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日本国憲法の基になった日本人作成になる試案 [政治および社会]

改憲論者は主張する「現憲法はアメリカに押しつけられたものゆえ、日本人の手による憲法に改正すべきである」と。
                                                   
現憲法はGHQから提示された案を基に作成されたのだが、GHQ作成になる原案(マッカーサー案)は、日本人による試案を参考に作成されたようである。
                                                   
敗戦4ヶ月後の昭和20年12月に、憲法研究会(東大教授や政治評論家などの民間人による研究会)が「憲法改正要綱」を公表したという。
                                                   
国会図書館の「日本国憲法の誕生」は、現憲法が成立するまでの過程をまとめたものである(「日本国憲法の誕生」で検索すれば見ることができる)。その概説の第2章に「さまざまな民間草案」なる項があり、民間で作成された幾つもの草案が紹介されているのだが、そこにはこのような文章がある。
・・・・・・政府側が秘密裏に改正草案作りを進めていたころ、民間有識者のあいだでも憲法改正草案の作成が進行し、1945年末から翌春にかけて次々と公表された。その代表例が、1945年12月26日に発表された 憲法研究会の「憲法草案要綱」であった。これは、天皇の権限を国家的儀礼のみに限定し、主権在民、生存権、男女平等など、のちの日本国憲法の根幹となる基本原則を先取りするものであった。その内容には、GHQ内部で憲法改正の予備的研究を進めていたスタッフも強い関心を寄せた。
 1946年になると、各政党ともあいついで改正草案を発表した。自由党案と進歩党案はともに、明治憲法の根本は変えずに多少の変更を加えるものであったのに対して、共産党案は天皇制の廃止と人民主権を主張し、社会党案は国民の生存権を打ちだした点に特徴があった。
                                                   
連合国軍総司令部(GHQ)で憲法草案に関わった担当者は、日本の有識者が独自に作成した憲法草案「憲法草案要綱」に強い関心を寄せたとのこと。なお、「日本国憲法の誕生」の「さまざまな民間草案」の項には、公表された草案が15件ほど掲載されている。
                                                   
たとえ草案であろうと、憲法案をゼロから作成するにはかなりの期間を要すはずだが、マッカーサー草案はわずか9日間で作成されたことが知られている。その事実が、「マッカーサー草案は日本人作成になる憲法草案要綱をもとに作成された」とする説の根拠のひとつになっているようである。「憲法草案要綱」は現憲法に比べて条項が少ないものの、現憲法に類似したところが多いのだから、「憲法草案要綱」が現憲法の基になっているとする説には説得力がある。
                                                   
Wikipediaの「憲法草案要綱」の項には、興味深い記事が記されている。Wikipediaの記事が真実とはかぎらないけれども、国会図書館の「日本国憲法の誕生」とつきあわせて考えれば、どうやらやはり、「マッカーサー案は「憲法草案要綱」をもとに作成された」と言えそうである。マッカーサーから提示されたその案を参考に、日本の担当者たちは長い時間をかけて、いまの平和憲法を作りあげた。そうだとすれば、「現憲法はアメリカに押しつけられたものではない」と言ってよさそうである。私にはそう思えるのだが、憲法学者と呼ばれる人たちの見解はどうであろうか。

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非武装の平和国家を想定していた石橋湛山 [政治および社会]

「かつての自民党には石橋湛山がいた(2022.8.6)」と  「「靖国神社廃止の議」の真意(2022.8.10)」に関連する記事です。
                                                                                                                                             
石橋湛山は、終戦直後の東洋経済新報に、「靖国神社廃止の議 難きを忍んで敢えて提言す」と題した社論を載せたのだが、その中に「我々はここで全く心を新にし、真に無武装の平和日本を実現するとともに、ひいてはその功徳を世界に及ぼすの大悲願を立てるを要する。」なる文章がある。
                                                                                                                                              
憲法改正論者は、アメリカから押しつけられた現憲法は改正されてしかるべきと主張する。憲法改正の要となるのは9条だが、その条項は時の首相幣原喜重郎によって起案されている。その日本国憲法が公布されるより1年前に、石橋湛山が「我々はここで全く心を新にし、真に無武装の平和日本を実現するとともに、ひいてはその功徳を世界に及ぼすの大悲願を立てるを要する。」なる文章を公表している。敗戦直後の日本で、無武装の平和日本に思いを巡らせたのは、石橋湛山や幣原喜重郎に限らなかったことだろう。9条に関するかぎり、アメリカに押しつけられたものではないことになる。
                                                                                                                                                
9条に関わる議論だけでなく、現憲法の基本的なところは日本人によって構想されたものゆえ、アメリカから押しつけられたものではない、とする説がある。GHQ(連合国軍総司令部)作成になる所謂マッカーサー案は、憲法研究会作成になる「憲法改正要綱」(1945年12月26日)がもとになっているという。
                                                                                                                                                
憲法研究会と「憲法改正要綱」については、日を改めて投稿したいと思う。


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「靖国神社廃止の議」の真意 [政治および社会]

8月6日の投稿記事「かつての自民党には石橋湛山がいた」に関連する記事です。
                                                                                                                                                 
朝日新聞に掲載された政治学者原武史氏による署名記事「石橋湛山と身延山」には、石橋湛山が書いた社論「靖国神社廃止の議 難きを忍んで敢えて提言す」から、「我々はここで全く心を新にし、真に無武装の平和日本を実現するとともに、ひいてはその功徳を世界に及ぼすの大悲願を立てるを要する。それにはこの際国民に永く怨みを残すが如き記念物はたといいかに大切のものといえども、これを一掃し去ることが必要であろう」なる文章が引用されている。「国民に永く怨みを残すが如き記念物」は靖国神社をさしている。
                                                                                                                                                
身内に戦没者をもつ人たちは、崇敬するにしろ呪詛するにしろ、靖国神社に対して特別な感情を抱いているはずである。特攻隊員が遺子に遺した遺書に「お前が大きくなってから父に会いたくなったなら、靖国神社を訪ねなさい。父はそこに居るのだから」と記したものがある。戦没者と遺族をつなぐ存在として、靖国神社にはそれなりの存在意義があると言うべきだろう。その一方で、靖国神社に憎しみをもつ遺族も少なからず存在したようである。
                                                                                                                                                
石橋湛山は次男を戦死で失っていながら、靖国神社は廃止されるべきだと主張した。「靖国神社廃止の議 難きを忍んで敢えて提言す」を読んでみると、靖国神社を廃止すべき理由が幾つも記されているのだが、私が最も引きつけられたのは、社論を締めくくる数行の文章である。
                                                                                                                                               
「靖国神社廃止の議 難きを忍んで敢えて提言す」は、次のような文章で終わっている。
                                                   
首相宮殿下(終戦直後に7週間ほど首相を勤めた東久邇宮稔彦王)の説かれた如く、この戦争は国民全体の責任である。併し亦世に既に論議の存する如く、国民等しく罪ありとするも、其の中には自ずから軽重の差が無ければならぬ。少なくとも満州事変以来軍官民の指導的責任の位地に居った者は、其の内心は何うあったにしても重罪人たることを免れない。然るに其等の者が、依然政府の重要の位地を占め或は官民中に指導者顔して平然たる如き事は、仮令連合国の干渉なきも、許し難い。靖国神社の廃止は決して単に神社の廃止に終わるべきことではない。
                                                   
湛山が社論で最も主張したかったのは、「少なくとも満州事変以来軍官民の指導的責任の位地に居った者は、其の内心は何うあったにしても重罪人たることを免れない。然るに其等の者が、依然政府の重要の位地を占め或は官民中に指導者顔して平然たる如き事は、仮令連合国の干渉なきも、許し難い。」ということであろう。湛山と同じ思いを抱く人も多かったはずだが、この国は「重罪人たち」を罰することがなく、連合国によって、一部の者たちが戦犯として処罰されるにまかせた。責任を問われるべき者たちの多くは処罰されることなく、戦後の日本で羽をのばした。「重罪人たち」の罪をあいまいなものにしたのは、東久邇内閣が発した「一億総懺悔」の声明に影響されたためだったのか、あるいは、断罪することに後ろめたさがあったためであろうか。全体主義国家であって言論の自由もなかった戦前の日本で、石橋湛山は身の危険を顧みず、軍部や政府の非を責めたのだが、国民の多くは軍部や政府の有り様を熱狂的に支持していたのだから。
                                                   
アメリカではトランプを強く支持する国民が少なくはないという。この国では堕落した自民党が支持され続けている。アメリカではときおり政権交代があるからまだしも、この国では、多くの不祥事をかかえた自民党政権が続いてゆく。いつまで待てばよいのだろうか、まともな野党が育つのを。それとも、未熟であろうと野党に政権を移して、政権交代による政治の向上を促すべきか。政権がときおり交代するようになったなら、この国の政治もまともなものになるだろう。

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かつての自民党には石橋湛山がいた [政治および社会]

石橋湛山という尊敬すべき政治家がいたのだが、その名前を記憶している人は少ないだろう。発病したことにより、首相に就任してから65日で退任した政治家である。没後50年にもなるその石橋湛山に関わる記事が、8月6日の朝日新聞に掲載されている。政治学者原武史氏による署名記事「石橋湛山と身延山」である。
                                                                                                                                                
その記事によれば、戦後すぐの昭和20年9月下旬、身延山を訪れた石橋湛山は、旅館の一室で、「東洋経済新報」の社論の原稿を書いたという。その社論は10月13日の東洋経済新報に、「靖国神社廃止の議 難きを忍んで敢えて提言す」と題して掲載されたという。原武史氏はその社論を引用し、次のように書いている。
                                                                                                                                                
<「我々はここで全く心を新にし、真に無武装の平和日本を実現するとともに、ひいてはその功徳を世界に及ぼすの大悲願を立てるを要する。それにはこの際国民に永く怨みを残すが如き記念物はたといいかに大切のものといえども、これを一掃し去ることが必要であろう
 敗戦から間もないこの時期に、石橋は靖国神社を「国民に永く怨みを残すが如き記念物」と断罪したのだ。「功徳」や「悲願」といった仏教用語に、身延山という土地の磁力がうかがえる。

                                                                                                                                                
ウィキペディア(Wikipedia)での「石橋湛山」は次のように書き出されている。
                                                                                                                                                
 石橋 湛山(いしばし たんざん、1884年〈明治17年〉9月25日 - 1973年〈昭和48年〉4月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家、教育者(立正大学学長)。階級は陸軍少尉(陸軍在籍時)。位階は従二位。勲等は勲一等。大蔵大臣(第50代)、通商産業大臣(第12・13・14代)、内閣総理大臣(第55代)、郵政大臣(第9代)などを歴任した。内閣総理大臣在任期間は65日であり、日本国憲法下では羽田孜に次いで2番目に短く、日本の憲政史上でも4番目の短さである。早稲田大学から法学の名誉博士(Doctor of Laws)を贈られた。
 戦前は『東洋経済新報』により、一貫して日本の植民地政策を批判して加工貿易立国論を唱え、戦後は「日中米ソ平和同盟」を主張して政界で活躍した。保守合同後初めて本格的に実施された自民党総裁選挙を制して総理総裁となったが、在任2ヵ月弱で発病し、退陣した。退陣後は中華人民共和国との国交正常化に力を尽くした。
 実父は身延山久遠寺第81世法主杉田日布である。その関係で、立正大学学長に就任した。

                                                                                                                                                
自民党草創期に重要な役割を果たした石橋湛山だが、今の自民党政治家たちとは異質であり、まともな政治家である。アメリカ追従を主張する岸信介(安倍元首相の祖父)に対して、石橋湛山は対米自主外交を目指したため、アメリカに嫌われたというが、石橋政権が数年ほど続いていたら、その後の日本はもっとましな国になったのではと思う。
                                                                                                                                                 
言論の自由が失われた戦前の日本で、湛山は植民地の放棄を主張し、軍国主義を批判した。石橋湛山が今の政界に居たならば、自民党ではなく立憲民主党か社会民主党に移って、政道ををはずれた自民党を責めたてることだろう。


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戦争を憎む感情を伝える憲法 [政治および社会]

 7月9日に投稿した「『きけわだつみの声像』が伝えること」は、このような文章で終わっている。<憲法改正論者は言う「現憲法はアメリカに押しつけられたものである」と。憲法改正の核心は9条だが、その条項を発想して盛り込んだのは日本(幣原喜重郎内閣)だった。戦後間もないその頃、戦後の政治を担うことになった政治家たちは、あの戦争を悔い、戦争を憎む感情を強く抱いていたはずである。時代の推移に伴い、必要であれば憲法も改正されてしかるべきだが、戦争を憎む憲法であり続けてほしいものである。>
                                                   
「時代の推移に伴い、必要であれば憲法も改正されてしかるべきだが、戦争を憎む憲法であり続けてほしいものである。」なる文章を、幾度も本ブログに書いてきたのだが、それよりかなり以前に、小説「造花の香り」(本ブログのサイドバーにて概要を紹介)の中で書いている。
                                                   
「造花の香り」の序章より引用
                                                   
「そんな俺たちは、心の底から戦争を憎んでいるわけだが、将来の日本人どころか、今の若い連中にとっても、あの戦争は歴史上のできごとなんだ。ずいぶん遅くなったが、俺たちがまだ生きているうちに」と忠之は言った。「良太が願った大きな墓標を作らなくちゃな。将来の日本人がいつまでも、反戦と平和を願い続けるうえでの象徴になるわけだから」
「それを眼にするだけで、日本があんな戦争をしたことを思い起こさせますからね。それに」と千鶴が言った。「二度と戦争をしてはいけないという私たちの気持ちを、将来の日本人に伝えてくれますからね。そのように願って作るんですもの」
「いまの憲法には、俺たちのそんな気持ちがこめられていると思うが、憲法がいつか改正されるようなことがあっても、戦争を憎む気持が伝わるようなものにしてほしいよな」
「いつまでも伝えたいわね、戦争を禁止する憲法が公布されたときに感じた、私たちのあの気持を。戦争というものが無くなるようにと祈った、私たちのあの気持を」(引用おわり)
                                                   
「造花の香り」は戦時中の青年たちに関わる物語だが、序章は戦後60年の平成時代に、そして終章は戦後6年に設定されており、どちらにも、上記のごとき憲法に触れる文章がある。
                                                   
引用した文章中の「大きな墓標」は、2020年8月15日に投稿した記事「全国戦没者追悼式に思う」で主張した記念碑(祈念碑)である。
                                                   
安倍元首相は悲願とした憲法改正を果たせなかったが、拙速に改正を押し進めなくて良かったと思う。必要であれば憲法も改正されてしかるべきと思うが、その憲法は、「日本国に戦争を禁じるとともに、その憲法を有する日本に戦争を仕掛けることを、いかなる国に対してもためらわせる憲法」であってほしいものである。そのような憲法を持つ日本を侵略したなら、その国は世界から孤立し、危うい立場に置かれる。そのような憲法であってほしいものである。


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若い世代に読んでもらいたい「きけわだつみのこえ」 [政治および社会]

「きけわだつみのこえ」が出版されたのは、今から75年前の昭和24年(1949年)10月である。戦後間もない頃であり、戦争を憎む感情が強かった時代である。
                                          
私が所持しているのは、昭和34年(1959年)発行のカッパブックス版だが、あとがきによれば、内容は初版とほぼ同等のものらしい。その書物の巻頭に記されているのは、「なげけるか いかれるか はたもだせるか きけ はてしなき わだつみのこえ」なる歌である。Wikipediaの「きけわだつみのこえ」には、この歌に関わる次のような文章がある。
                                                   
学徒兵の遺稿を出版する際に、全国から書名を公募し、応募のあった約2千通の中から京都府在住の藤谷多喜雄のものが採用された。藤谷のそもそもの応募作は「はてしなきわだつみ」であったが、それに添えて応募用紙に「なげけるか いかれるか はたもだせるか きけ はてしなきわだつみのこえ」という短歌が添付されていた。なお、この詩は同書の巻頭に記載されている。(Wikipediaより)
                                                   
昭和20年の4月から8月にかけて、多くの特攻隊が沖縄に向けて出撃しているが、その主力となったのは、学業半ばに徴兵された学徒兵だった。彼ら学徒兵が遺した書簡や日記が、戦後に遺稿集として出版されているが、「きけわだつみのこえ」は、数ある遺稿集の先駆けとして出版されたものである。
                                                   
「きけわだつみのこえ」を久しぶりに開いて、掲載されている遺稿の幾つかを読み返し、まえがきとあとがきに眼を通した。そのあとがきによれば、「きけわだつみのこえ」は戦後の若い世代の聖書となっただけでなく、国境を越えて、英・独・仏・エスペラント・朝鮮など、諸国語に翻訳出版されたという。
                                                   
あとがきにはこのような文章が記されている。
                                                   
<本年(昭和34年)はまさに本書初版以来十年目の秋である。その間の戦後十年の歳月は、日本の民主化と平和運動、学生青年運動、あるいは戦後思想史の光栄と苦渋とにみちた波乱激動きわまりない流れであるが、しかも今日、戦争の危機は依然としてなくなってはいない。そして、この危機のなくならぬかぎり、本書の生命は、いつかな消えることなく、「わだつみのこえ」は呼びかけをやめず、つねに不死鳥のごとく新たによみがえらずにはいない。>
                                                   
あの戦争から80年に近い歳月を経たいまでは、「きけわだつみのこえ」なる言葉を耳にしても、それが何を意味するのかわからない人が多いと思われる。そうであろうと、「きけわだつみのこえ」は版を重ねて、最新刊は1997年に岩波書店から出版されており、ほとんどの図書館で、「きけわだつみのこえ 第2集」とともに蔵書になっている。将来の日本が戦争を起こさず、戦争に巻き込まれず、平和国家であり続けるうえで、「きけわだつみのこえ」などの遺稿集は大きな力になり得るだろう。将来にわたって戦争を防ぐために、戦争を憎む感情が社会に(他国をも含めて)行き渡るよう願っている。
                                                   
付記(7月6日)
「きけわだつみのこえ」が出版される2年前(昭和22年・1947年)に、東京大学戦没学徒兵の手記集「はるかなる山河に」が出版されている。東京大学協同組合出版部により編集出版されたという。


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アベノミクスの失敗と参院選挙 [政治および社会]

3本の矢を掲げてスタートしたアベノミクスだが、どう考えても失敗に終わったとしか思えない。超低金利政策・円安政策により、株と輸出で儲けるもの達は得をしたであろうが、その間の長期衰退で国民の多くは苦労している。経済に疎い私のことゆえ、勘違いに基づく判断かもしれないのだが、ネットの世界を眺めて見たら、「アベノミクスは完全に失敗した」とする記事がいくらでも見つかる。
                                                                                                                                                
アベノミクスがスタートしたころ、それをアホノミクスと揶揄した経済学者がいて、私はその主張に興味を惹かれた。9年前の東洋経済オンラインに、「アホノミクスが5つの悲劇を引き起こす!」なる記事がある。その記事には「浜矩子がアベノミクスに反対する理由」なる副題がつけられている。
                                                                                                                                                 
その記事は次のように書きだされている。
                                                                                                                                                 
  アベノミクスによる株高・円安は勢いを増し、景気回復に対する期待が高まっている。しかし、同志社大学大学院教授の浜矩子氏は、この政策に対して、反対の態度を明確にしている。
  浜氏はアベノミクスを時代に合わない「アホノミクス」とバッサリ。私たち読者が、現在の「好景気」の裏に潜む「罠」について知らぬまま、手放しでこの経済政策を祭り上げることに、強い危機感を示す。
                                                                                                                                                
その記事にはこのような文章がある。<第1の悲劇は「デフレ下のバブル経済化」です。・・・・・・結局のところ、この政策で恩恵を受ける個人は、差し当たり株や不動産を持っている人つまり、ごくごく一部の富裕層だけということになります。
                                                                                                                                                 
記事の全文を読んではいないのだが、上記の太字の文章に私は賛同する。安倍政権のもとで格差社会が拡大し、貧困家庭問題・非正規労働者の待遇・所得格差の拡大・社会に満ちる停滞感など、アベノミクスの失敗を思わせる事態がすこぶる多い。9年前の浜教授の指摘は妥当なものだったと思える。
                                                                                                                                                 
安倍元首相は、失業率の低下もアベノミクスの成果だと主張するのだが、高齢化社会による人手不足と、非正規労働者の比率増加を考慮すれば、失業率の低下がアベノミクスの成果とは思えない。
                                                                                                                                                 
新聞報道によれば、今回の参院選でも自民党が有利な状況にあるという。失敗したはずのアベノミクスの成果を誇示する自民党。停滞感に満ちた国に導いた政党を、多くの国民が支持し続ける国。幸福度ランキングが先進国中で最低の状況が、当分先まで続きそうである。


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参院選はいやな勝負か? [政治および社会]

6月22日の朝日新聞夕刊のマンガ「地球防衛家のヒトビト」を紹介したくなった。


マンガの吹き出しに記された言葉は次のようになっている。


1コマ 「いよいよ選挙だな」

    「この危機になんとも大切な選挙だね」

2コマ 「ここ何十年も失敗をくりかえしてる与党と・・・・・・」

3コマ 「政権をまかせてもなんか失敗しそうな野党の・・・・・・」

4コマ 「いわば実績(失敗の)対可能性(失敗の)の勝負!」

    「いやな勝負だね・・・・・・」



日本を長期衰退に導きながら、未だに政権を維持し続ける自民党。政治が正道をはずれておりながらも、糾弾する声が沸きあがらない日本という国。



まともな政治が行われなかったなら、頼りなさそうであろうと野党に投票し、政権を交代させる。その繰り返しがなければ、日本の政治は良くならないはずだが、来る参院選はどんな結果になることだろう。参院選は政権選択選挙ではなく、そして「いやな勝負」とも言える選挙だが、投票率が高くなり、与党にお灸をすえる結果となるよう願っている。




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語りつぐ戦争・・・・・・・・作家早乙女勝元氏の「声」より  [政治および社会]

先頃亡くなられた作家の早乙女勝元氏は、数十年にわたって朝日新聞の「声」に投稿し続けられた。東京大空襲を語りつぐ声である。
                                                                                                                                                 
5月21日の朝日新聞「声」には、「早乙女勝元さんを悼む」と題された特集記事として、早乙女勝元氏による5つの投稿記事が載っている。そのうちの2つをここに引用させてもらうことにした。
                                                                                                                                                 
                                                                                                                                                 
子どもに語ろう「3月10日」 (1970年3月10日掲載  早乙女氏 37歳)
 
 また3月10日がやってきた。3月10日といっても、今ではピンとこない人が多いだろう。無理もない。あれから、25年もすぎてしまったのだから。しかし、私は忘れない。
 昭和20年3月9日の夜から10日の未明にかけて、頭上すれすれにのしかかってきたB29の大群を。それは地上の業火のてりかえしをうけて、まるで翼から血のしたたるようにギラギラと深紅に輝いて見えたものだ。当時12歳の少年だった私は、焼い弾の雨の中をコマネズミのようにくぐりぬけ、火の粉をふりはらいながら、必死に逃げた。焼い弾の一発は、私の左肩をかすって電柱につきささり、一発はすぐ前で「あ、落ちてくる」とさけんで空をふりあおいだ男ののど首に火をふいてつきささった。奇跡的に命をとりとめて、夜明けをむかえたとき、町はみわたすかぎりの焼け野原。そして、ブスブスと残煙のくすぶるところに、るいるいたる死者の山・・・・・・。
 この夜、わずか2時間たらずの空襲で、東京はその4割を焼失し、約8万5千人が死に、4万人が火傷を受け、そして、ざっと100万人の人間がその住居を失ったのだ。広島の原爆で、一挙に25万人の生命が失われたことはおぼえていても、3月10日の東京大空襲による犠牲者数をこたえられる人が、どれだけいるだろう。原爆が、国際法上、人道上ゆるすことのできないアメリカ軍の残虐行為であるとするならば、3月10日の東京大空襲もその例外ではないと思う。
 あの空襲を体験した私たちは、せめて今日の一日ぐらいは「かっこいい」戦争、「いかす」戦争しか知らない子どもたちに、戦争の真実と実体を、切実にかたってきかせたい。そして、おなじ爆撃が、いまベトナムの頭上に無差別におこなわれていることも。 
                                                                                                                                                 
3・10と3・11 ともに心に刻む  (2013年3月8日掲載 早乙女氏 80歳)
                                   
 3月10日 (1945年)の東京大空襲の後、下町地区は一望の焼け野原だった。当時私は12歳だったが、学校は丸焼け、勤労動員の工場も壊滅し、焦土をさまよっては、めぼしい物を拾う日々だった。
 焼け土を掘り返す人びとの先に、難破船のような鉄筋コンクリートの学校が、ぽつぽつと。歩いていくと、近付いたり遠のいたり、荼毘の煙が地平線にたなびく光景を、忘れることができない。2年前の3・11の東日本大震災の惨状と重なるが、決定的に異なるのは、戦後すぐに登場した焼けトタン張りのバラックだった。大震災後の被災地では、いつになったら故郷の土を踏めるのか、全く見通しのない人たちが多いのに心が痛む。
 平和とは、3・11前まで、ごく平凡な日常だったのだ。それが一瞬にして非日常と化したのは、天災ではない。昨年、福島県南相馬市の被災地に立って何が収束かと呆れ、原発の再稼働・輸出の報にぞっとした。その気持ちは今も尾を引いている。
 3月10日は、一夜にして10万人もの命が奪われた「炎の夜」だが、決して忘れてはならないと思いつつ、3・11後の現在の非日常を、日常に取り戻す生き方が問われているのではないか。後に続く世代のためにも。
                                                                                                                                                 
東京大空襲も原発事故も人災である。東京大空襲の元を作ったのは、愚かな戦争を始めた日本の指導者たちだが、大災害を引き起こしたのはアメリカであり、命令を下したカーチス・ルメイである。そのカーチス・ルメイは、佐藤栄作政権によって勲一等旭日大綬章を授与されている。授賞に反対する意見をおしての授賞は、航空自衛隊育成の功績に対するものだという。早乙女勝元氏はその授賞に対して、当然ながら強く憤っている。早乙女氏にかぎらず、まともな人なら疑問を覚えるのが当然だろう。一般人の大量殺戮を目的とした東京大空襲は、原爆攻撃同様の人道に反する大罪である。
                                                                                                                                                 
早乙女勝元氏が設立に関わり、長らく館長を務めた東京大空襲・戦災資料センター。これからも維持されるよう願っている。                

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与謝野晶子とトルストイが発した反戦の声 [政治および社会]

きょう5月21日の朝日新聞「天声人語」は、次のように書き出されている。
                                                   
<戦争が始まった。海で陸で野獣のように殺し合う。安全な場所にいる者が他人をそそのかして戦わせる>。ロシアの文豪トルストイは日露戦争の開始まもない1904年6月、反戦論を英紙に寄せた。3ヶ月後、響き合うように与謝野晶子が発表した詩が「君死にたまふことなかれ」である。・・・・・・・・<旅順の城はほろぶとも、ほろびずとても、何事ぞ
・・・・・・すめらみことは、戦ひに、おほみづからは出でまさね>・・・・・・
                                                   
与謝野晶子もトルストイも、それぞれの母国ですさまじい批判を浴び、処罰を求める声があがったという。天声人語は次のように締めくくられている。
                                                   
平和への願いは、いつの世もどこの国でも変わるまい。しかしひとたび戦争が始まれば、その声はかき消される。政府が挙国一致をあおり、世論も過熱するからだ。いままさにロシアの国内で起きていることである。晶子が亡くなって今月でちょうど80年。独裁者が戦場に送り込んだ幾万人のロシア兵にも、その身を案じてやまぬ家族はいる。その声は圧殺されて、少しも聞こえてこない。
                                                   
80歳以上の高齢者のなかには、いまのロシアを戦前の日本に重ね合わせて見る人も多いのではなかろうか。ここまで書いたら、田中角栄の言葉が思い出された(安倍首相を危惧するあの世の田中角栄(2018.1.25)参照)。

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ブレーキが弱い国・・・・・・朝日新聞の記事より [政治および社会]

5月18日の朝日新聞に、「ブレーキが弱い国 戦争はいけない。臆病者で結構」なる署名記事が掲載された。筆者は編集委員の高橋純子記者である。
                                                                                                                                                 
核兵器廃絶に後ろ向きな政府に疑問を呈した後、日清戦争後の三国干渉に対応した明治時代の外相陸奥宗光に関わる次のような記事が記されている。
                                                   
 陸奥の日記「蹇蹇録(けんけんろく)」を読むと、当時の日本社会の様子が垣間見える。以下大要。
 「妥当中庸の説を唱えれば卑怯未練、愛国心がない者と見られるので声をのんで蟄息閉居するほかない」
 「国民の熱情は主観的判断のみで客観的考察を入れず、内を主として外を顧みず、進むだけで止まることを知らない」
 ロシアのウクライナ侵攻を受けて、敵基地攻撃能力を持つのだ、核共有も議論しろ、防衛費を増大するぞ、憲法9条を改正すべきだなどと、勇ましい政治家がクイズ番組よろしく「早押しボタン」を連打していてやかましい。
 核の脅威が高まっているこのときに、それこそ「唯一の戦争被爆国」としてやれること、やるべきことは多々あるはずだ。なのにただ他国の不幸に便乗してひとびとの不安をあおり、進むだけで止まることを知らぬ粗雑な議論で性急に「答え」を出そうとする政治家を、私は信用しない。
 ・・・・・・・・
 歴史を振り返っても当世を見渡しても、この国のブレーキは大変に利きが悪い。答えを急がず、歴史を参照し、異なる意見を聞きながら迷ったり悩んだりする姿勢こそがブレーキの役割を果たす。大事が起きてもその姿勢を崩さぬ人はきっと、愚鈍な臆病者とそしりを受けるのだろう。結構毛だらけ、私はそんな臆病者として生きたい。・・・・・・・・
                                                   
安倍晋三や日本維新の会の核共有論は、ロシアによるウクライナ侵攻に乗じて提起された。狭量かつ独善的であり、正道をはずれた政治を行ってきた自民党が、それにもかかわらず、長期にわたって支持され続けている。将来に禍根を遺す虞のある日本維新の会だが、得票率を伸ばしつつある。無謀な戦争に敗れた結果、いきなり民主主義国家に生まれ変わったのだが、民主主義の土台をなすべき国民に、民主主義を支えるだけの力が備わってはいないように見える。
                                                   
これまでに、朝日新聞の記事を幾度も紹介してきたのだが、そのたびに、自民党政治に対する不満を書くことになる。朝日新聞を反日的だと責める者がいるけれども、私にはむしろ愛国的な新聞に見える。かく言う私も愛国者を自認しているのだが。


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イギリスならば議員失職となった安倍元首相 [政治および社会]

4月23日の日刊ゲンダイDIGITALに、「虚偽答弁118回の安倍元首相ならとっくに政界追放!「うそ」へ厳しさ日英議会で雲泥の差」なる記事が掲載されている。その記事をここに引用させてもらう。
                                                                                                                                                
 英首相官邸で新型コロナウイルスの規制中にパーティーが繰り返されていた問題で、同国下院は21日、ジョンソン首相が議会に対して故意に「うそ」をついた疑いがある──として調査する動議を承認した。
 ジョンソン首相は2020年6月、自らの誕生日を祝うために首相官邸で開かれていたパーティーに参加。当時、新型コロナの感染防止策に伴う法律(ロックダウン法)でパーティーは禁止されていたため、英議会や国民から批判が続出。これに対し、ジョンソン首相は「官邸内での法律は守られている」などと言い、議会でも「パーティーはなかった」などと説明していた。だが、英警察は今月、ジョンソン首相らがパーティーに参加するなど、違法行為を行っていたとして罰金を科すことを決めたのだ。
 これを受け、ジョンソン首相が議会で謝罪したことから、野党労働党が、ジョンソン首相の説明が「うそ」だった疑いがあるとして、下院の特権委員会に調査を求める動議を提出していた。
 英国では、議会で閣僚が意図的に「うそ」をついた場合、辞職・解任理由になるわけだが、翻って日本の国会はどうか。
 国会で繰り返し虚偽答弁していたといえば安倍元首相だろう。「桜を見る会」前夜祭の問題だけで実に118回も虚偽答弁していた──と衆院事務局に「認定」されている。英国であれば、とっくに政界を追放されているに違いない。にもかかわらず、安倍氏はいまだに国会議員のイスにしがみつき、「核兵器を共有」「敵基地攻撃能力を保有するべき」などと言い続けているからクラクラする。安倍氏は「議論を避けるな」などと言っているが、「桜を見る会」の疑惑はもちろん、森友・加計学園問題でも徹底して「議論を避け続けてきた」張本人が何を言っているのか。
 日本の国会も英国を見習って、安倍氏を一刻も早く辞職に追い込むべきだ。
                                                                                                                                               
新聞報道によれば、ジョンソン首相の嘘に対して、イギリスの与党である保守党の一部からも、辞任を求める声が出ているという。安倍晋三だけでなく、自民党には幾人もの嘘つき議員がいるのだが、議員辞職を求める声はあがっていない。アベノミクスは失敗に終わり、国民の利益にはならなかったはずだが、安倍元首相等はその成果を誇示している。自民党の独善的かつ正道をはずれた政治が続いても、国民の間に怒りの声はあがらず、選挙の投票率は低迷し続けている。イギリスの政治にも問題は多々あろうが、見習うべきところは多そうである。


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表現の自由に関する朝日新聞の記事 [政治および社会]

3月30日の朝日新聞朝刊に、「暗闇慣れ日本 自由求め声あげる姿のまぶしさ」なる署名入りの記事が掲載されている。筆者は編集委員の高橋純子記者である。その記事の要点をここに引用する。
                                                   
 マリーナ・オフシャニコワ。このカナを舌の上で転がすと、しっかり勇気の味がする。ロシア国営テレビでニュースの生放送中「NO WAR(戦争反対)。戦争を止めて。プロパガンダを信じないで」と手書きされた紙を掲げた、あのひとの名だ。
 ・・・・・・・・
 それにつけても解せぬのは、日本で声をあげる人たちをこれまで小馬鹿にしていた人たちが、オフシャニコワさんの勇気をたたえていること。デモを嫌悪していた人たちが、ロシア国内の反戦世論の高まりに期待していること。憲法無視の無軌道な権力行使を「よし」としてきた人たちが、同じ口で異国の大統領を批判していること。・・・・・・
                                                   
上記の文章に続いて、安倍元首相の選挙演説にヤジをとばした男女が警察によって排除されたことに触れている。札幌地裁が出した判決「表現の自由を侵害したとして北海道に賠償命令」に高橋記者は思ったという、「判決に一筋の光を見るのは、いま、ここが暗闇であることの証左なんだろう」と。その記事は次の文章で終わっている。
                                                   
「絶対的権力は絶対的に腐敗する」。さあ声をあげよう。手を取り合おう。そしてみなさん、自由に向かって駆けて駆け、駆け抜けようではありませんか。
                                                  
         
今の中国やロシアのように、戦前の日本には思想や言論の自由がなかった。思想犯として刑に服した人が多かったし、警察による拷問で幾人もの人が命を奪われた。今の日本では、モリカケ問題や桜を見る会問題は未解明のままに放置され、学術会議にかかわる任命拒否問題も放置されている。安全保障関連法制やカジノ法などに、政権の独善的かつ狭量な性格が表れている。60年前の日本では、政府に抗議するデモが大々的になされていたが、今のこの国では、政権が正道からはずれていようと、選挙の投票率は低迷し、自公政権が続いている。    
                                                  
高橋記者は書いている、「絶対的権力は絶対的に腐敗する。さあ声をあげよう。手を取り合おう。そしてみなさん、自由に向かって駆けて駆け、駆け抜けようではありませんか。」と。思想や言論の自由が失われる時代が来ないよう願っているのだが、「政権が正道からはずれていようと、選挙の投票率は低迷し、自公政権が続いている」ようなこの国である。これから先の日本は、どんな国になってゆくのだろうか。


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「戦争を知らない子供たち」の国であり続けるために [政治および社会]

朝日新聞夕刊の記事「『夜と霧』枯葉一枚の意味もない言葉(2022.1.28 福島申二記者による署名記事)」が、「戦争を知らないこどもたち」という歌(北山修作詞 杉田二郎作曲)を思い出させた。1970年に発表されて、レコードが30万枚以上も売れたという歌である。
  
福島記者によるその記事は、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺に関わるものである。記事の終わりには、ポーランドのノーベル賞詩人シンボルスカによる、記憶の継承を憂える詩句が記されている。<それがどういうことだったのか/知っていた人たちは/少ししか知らない人たちに/場所を譲らなければならない そして/少しよりももっと少ししか知らない人たちに/最後にはほとんど何も知らない人たちに・・・・・・・・(「終わりと始まり」沼野充義訳から)>
  
記事は次の文章で締めくくられている。
  
   日本でも戦争を知らない世代が8割を超える。ひとえに不戦の歳月の賜だが、私自身も含め、せめて戦争を知らないことを知っていなければ人は危ない。想像力が衰えて、過去との真摯な対話がゆがむとき、分かりやすい威勢の良さが肩で風を切るようになる。
  
記事を締めくくるこの文章は、本ブログに投稿した記事「安倍首相を危惧するあの世の田中角栄(2018.1.25 )」「田中角栄の言葉を聞かせたい国会議員たち(2019.9.17)」「田中角栄元首相が危惧した戦争の記憶を持たない政治家(2020.3.17)」「安倍首相と比較すれば褒めたくなる田中角栄(2020.4.1)」「田中角栄元首相の言葉を思う」で紹介した田中角栄の言葉に通じるものである。田中角栄には批判的な見方も多いとはいえ、安倍晋三とその仲間たちに較べるならば、はるかにまともな政治家だった、と言えそうである。
  
日本がいつまでも「戦争を知らないこどもたち」の国であるためには、国民が政治を見張る眼を持ち続けなければならない。けれどもこの国の現実は、独善的な政治が行われ続けてもなお、選挙の投票率が低迷し、正道をはずれた政党が支持され続けている。昭和時代初期の痛切な過ちは、軍部や政治家だけの過ちではなく、それを防げなかった国民の過ちでもあった。日本をいつまでも「戦争を知らないこどもたち」の国にするために、学校教育の場で、しっかりと、過去の過ちを教えるべきである、と思うのだが。ドイツでなされているように。


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日本の戦争は自衛のためだった? [政治および社会]

ネットの世界を覘いてみると、「自虐史観」を責める言葉が幾らでも見つかる。日本が戦った先の戦争は、侵略戦争ではなく自衛の為の戦争だった、と主張する論考もある。
                                                   
先ごろ読んだ記事には、あの戦争はアメリカに仕掛けられたものであって自衛戦争であり、東南アジアを植民地とする欧米諸国を駆逐するための戦争でもあった、と記されていた。そのような要素は確かにあったと思われるが、日本が最悪の道を選んだことは事実である。
                                                   
アメリカから提示されたハルノートが、日本に開戦を決断させるもとになったとされるが、ハルノートに記されている重要事項のひとつは、日本軍の中国からの撤退要求である。日本はすでに莫大な戦費を費やし、20万人の戦死者を出していたために、その要求を受け入れたなら、軍部の面子をつぶすことになるため、受け入れることができなかったという。
                                                   
教師だった私の父は30代の半ばに召集されて、中国の長沙で終戦を迎えた(本ブログで父の詠んだ歌を紹介しているが、昭和19年から昭和20年の歌の多くは、出征先の中国で詠まれたものである)。長沙を地図で調べてみると、上海から900Kmも離れた奥地である。日本軍は中国軍と戦闘しつつ、広大な中国に広く展開し、その間に膨大な犠牲者を作り出した。犠牲者数は1000万人を超えるとされている。南京攻略戦での民間犠牲者を20万人とする中国の主張に対し、犠牲者数はそれよりはるかに少ないと主張し、南京での虐殺はなかったと主張する者がいる。犠牲者の具体的な数はともかく、南京で膨大な虐殺がなされたことは、日本側の資料でも明らかである。(本ブログに投稿した記事「『反日』や『自虐史観』を言い立てる者たちに読ませたい書物(2020.12.18)」参照)
                                                   
自分の父親が日中戦争に関わっておりながら、いくら調べてみても、日中戦争には分らないところが多い。日本人には侵略戦争と思えなくても、国内を戦場とされ、悲惨な体験を強いられた国の国民には、日本に侵略されたとの思いがあるにちがいない。国土を戦場にされ、悲惨な体験を強いられた中国やフィリピンなどから、あの戦争を日本の侵略戦争と指弾されても、感情的に反駁してはならないと思う。


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生還できた兵士の言葉「何しに行ったのか分からん」に思う [政治および社会]

以前に投稿した「戦地での体験を語った物理学の先生(2020.9.26)」に関連する記事です。
  
12月11日、朝日新聞のコラム「折々の言葉」に、戦地で飢に苦しんだ兵士の言葉が紹介されていた。福岡県の国友繁人氏の言葉「何しに行ったのか分からん」である。その記事をここに引用させてもらう。
  
 海軍通信学校で学び、マーシャル諸島に配属されるも、軍は爆撃機も失い、孤立状態にあった。
  1年半、草や根や野鼠を食べて凌ぐも、兵士3千のうち6割が栄養失調で死亡。「米兵と戦うことは1度もなかった」と、94歳の元兵士はふり返る。幾重にも無意味に命を差し出させられた虚しすぎる時代。戦争体験者の言葉を集めた「言葉を刻む」取材班著「地べたの戦争」から。
  
太平洋戦争での戦死者の6割が餓死だったとされている。「戦地での体験を語った物理学の先生(2020.9.26)」に書いたように、高校で物理学の担当だった先生は、骨の上に皮膚がはりつき、骸骨のような状態になりながらも生還できた。おそらく、多くの仲間を餓死で失っていたことだろう。国友繁人氏は「何しに行ったのか分からん」と語ったようだが、結果的には「飢餓に苦しむために行った」ことになろう。餓に苦しみつつ戦い、生還の叶わなかった人たちは、政治の過ちを呪う言葉を口にすることも叶わないのだが。
  
以前に投稿した「元特攻隊員による戦記『修羅の翼  零戦特攻隊員の心情』を読んで(2020.11.27)」に書いたように、真珠湾奇襲攻撃が報じられた日、「この戦争には万にひとつの勝ち目はない」と言った海軍将校がいたという。作家の永井荷風はその日記「断腸亭日乗」に、「アメリカと戦って勝てるわけがないのだから、日本がすぐにも負けることが望ましい」と記している。真珠湾攻撃を策定した山本五十六は、勝てる見込みの無い戦争を避けるべく模索しながらも、軍の方針を受け入れざるを得なかった。まともな政治家なら避けたはずの戦争だが、国を導いていた愚かな者たちは無謀な開戦に踏み切り、国民と周辺諸国に苦難と悲劇をもたらした。日本の長期衰退と先進国中で最低の幸福度ランキングに導いたのは自民党だが、そのような自民党を支持し続ける国民と、熱狂的に軍部を支持した戦前の国民に、共通するところがありはしないだろうか。


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アメリカの警句「悪い政治家を選ぶのは投票しない善良な市民たちだ」 [政治および社会]

きょう29日の朝日新聞に、「悪い政治家と投票しない市民」なる見出しの署名記事が載っている。筆者は元朝日新聞編集委員の福島申二氏である。
  
その記事はエジソンに関わるエピソードから書き始められている。エジソンが最初に取得した特許は、「電気投票記録機」というものだったという。議員が机上のボタンを押すだけで投票できる装置で、議事運営時間の節約を目的とするものだったが、議会の委員長は「そういうものこそ、われわれが欲しないものだ。君の発明は、少数党が議会に働きかける唯一の希望を打ちくだくものだ」と言ったという。
 
 
記事の中に次のような文章がある。
  
   こうした(アメリカの)議会のありようを知れば、エジソンの発明品が拒まれたのは分かる。ワシントンの議会の責任者は若き発明家をこう諭したと伝えられる。「時間がかかるのは、無駄なようだが、無駄が政治の妙味なのだ」
   それから時は流れて、21世紀の日本の政治である。少数派の意見に耳を傾ける。それはこの9年の自民党政権にもっとも欠けていた態度ではなかったかと、与党の「得意傲然」のうちに過ぎた歳月を振り返りつつ思う。
  
記事は次の文章で締めくくられている。
  
   選挙のたびに引っ張り出したくなる警句がスミスの国アメリカにある。「悪い政治家をワシントンへ送り出すのは、投票しない善良な市民たちだ」。そう、棄権の自由というものは、あまり謳歌されない方がいい。
 
「与党の「得意傲然」のうちに過ぎた歳月」を振り返れば、その間に、国民の給与は韓国に引き離され、国民の幸福度ランキングは先進国中で最低となり、明るい展望に欠けた国になっている。31日の投票率が高くなるよう強く願っているのだが。


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疑似政権交代と真の政権交代 [政治および社会]

朝日新聞経済欄のコラム「経済気象台」は、朝日新聞社外の筆者(第一線で活躍している経済人や学者とされている)によって書かれている。今日(10月19日)の記事「政権担う新党への期待」は、次のように書き始められている。
                                                                                                                                                
 経団連は「政治と経済は車の両輪」と自民党を頼む。だが日本経済は30年来低迷が続く。その大半、政権を担ったのは自民党だ。
 日本は経済規模が世界第3位でも、子どもの7人に1人が貧困状態にある。与党は何をしていたのか。「大衆の幸せのために生まれた政党」を自任する公明党は、自民党との連立が最適解なのか。
                                                                                                                                                
記事は安倍政権の問題点などに触れ、疑似政権交代による岸田政権の誕生に触れたあと、真の政権交代を願って次のように記されている。
                                                                                                                                                 
 政治は国民を豊かにするためにあるが、現状は心細い。政治に緊張感と変化をもたらす真の政権交代を望むが、次の衆院選でその可能性は低い。・・・・・・・・
 (石破茂と河野太郎への期待をにおわせたあと)ふたりとも若くはない。党内で機会をうかがうのではなく、来夏の参院選を視野に広く国民や経済界からも支持され、政権交代を実現し得る新党を結成し、野党再編の起爆剤になることを期待したい。
                                                                                                                                                 
私は以前から自民党に強い不満を抱いている。独善的で狭量。失敗したはずのアベノミクスの成果を謳う。人手不足の時代ゆえに失業率が下がるのは当然だが、非正規就業者の比率が40%の現実。経済格差の拡大。膨大な内部留保を積み上げる企業と低賃金のもと、得をしたのは企業と株で儲ける者たち。憲法無視の立法。安倍1強の傲慢政治における数々の疑惑。「経済気象台」の筆者は言う。「日本経済は30年来低迷が続く。その大半、政権を担ったのは自民党だ。日本は経済規模が世界第3位でも、子どもの7人に1人が貧困状態にある。与党は何をしていたのか。大衆の幸せのために生まれた政党を自任する公明党は、自民党との連立が最適解なのか。」
                                                                                                                                                
「経済気象台」の筆者は「政治に緊張感と変化をもたらす真の政権交代を望むが、次の衆院選でその可能性は低い」と言う。きたる衆院選で、自民党内での疑似政権交代ではなく真の政権交代が実現されるよう願っているが、それが叶わないまでも、与党の議席が大幅に減るよう願っている。岸田政権をして国民の声に耳を傾けさせ、まともな政治を行わせるために。


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自民党政治の欺瞞をついた記事 [政治および社会]

衆院選が近づいたので、2019年2月2日に投稿した記事「『安倍首相の年頭所感は嘘だらけ。人気ブロガー・きっこが一刀両断』なる記事の紹介」を再掲したくなった。人気ブロガーのきっこさんによる安部政治批判だが、自民党の欺瞞を責める記事と言える内容である。
                                         
2019年2月2日に投稿した記事「『安倍首相の年頭所感は嘘だらけ。人気ブロガー・きっこが一刀両断』なる記事の紹介」の再掲
                                                   
「きっこのブログ」で有名なきっこさんは、昨年の12月からメルマガを始めたのだが、1月31日の「きっこのブログ」を覗いてみたら、「きっこのメルマガ」の記事が「MAG2NEWS」で紹介されたことが記されていた。リンクが張ってあるので、MAG2NEWSの記事『安倍首相の年頭所感は嘘だらけ。人気ブロガー・きっこが一刀両断』を読んでみた。MAG2NEWSに掲載されているのは、「きっこのメルマガ」の記事を抜粋したものらしいが、その記事をここで紹介させてもらうことにした。安倍政権の支持者はこの記事に反発するであろうが、反論はできないはずである。「まぐまぐニュース」なるサイトを訪れたのは初めてだが、興味深い記事が散見されたので、これからはときおり訪ねてみようと思う。
                                                   
MAG2NEWS の記事「安倍首相の年頭所感は嘘だらけ。人気ブロガー・きっこが一刀両断」の紹介
                                                   
MAG2NEWS によるまえがき
去る2019年1月1日、7回目となる安倍晋三首相の「年頭所感」発表があったことを覚えていますでしょうか。「今年も嘘八百を並べ立てている」と呆れるのは、人気有名ブログ「きっこのブログ」の著者にして、メルマガ『きっこのメルマガ』を創刊したばかりの「きっこ」さんです。ほんの短い所感の中に、数多くある数字のインチキやごまかしを見抜いたとして、鋭く「ツッコミ」を入れています。「年頭所感」に関するツッコミを、メルマガの記事を一部抜粋した「チョイ見せ」でご紹介します。
                                                   
大ウソだらけの年頭所感
  2012年12月に現在の第2次安倍政権が発足してから6年が経ち、2019年1月1日、安倍晋三首相は7回目の年頭所感を発表した…とは言っても、どうせ昨年までと同様で、官僚に書かせたものをそのまま発表しただけだけど、だれが書こうが「安倍晋三」の名で全国民に向けて発表された公式リリースなのだから、その内容に関する責任は安倍首相本人に帰属する。
  国会でも記者会見でも世界の首脳が集まる国際会議の場でも、まるで息をするように嘘をつき続ける安倍首相が、新年を迎えて最初に嘘八百を並べ立てるのがこの年頭所感というわけで、あたしは毎年ツッコミを入れて来た。でも、この人の虚言癖はもはや完全に病的なレベルなので、アレもコレもとツッコミを入れていると日が暮れてしまう。そこで今回は、安倍首相の十八番の「自画自賛」が炸裂している次の部分に集約して、新年の初ツッコミを入れてみたいと思う。
                                                   
  「平成はバブルとともに始まり、経済はその後、長いデフレに突入しました。失われた20年、就職氷河期の到来、未曽有の自然災害。人口が減少する社会は成長できない。『諦め』という名の壁が日本を覆っていました。私たちは、この壁に挑みました。6年が経ち、経済は成長し、若者たちの就職率は過去最高水準です。この春の中小企業の皆さんの賃上げ率は20年間で最高となりました。生産農業所得はこの19年間で最も高くなっています。故郷を想う皆さんの情熱によって、被災地は力強く復興を遂げつつあります。地域の皆さんが磨きをかけた伝統、文化、心のこもったおもてなしによって、外国人観光客数は1千万の壁を突破し、3千万人を超えました。景気回復の温かい風が全国津々浦々に届き始める中で、地方の税収は過去最高となりました」(安倍内閣総理大臣 平成31年 年頭所感より)            
  よくもまあ、これだけ次から次へと自分に都合のいい数字だけを羅列して自画自賛できたもんだと感心しちゃうけど、取りあえず順番にツッコミを入れさせてもらうと、まずは「若者たちの就職率は過去最高水準」という部分だね。確かに、2013年から2017年に掛けて新卒の就職率は少しずつ改善されて、高卒も大卒も9割台後半の就職率となり、リーマンショック前の2008年と並ぶほどの水準になった。だから、この点に関しては嘘じゃない。
 でも、その一方で、新卒で就職した若者の多くが、わずか3年以内に離職してしまっているのだ。高卒の場合は4割以上、大卒の場合でも3割以上、せっかく大学を出て就職したのに、3人に1人が3年以内に辞めてしまっている。この割合は、高卒も大卒も民主党政権時より悪化していて、その原因としては「賃金の安さ」「労働時間の長さ」「仕事上のストレス」などの労働環境の悪さと「会社の将来性に対する不安」が挙げられている。
  正規・非正規を問わずに、単に有効求人倍率だけを見ると、今の安倍政権になってから全国ほとんどの地域で「1倍」を超えた。つまり、仕事の内容や賃金などを問わなければ誰でも仕事に就ける状況になった。安倍首相は、この点についても、ことあるごとに「民主党政権時代より大幅に改善した」と自慢する。
  でもこれは、俗にいう3Kの仕事が人手不足になっているだけの話で、今の安倍政権が企業側の要望ばかりを優先して来た結果なのだ。そして、その挙句が「外国人技能実習生」という名の「奴隷」を大量に受け入れて使い捨てしようという人権無視の愚策なのだ。これらは間違っても「アベノミクスによる景気回復」の成果じゃない。労働者の視点を無視した悪政の行き着いた先なのだ。
  その証拠に、2013年から2016年までの4年間で、日本の労働者の非正規雇用は200万人近くも急増したが、正規雇用は80万人近くも激減し、非正規雇用の割合は労働者全体の37.5%と、日本の歴史上で過去最悪になってしまった。これだけ非正規雇用が増えて喜ぶのは、少しでも安く人を雇って好きな時に会社の都合で解雇したい雇用者側であり、あとは人材派遣大手「パソナ」の会長の竹中平蔵ぐらいだろう。こうした悪政による闇の部分にフタをして、表面上の都合のいい数字だけを挙げ、あたかも日本の雇用状況が改善されたかのように喧伝するなんて、愚の骨頂と言うよりも完全に詐欺に当たると思う。
  (中略)
                                                   
外国人観光客増加の本当の要因
  新年早々、あんまりカッカしたくないので、ここはサクッと次へ行くけど、今度は「地域の皆さんが磨きをかけた伝統、文化、心のこもったおもてなしによって、 外国人観光客数は1千万の壁を突破し、3千万人を超えました」という部分だ。外国人観光客が増えたのはその通りだけど、その要因は「地域の皆さんが磨きをかけた伝統、文化、心のこもったおもてなし」などではない。こんなこといちいち指摘するのもバカバカしいけど、外国人観光客が増えた要因は3つ、「円安」と「LCC」と「ビザの緩和」だ。2010年には1ドル85円だった為替レートが、安倍政権の円安誘導で一時は120円まで進み、現在でも110円前後なのだから、格安のLCCを利用すれば2010年度の半額近い予算で日本に来ることができる。
  その上、外務省は2017年10月に中国人観光客向けに大幅なビザの緩和を行なった。だから、安倍政権は「外国人観光客だ」「インバウンドだ」と連呼しているが、実際に日本に来ている外国人の大半は中国人と韓国人だけなのだ。そして、その目的は「爆買い」だ。銀座に行ってもどこに行っても中国人のグループが大声で騒ぎながら爆買いしているし、今年のお正月も銀座のデパートに並んだ100万円以上の高額の福袋は、ほとんど中国人が買い占めて行った。これが現実なのに、何が「地域の皆さんが磨きをかけた伝統、文化、心のこもったおもてなし」だよ?キレイゴトを並べて「日本は素晴らしい国だ」とアピールするのはネトウヨの専売特許だと思っていたけど、安倍首相も同類だったんだね。
                                                   
景気回復の温かい風は本当に吹いていますか?
  さて、いよいよ最後のツッコミは「景気回復の温かい風が全国津々浦々に届き始める中で、地方の税収は過去最高となりました」という部分だ。総務省が発表したデータによると、2017年度の地方税収は前年度より5750億円増えて、過去最高だった15年度(40兆4050億円)を上回る40兆9087億円となったから、 これも額面上は嘘じゃない。でも、前半の「景気回復の温かい風が全国津々浦々に届き始める中で」という部分は大嘘だ。それに、地方税収の内訳を見てみると、増えているのは全体の約3割を占める個人住民税で、増えた要因は「株式配当」だ。もちろん、他にも複数の要因はあるけど、日銀がジャブジャブと大金を注ぎ込んで支え続けて来た株価が地方税収を増加させる一因になっていることは紛れもない事実なのだ。
  「虚構の景気回復」を演出するしか能がない安倍政権は、アベノミクスの成果を「株価」でしか示すことができないため、とにかく株価を下落させないために常識を逸脱した買い支えを日銀にやらせて来た。たとえば、去年12月28日の大納会では、2万円割れの状況で年越ししたくないからと、最後の10分間で日銀は703億円も注ぎ込んで株価を1万9000円台から2万円台に戻したのだ。ちなみに、これまでに日銀が買い支えて来たETF(株価指数連動型上場投資信託)は、昨年末までに23兆1165億円で、去年1年間だけでも6兆2100億円も注ぎ込んでいる。
  民主党政権最後の2012年度の日経平均株価は、8000円台半ばから9000円台前半を行ったり来たりしていた。当時と比較すれば現在の2万円超という株価は2倍以上の大幅アップだ。だから安倍首相も年頭所感などで「民主党政権時代より株価は大幅にアップしました」などどドヤ顔で連呼して来た。そして、この株価だけを見れは、日本の景気は回復したかのように感じられる。
  でも、日銀がETFに6兆円注ぎ込めば株価は約3000円上がると言われている。これまで日銀はETFに23兆1165億円も注ぎ込んでいるのだから、6兆円の約4倍、つまり「3000円×4=1万2000円」ということになり、現在の株価から1万2000円を引いたら8000円、民主党政権時代よりも株価は下落してしまうのだ。この事実を知れば分かるように、現在の2万円超の株価は決して日本の経済が成長した結果などではなく、ただ単に日銀が莫大な予算を注ぎ込んで意図的に引き上げた「ヤラセの株価」でしかない。
  ちなみに、これまで日銀が注ぎ込んだ23兆1165億円の株式は、売却すれば約25兆円と試算されているので、約2兆円の含み益がある。つまり、額面上は損はしていないことになる。でも、この株式は売却できないのだ。何故なら、売却した瞬間に株価が大暴落して日本の金融経済がジ・エンドになってしまうからだ。額面上の価値はあるのに、決して売ることのできない資産。現金輸送車を襲って10億円を強奪することに成功したのに、その10億円はお札の番号がすべて控えられていたため、1万円札1枚すら使うことができない。これと同じで、まさに宝の持ち腐れだ。
  もしも去年、日銀が6兆円を注ぎ込まなかったら、昨年末の株価は1万7000円台にまで下落していた。実体経済が横這いのままなのに、株価だけを下落させないように買い支え続けるためには、こうして毎年6兆円ずつ注ぎ込むという自作自演を続けて行かなくてはならない。これが、株価だけは良いが庶民の生活はいつまで経っても良くならない「虚構の景気回復」の仕掛けであり、元旦から大嘘を垂れ流すしか能がない安倍首相の伝家の竹光(たけみつ)「アベノミクス」の正体なのだ。        (引用おわり)
                                                   
政治に対するきっこさんの論調はするどく、そのブログに注目しているジャーナリストも多いようである。引用した上記の記事に対して、自民党はどのように反論するのだろうか。
                                                   
モリトモ・カケ問題や公文書の改竄騒動にあけくれた政治に決着が付かないうちに、厚生労働省の調査不正問題が持ち上がっている。2月1日の朝日新聞によれば、正常に調査していたならば、政府が発表したデータとは異なり、昨年の実質賃金は前年より低下しているといい、そのことを厚生労働省も認めているようである。モリトモ・カケ問題に関わる公文書の改竄と同様に、安倍政権擁護のための不正ではないだろうか。一部の経済学者が以前から指摘してきたように、アベノミクスはとうに破綻しているのかも知れない。独善的で欺瞞に満ちた安倍政権を、国民はいつまで許すのだろうか。政権を交代させたなら、政治がしばらく停滞する可能性があるわけだが、そうであろうと、政治風土を変えてより良い国にしてゆくためには、適宜な政権交代が起こり得る国にすべきである。
                                                   
きょうの記事に関連する記事として、12月21日に投稿した「日本が韓国人から馬鹿にされる日が来る?」を読んでもらえるよう願っている。
                                         
岸田政権はきれい事を並べているが、基本的には従来からの自民党政治が踏襲されるだろう。自民党に反省を促すために、今度の衆院選で野党が議席を増やし、自民党を脅かす状況になるよう願っている。本来ならば、政権の交代があってしかるべき状況なのだが。


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「人身売買と闘うヒーロー」に選ばれた日本人弁護士 [政治および社会]

きょう9月14日の朝日新聞「ひと」欄は、指宿昭一弁護士を取り上げている。(指宿弁護士は、7月3日の朝日新聞でも、「『人身売買との闘い』指宿弁護士を米表彰」なる記事に取り上げられている。)
                                          
その記事は次のように書き始められている。
                                                   
「弁護士バッジをつけた労働運動活動家」を自任する。27歳で初めて司法試験に挑戦し、44歳で合格した。17回目の受験だった。
                                                   
指宿氏は、アルバイトで働いていたコンビニで労働組合を結成し、大学を卒業すると中小企業の労働組合運動に入ったという。仲間に背中を押され、活動を続けながら勉強し、弁護士になったとのこと。
                                                   
記事には次のような文章がある。
                                                   
外国人技能実習生からの相談が組合に多く寄せられ、弁護士登録直後から関わってきた。それまで見てきた中小企業の現場も劣悪だったが、「はるかに奴隷的な労働だった」。実習生問題に長く取り組み、今年7月、米国務省から「人身売買と闘うヒーロー」に選ばれた。日本人では2人目だ。
                                                   
記事は次の文章で終わっている。
                                                   
「制度の矛盾が明らかになった。実習生制度は廃するべきだ」
 信念はますます強まっている。
                                                   
本ブログを読んでくださる方は少なく、蟷螂の斧と呼ばれるかもしれないのだが、外国人技能実習生制度に対する疑問を幾度も訴えてきた(付記参照)。朝日新聞は以前から、繰り返しこの問題を取り上げている。自民党政権のもとでは改善されなかったのだから、政権交代を待つしかないのだろう、日本の品位を傷つけているこの制度の改善には。
                                                   
付記  外国人技能実習生制度に関わる投稿記事



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