった。身体に電流が流れる最も危険な状況であり、随意筋のみならず心臓もけいれんし、心臓としての機能を失うことになる。
 100ボルトどころか、たとえ十ボルトであろうと、状況によっては命を奪われることになる。電気に関わる安全教育は、小学生に対しても必要と思うが、正しい知識に基づくものでなければ、その教育は無になるだけでなく、生徒を危険にさらす可能性すらある。学校の先生が果たす役割は多々あるわけだが、恩師として慕われるのには、それなりの理由があってのこと。先生にはいつまでも、恩師であっていただきたいものである。(再掲おわり)


学校の体育の時間や運動部の部活で事故が発生するたびに、新聞やテレビで報道され、問題点が指摘されてきた。それでもなお、痛ましい事故が繰り返されている。指導者やコーチの思い込みや浅はかな考え方により、防げたはずの事故が防げなかったなら、その責を厳しく問うべきである。


私の感電事故も部活に起因したものだが、スポーツではなく理科教育に関わるものである。思い込みや浅はかな知識、あるいはゆだんによって引き起こされる事故は、教育の分野にかぎらない。私が事故を起こすとすれば、家庭内での事故(企業に勤務していた頃の先輩のひとりは、庭作業中に脚立から落ちたとのこと。私も脚立ごと倒れたことがある。)か自動車事故であろう。年齢を自覚しつつ自戒しなければと思う。



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学習塾に通わせるよりも読書の楽しみを教える方が良さそうだ [教育]

6月4日の投稿記事「人間は誰もが理系人間?」を書いたとき、以前に投稿した「子供を学習塾に通わせるより読書の楽しみを教える方がよさそうだ(2015.9.24)」を読み返してみました。その結果、それを書いたときの気持ちがよみがえり、本ブログの初期に書いたその記事を再掲したくなりました。
                                                   
子供を学習塾に通わせるより読書の楽しみを教える方がよさそうだ(再掲)
                                                   
 先日の記事「ブログを書くことは楽しい!?」の中で、小学生時代の私が作文を苦手にしていたことを書きましたが、そんな私でも本を読むことは好きでした。
 小学校4年生の秋に肝臓を患い、数週間ほど学校を休んだことがあります。病床についてまもなく、父から一冊の書物を渡されました。昨年帰省したおりに自宅に持ち帰り、今は手元にあるその書物を調べてみると、昭和3年3月に改造社から発行されたもので、「現代日本文学全集第三十三篇 少年文学集」とあります。著者15人による作品45篇が収録されており、文語調で読みにくい「小公子」や、アンデルセンの「おやゆび姫」など、幾つかの翻訳ものもあります。 
  病気から恢復するまでの数週間、私はその本を読んで過ごしましたが、これが私の読書事始めであり、読書の楽しみを知るきっかけになりました。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」や「杜子春」、鈴木三重吉による「古事記物語」などを印象深く読みましたし、長編の「小公子」を苦労しながらも読みおえました。
 この記事を書こうとして、久しぶりにその書物を開いてみたら、小さな活字で三段組に印刷されており、どのページも文字で埋め尽くされています。それだけでなく、どの作品にも漢字が異様なほどに多用されていますが、すべての漢字にふりがなが付けられています。漢字にふりがなが付いていようと、この本を読むこと以外にやれることがあったなら、小学4年生の私は眼を通そうとはしなかったに違いない。今の私にはそのように思えます。
その頃の私の家にはラジオすらなかったので、病床にあっては読書しかできない状況でした。今のようにテレビがあったなら、もっぱらテレビを見て過ごすことになり、書物を開こうとはしなかったでしょう。あるいは、父か母が適切な手をうって、読書に導いてくれたのでしょうか。いずれにしても、小学生時代に読書の味を覚えたことは、私の人生に大いに役立っているはずです。
 8月23日の投稿記事「成績劣等生から技術者までの道のり」で、鉱石ラジオや自動木琴演奏装置から始めて、ついには真空管ラジオの独学へと進んだことを書き、勉強ができないにも拘わらずそのようなことができたのは、私が偏差値教育に毒されていなかったからであろうと書きました。今も無論そのように思っているのですが、今日のブログを書いているうちに、さらに気づいたことがあります。もしかすると、書物を読み慣れていたことが、難解な参考書(注)に取り組む勇気を与えてくれたのではないか。そうだとすれば、小学校4年生で病気になったことはむしろ幸運なできごとであり、私が成績劣等生から抜け出せた要因のひとつは、病床で読んだ文学全集にあったということになります。
  典型的な理系人間と呼ばれるひとであろうと、多くの読書を通じてそこに至っているはず。どのような分野で生きてゆくにしろ、文章を読む能力はきわめて重要なものです。小学生の頃から読書に親しんでいたなら、中学校や高校で学ぶうえでそれが役立ち、ひいてはその後の人生を益することになるでしょう。もしかすると、中学生になってから塾に通わせるよりも、小学生時代から読書に親しませておく方が、はるかに好ましい結果をもたらすかも知れません。
  誤解のないようにつけ加えると、学習塾の存在価値を否定するつもりはありません。学ぶことの意義を塾で知る可能性があります。子供の個性に合わせて教える塾もあるでしょう。目標を呈示して意欲を高め、努力を促す塾もありそうです。とはいえ、学校に加えて学習塾で学ぶ生活は、子供たちには過酷に過ぎると思います。子供たちにとって望ましいのは、学校の授業で充分な学力を得ることでしょう。そのための下地を養ううえで役立つことのひとつが、小学生時代に書物に親しむことではないか。私にはそのように思えます。
 私の場合は数週間も床に臥すことになり、仕方なしに本を読み始めた感がありましたが、読書の喜びを教えてくれた父には感謝せずにはいられません。随分と待たせることになりましたが、父の歌集(9月9日投稿の記事「父の歌集」参照)をまとめることで、その恩返しをしたいと思う次第です。
                                          
 
(注) 難解な参考書
  ここで言う難解な参考書は「NHKラジオ技術教科書」です。8月23日の記事「成績劣等生から技術者までの道のり」にでてくるその書物は、中学生だった私には難解でかなりの努力を強いましたが、どうしても理解したいという気持ちが強かったため、苦労しながらも苦になることはなく、むしろ楽しみながら学ぶことができました。
  自分にとって本当に面白いもの、あるいは強く惹かれるものであれば、苦労を押しても挑戦できるのだと思います。子供にそのようなこと、あるいは書物を呈示できたなら、親としての役割の大きな部分を果たしたことになる、と言えそうな気がします。


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人間は誰もが理系人間? [教育]

私は自分を典型的な理系人間だと思っていましたが、定年後には小説を書き、今ではこうしてブログを書いております。人には理系人間的なところと文系人間的なところが共にある、ということでしょう。小学生時代に理系の事象に強く惹かれたことが、私を技術者に導き、理系人間と自認させるに至ったのだと思います。小学生時代の私がもっと文学に親しみ、電気にまさる魅力をおぼえていたなら、文学の道を歩んだ可能性があります。


私は初めて書いた小説「防風林の松」(本ブログのサイドバーにて概要を紹介)の中に、次のような文章を書きました。主人公が友人との会食中に交わす会話です。


小説「防風林の松」第1章より引用

                                                                                                                                        ・・・・・・・・僕は自分自身の体験を語った。中学一年生まではまったくの成績劣等生だったこと。オーディオに対する興味におされて始めた電気の勉強が、僕に自信をもたらす結果になったこと。

 僕の話を聞いて坂田は言った。「今の日本では、小学校や中学校で落ちこぼされたら、そこから這い上がるのに苦労するわけだが、落ちこぼされている子供の中には、お前みたいなのがたくさんいるのかも知れないぞ。先生の話をろくに聞かずに、自分が興味を持っていることだけを考え続けているような子供が。そんな子供はほんとうは普通以上に集中力があっても、勉強する気も能力もないと決めつけられるんじゃないのかな、いまのような偏差値教育の中では」

「長岡半太郎や本多光太郎も、小学校時代には勉強ができなかったそうだから、今の日本に生まれていたら、世界的な学者にはなれなかっただろうな」

「今の日本では、小学校でつまずいた子供は催眠にかかってしまって、自分には能力がないと思い込むようになると思うな。そうなると、たとえ努力をしたところで、催眠にかかっているために勉強は身につかないわけだ。お前の場合には運が良かったんだよ。オーディオ装置に興味を持ったおかげで、うまい具合に催眠から醒めることができたんだからな。電子回路を勉強したきっかけが音楽というのは、お前だけかも知れないけどな」

「詳しいんだな、教育のことに」と僕は言った。

「本を一冊読んだだけだよ。偏差値教育と詰込み教育の問題をとりあげた本を」   

 その言葉を聞いて、坂田はずいぶんレベルの高い読書家だと思った。僕が読むのはおもに科学雑誌や週刊誌で、教養のための書物はほとんど読まなかった。

 坂田はさらに続けた。「こんなことも書いてあったな。小学校の低学年では理科好きな子供が多いのに、高学年になると理科嫌いが多くなるというんだ。好奇心を満たすことより、知識を詰め込むことが重視されたり、友達と成績を競わされたりするんだからな、そんな理科がおもしろいはずがないよ」(引用終わり)


上記の文章中に、「こんなことも書いてあったな。小学校の低学年では理科好きな子供が多いのに、高学年になると理科嫌いが多くなるというんだ。好奇心を満たすことより、知識を詰め込むことが重視されたり、友達と成績を競わされたりするんだからな、そんな理科がおもしろいはずがないよ」なる文章があります。この文章は、新聞か雑誌に掲載されていた記事(偏差値教育と詰込み教育の問題を取り上げた記事でした)に触発されて書いたものです。その記事を読み、まったくその通りだと思いました。好奇心に駆られて様々な事象に興味を示す子どもには、理系人間に通じるところがありそうです。というより、人間は誰もが理系人間的な要素を持っている、と言えそうです。


小説「防風林の松」は私が初めて書いた小説です。技術者を主人公とするこの小説には、私自身の体験を少しだけ書き込んであります。中学一年生までは成績劣等生だったこと、そして、そこから抜け出すうえで、電気に対する興味(ラジオなど)が役立ったことです。偏差値教育の影響を受けずにすんだことも、私にとって幸いなことでした。そんな私の体験が役立つかもしれないと思い、本ブログの「教育」カテゴリーに、幾度も記事を投稿してきました。その幾つかをここに列挙しておきます。

・「必要は発明の母なり」に付け加える言葉(2015年8月19日)                                                   











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予知夢と霊・・・・・・実在すれども科学では説明不可なるもの [人生]

5月28日に投稿した「東日本大震災を上回る大災害が発生する時期」に関連する記事です。
                                                   
予知夢を体験している私には、予知夢という不思議なものに強い関心がある。電子技術の世界で生きた私だが、予知夢と霊に関わる体験により、精神世界に強く惹かれることになった。それは事実なのだが、私にはそれ以前から、霊的なことがらに関心を抱く傾向があった。
                                                   
典型的な理系人間を自認していた私には、科学に対する畏敬の念が強かったのだが、唯物論を受け入れることはできなかった。2018年4月14日に投稿した記事「組合活動とストライキの思い出・・・・・・労務担当者は言った『君は強者の側に立つべきだ』」の中に、私は次のような文章を書いている。
                                                   
  <・・・・・・私に対して共産党への誘いはなかったのだが、唯物論に関わる資料を渡されたことがある。そこに記されていたことで印象に残っているのは、「心とは、脳細胞で行われる化学的な作用によって生じる現象である」という言葉である。精神世界に関する知識を持つ今なら、即座にそれを論破できるのだが、その当時の私は、「脳を使って考えるのだから、心は脳に依って作られるにちがいない」と思った。そうは思ったけれども、唯物論にも共産党にも同調する気にはなれなかった。生命としての存在を物質の一形態としてとらえる考え方が、私には釈然としないものに思われた。>
                                                   
私が予知夢を見たのは、組合の中央委員を務めた数年後のことだった。霊に関わる体験はそれからさらに数年が経ったころである。それから数十年を経たいま、予知夢のことや霊に関わる記事を書いている。2019年10月13日に投稿した「命に関わる事故に幾度も遭遇しながら生きのびる人」の末尾に、霊に関わる記事を投稿する理由を書いている。その部分をここに引用したい。
                                                   
 ・・・・・・人は魂を向上すべく転生を繰り返すという。もしかすると、あの世に還るには私の魂が未熟に過ぎたため、幾度も危険な状況に陥りながらも助かってきた(助けられた)のかも知れない。グライダー事故からさらに10数年が経った頃から、私は幾度も不思議な体験をして、結果的には霊魂の実在を識ることになった。幾度も助けられながらも目覚めなかった私を目覚めさせるために、不思議な体験をさせられたのだろうか。そうだとすれば、幾度も危機から私を救い、さらには、霊魂の存在を知らしめてくださった誰かに、私は深く感謝しなければならない。
 今の私は、霊魂が実在することと、どんな人にもその人を扶け導く存在がある、ということを知っている。私は感謝の気持をこめて、霊魂の実在に関わる記事を書き続けてきた。その幾つかを付記2に列挙しておく。
                                                   
付記1 思わぬ所で知人と遭遇することに関わる記事
                                                   
付記2
霊魂の実在を識っている私は、そのことを知ってもらいたいがために、関連する記事を繰り返し投稿してきた。その幾つかをここに列挙しておく。
                                                   
 


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本ブログは歳7歳 [雑感]

本ブログは今日から8年目に入ります。6月1日を迎えるたびに、「三日坊主でありながら、よくぞここまで続けたものよ」と思います。そして思います、私が三日坊主を自認するに至った理由は何だろう、と。そう思って振り返れば、理由を幾つもあげることができます。続けることができなかったものはいずれも、強く願って始めたものではなく、やめてもさほどに困らないものです。とはいえ、「理由があって始めたことを、怠惰な感情に負けてやめた」ことになります。
                                                   
そんな私ですが、7年にわたってブログに記事を投稿し続け、これからも続けようとしています。ブログを開設しているひとの多くは、投稿する記事が読んでくださる人の役に立つよう願っているはず。むろん私もそう願って書いております。とはいえ、自己満足に終わっている記事も多いかもしれません。そうであろうと、「どこかの誰かのお役に立てるかもしれない」との気持ちが励みになって、投稿し続けてきました。
                                                   
政治に対する不満を繰り返し書きましたが、とくに読んでもらいたいと願って書いた記事は、「教育」「体と健康」「人生」の記事です。私は霊魂の実在を知っているので、「人生」には霊魂に関わる記事を幾度も投稿してきました。2015年12月7日に投稿した「霊魂の実在を知る簡単な方法がある」は、現在までに1548回ほど読んでもらえました。それよりはるかに多くのひとに読んでいただきたいと願っているのですが。
                                                   
「教育」には、かつては成績劣等生だった私の体験などを書きました。「体と健康」の中にも、参考にしていただける記事があると自負しています。
                                                   
本ブログに注目してくださる方は、8年目に入った今なお30人ほどです(14000回以上も読んでもらえた記事もありますが)。投稿してまもなく読んでくださるその方々から、私は無言の励ましを受けてきました。ありがたく感謝しております。これからもどうか宜しくお願い致します。


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